戦車、節制、世界の調和レベル
マルセイユタロットの「戦車」「節制」「世界」は、ある種のテーマを共有しています。(ほかの組合せも、それぞれテーマを持っていますが)
テーマと言ってもひとつではなく、見方によって複数のものを考察することができます。
今日は、「調和の完成」について、換言すれば「統合」をテーマに、この三枚を語りたいと思います。
もっとも「調和」といえば、「星」など、マルセイユタロットのほかのカードでも表すことが当然できますが、今回はあえて「戦車」「節制」「世界」においての調和を考えます。
さて、まずは「戦車」です。
マルセイユタロットの「戦車」の絵柄を見ますと、一人の御者が二頭立ての馬車を操っている様子が描かれています。
この二頭の馬にはいろいろな解釈が可能ですが、ひとつには、この馬は自分自身(の二人)を表すと見てもよいでしょう。
そうすると、御者も自分ということになるのですが、御者の自分から見ると、自分の中に葛藤する二頭の馬がいるわけです。
ともかく、その馬に象徴される「心を御すること・操ること」が、前進や勝利につながると解釈できます。
詳しくは述べませんが、この「戦車」は実は現実的な意味(意識的な世界)での成功や完成を象徴すると言われるのですが、その鍵は、つまるところ、馬を巧みに操る御者になることだと言えます。
すなわち、自己を統御することが重要なのです。
そうすると、私たちがこの現実の世界で行う目標は、自己を統べるということになりますから、調和の意味において、何をまず大切にしなければならないかと言えば、「自分との調和」ということになります。
ここで言う「自分との調和」というのは、外向けだったり、内向きだったりする自己の相反する心(二頭の馬に相当)を統合し、わだかまりのない本当の自分の気持ち(になって)で進んでいくというのに近いでしょう。
それは自分の価値観を知り、それに従って躊躇なく生きる状態と言ってもよいです。
このことは心理系・スピリチュアル系の方々の多くが述べていることですが、これがいわゆる「自分のありのままでいる状態」というものになるかと思います。
こうして結局、「戦車」が示しているように、現実的な意味でも「成功」というのに向かっていくわけです。
次に「節制」です。
「節制」は天使の姿の者が、ふたつの壷を扱い、水を混ぜ合わせている様子が描かれています。
こういった象徴性から、他者と自分との交流ということが見えてきます。
人は自分だけで生きているものではありません。他人がいて、属する集団や組織・社会があります。大きくなれば、地域・国というようにもなってくるでしょう。
ですから、「節制」は、人との調和、社会との調和というものを実現するレベルと言えます。
私たちは、案外と、最初からこのレベルの完成を目指そうとしてしまうので苦しいのです。
「戦車」レベル、つまり自分との調和ができていないのに、いきなり他人との調和、社会との調和を完璧にしようとするので、自分を追いつめてしまうわけですね。
「節制」レベルは、言わば、世のため・人のためなのですが、これはもちろん悪いことではなく、反対によいことと一般的に認識されています。
ですが、あまりに自分を偽ったり、本当に素直にそれができる状態でなかったりすると、自己犠牲を払い過ぎる感情となり、世のため人のためではなく、世のせい・人のせい(自分のせいと思うこともあり)(でうまく行かない、苦しい、つらい)という気持ちにもなり、やらされている感(強制感覚)や、社会や人に貢献できない自分に無力感も覚えてしまいます。
従って、まずは「戦車」レベルで自己との調和を図って自分の特質・自己の価値を知り、その延長線上(「戦車」風に言うと、「戦場」となります)で、世のため・人のために動くとよいのです。
自分との調和が図られていれば、自分でできることとできないことの区別、自分が面白いと思うことと面白くないと感じることも、よくわかる(できる)ようになっているので、心と行動との間に矛盾も少なくなってくるのです。
もちろん、私たち人間は社会的な生き物であり、普段も仕事をしたり、地域社会で活動せざるを得なかったりと、対人関係・対社会的に行動します。
自己との調和・統合を図るより、無理矢理でも対人・対社会との調和を図らねばならないことがあるかもしれません。
理想的には「戦車」レベルでの調和の完成を終えて、「節制」レベルの調和を目指すべきといえますが、同時進行で行うのが現実的という可能性もあります。(とはいえ、「戦車」のほうが重きが置かれます)
さて、こうして「戦車」と「節制」、つまり自己との調和、人や社会との調和が図られれば、ついには神や宇宙と言われる、大きな世界との調和が待っています。
これが「世界」カードレベルの調和であり、最終的な全統合と言ってもよいでしょう。いわゆる現実と精神の融合であり、スピリチュアル(霊性)の完成でもあります。
「戦車」が地(自分)、「節制」が人(社会・他人)で、「世界」は天と言えます。すなわち、天・地・人の調和と統合なのです。
ただ、見方を変えれば、「世界」の調和も他のレベルと同時進行できます。
枠組・段階としては「戦車」「節制」「世界」の3つがあるわけですが、宇宙構造の基本として相似形のフラクタルな関係にあり、それぞれにさらに3つのレベルがあると見ることができ、それゆえに同じ次元であっても、その次元に応じた3つの調和を考えることができるために、同時進行が可能となるのです。
よくありがちな誤りとして、自己との調和・統合の過程で、わがままがよいというようになってしまうことがあります。「わがのまま(ありのまま)」と単なる自分勝手・利己的な「わがまま」とは違います。(「戦車」でいうと、片方の馬だけが暴走しているのが単なるわがままです)
実は多重構造として、「節制」の中にある「世界」レベルの調和を見ることで、悪い意味での「わがまま」にはセーブがかけられます。
わがままでなく、「わがのまま」であると、人からみてもスムースに見えて(反感を買わない、みっともなく見られない)、もちろん自分の心も葛藤がなく晴れやかに(楽しく)行動できているという状態になれるのです。
カードの象徴性を使って、自分をコントロールし、自己実現を図っていくと、自然に人や社会、宇宙と調和していくように、マルセイユタロットのシステムは設定されているのです。
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