みんな同じで、みんな違う世界

マルセイユタロットをやってきまして、いろいろと気がついたり、勉強になったりすることがあります。

別にそれがマルセイユタロットでなくても、ほかのカードでも、色でも、数字でも、人でも、なんでもツールとしてはよいわけで、たまたま私はマルセイユタロットが合っていた、縁があったというわけです。

人によって、自分自身や世界を整理したり、理解したりする(相性のよい)ツール・象徴は、それこそ人それぞれだと感じます。

それはこの世界が全体としてはひとつではあっても、個人個人としては皆違っているからでもあります。

この全と一、個と無数という関係性は、すべてを貫いている原則だと私は思っています。マルセイユタロットはそのことをカードの構成としても、象徴・シンボルとしても実感させてくれます。

そしてこの、全と個の使い分け(または統合)こそ、うまく世の中を渡っていく術のひとつでもあると考えることができます。

なぜなら、先述したように、それがこの世の仕組みでもあるからです。

特に現実的・物質的・肉体的に、われわれは実在として生きていますから、抽象的で、空虚(非物質的なもの)で、すべてがイコール(共通性)というものとは、相反する状態にあります。

逆に言えば、個別視点では具体的であり、違い・異質性があるわけです。

ここが安易に、話せばわかるとか、ほかの人も同じ思いであるはずとか、愛はひとつ、宇宙はひとつとか唱えて(思っても)、現実的にはうまく行かない面のポイントなのです。

抽象的・象徴的・全体的にはその通りであっても、具体的・個別的には、やはりわかりあえないと言いますか、そもそもが、その次元では皆違っていますので、まったく同じと考えること自体が間違っている(間違っているというより、そう見ることができない)わけです。

大事なのは、どの次元(レベル・範囲・段階)で統一や共通点を見るか、話し合うかです。

例えば、戦争したくない、死にたくない、殺したくないという点では、ほとんどの人が大元では同じ思いでいます。

しかし、個人レベルや事情別レベルになってきますと、殺したい、死にたい、戦争も辞さないとなってきます。

普通は死にたくないというのが人間ですが、うつ病になったり、自分に生きる価値がないと感じたりするようになれば、死にたいという衝動も出ます。

相手をひどく恨んでいれば、殺人がいくら頭で悪いことだと常識的にわかっていても、殺したいという思いに駆られる人もいます。

反対に、個別事情の次元ばかりに固執し、それに囚われると、自分本位の短期的で衝動的な見方と行動になりがちです。

「現実を見ろ」とよく言われますが、現実はあくまで今の状態であり、それがいいとは限りません。

もちろん現実・今を無視すること(逃避すること)はできませんが、現状の考え・アイデア・解決策・対応ではまずいから、現実に問題としてあるわけです。

そのため、今の状態や現実を超えた発想、理想からの創造、次元の高次化が必要となります。

マルセイユタロットで言いますと、「手品師」とか「皇帝」だけの世界では先に進まないし、発展性がないのです。同じ次元であっても、「女帝」があり、「法皇」があり、「恋人」のカードがあるからこそ、成長することができると言えます。

ということで、私のマルセイユタロット講座でも、特に全体性と個別性に注目して行っています。

全体性として、象徴ツールとしての共通性(ユング的には元型)を解説すると同時に、最近は個別性も重視し、個性に配慮してマンツーマンなどの講義にも力を入れています。

遠方の人にも受けていただくことが可能なのが、スカイプ講座です。

基本、一対一なので、マルセイユタロットの全体性・共通性を講義しながらも、その人に応じたものを、こちら側が配慮することができます。

タロットを学ぶ講座でありながら、個人コンサル・相談を兼ねるみたいなものです。

興味のある方は、こちらをご覧ください。

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