時間によって創造される問題と解決

私の採用しているマルセイユタロットの展開法では、時系列的には過去・現在・未来のスリーパートにカードを分けます。

これは時間というものをとらえる時、私たちは普通に、今この時を中心としながら、文字通り「過ぎ去った過去」、「未だ来てない未来」という「概念(場合によっては観念にもなります)」を作ることで、時間の流れを想像するようにしているからです。

逆に言えば、現実的な時間というものは、その3つのイメージ上の「時」があるということです。

本当の意味では、よくスピリチュアルや量子的な世界で言われるように、時間というものは幻想であり、存在しないと言われています。

そういう方面からでなくても、時間は例えば一日24時間という単位はあるにせよ、それがどのように流れているのかを見るのには(味わうのには)、天体や時計という計測するもの、基準とするものがないとわかりません。

言葉で表現するにしても、過去・現在・未来という3つの種類(そういう概念)で分けて言わないと、人に経緯(つまり時間の流れ)を説明することが難しいです。

ですから、昔から時間を表現する時、3つのもの・3つの種類の神や精霊のようなもので例えられてきたのです。

3をシンボルとするものには、時間の創造や収束、そのサイクル、自然の流れといったものと関係することが多くなります。

さて、こうして考えると、時間は確かに3つのシンボルによってとらえられるものですが、実際には刻々と流れていくものであり、「今」という時も、次の瞬間にはすぐに過去になってしまい、また未来にある時も、今に流れてくると思えば、時間というのは、実は今を中心とした概念でしかないことがわかります。

もっと言えば、時間は「今の連続」なのです。

ニュースが文字として流れる電光掲示板、またはアニメやパラパラ漫画でもいいのですが、結局、それらが動いて見えるのは、ひとつひとつの止まった絵が高速に連続することによります。

では一体、その連続ストーリーを創り上げているもの、止め絵を物語(動く映像、意味あるかのような連続映像)として見せているものは何(者)なのでしょうか?

と考えますと、なかなか面白いところに行き着きます。

結局、今この瞬間が大事だということを言いたかったわけで、たいていは概念(または想像)で創り上げられた過去と未来に、私たちは意識が飛びすぎていることが多いわけです。

最初にタロットの展開図は3つの時系列で行うと言いましたが、この理由のひとつは、過去と未来の連続ストーリーを、「タロットの絵柄」で止め絵のように見ることにあります。

過去は思い違い、未来は取り越し苦労みたいなことに陥っていることがあり、その意識が止め絵としての今を、過去や未来として連続再生しているようなものなのです。

ということは、今にまた焦点を戻し、データを置き換えて再生をし直すかのようにすれば、時間の流れる意識(現実)も変わることになります。

要するに、自分が過去と思っている時間と、未来と思っている時間のどちらかに、「止め絵」データによって連続再生が過剰に行われているのを修正するということです。

よく言われるように、まだ実際に起きてもいないことに気をもんでも仕方なく、また起こってしまったことそのものを物理的な意味で変えられるわけではない(思いや、とらえ方は変えられます)ので、今できることに集中し、行動したほうがよいという意味です。

過去や未来に意識が飛ぶのは、そういう思考の癖や、思い入れの強いデータ・記憶、または想像上のことが存在しているため、「今」に自分がいない(空虚になっている)からということになります。

まさに「心、ここにあらず」です。

これまで述べてきたように、中心点(止め絵を創造している時)は今この瞬間ですから、そのように上の空で過去や未来に飛んでいては、エネルギーの無駄使いと言えます。

でも、どうしても思って(想って)しまう・・・というのは、先述したように、癖とか、そこにこだわりがあるからです。

ですからそれを解消すること(データの消去や浄化、癖の気づきと修正、解除)をすれば、もっとスムースに今に集中できるようになります。

解消方法はいろいろな方法がありますし、アプローチの仕方も様々です。

マルセイユタロットのリーディングも、こういうところの援助にあると私は考えています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top