「吊るし」とモラトリアム

今日は「吊るし」というカードを見て思ったことを書きたいと思います。

「吊るし」は、逆さまにひもで吊された人物が描かれているカードです。

ただ、マルセイユタロットでは、ひもでギュウギュウに縛られて、いわば「逆さ吊りの刑」にされているというわけではなく、ひもは緩くて、縛られているというより、自ら能動的にそのスタイルを取っているのではと解釈されます。(もちろん、いろいろな見方はあります)

そこで思いつくのが「モラトリアム」ということです。

モラトリアムという言葉自体は、もともと経済的な用語からのものですが、その後、精神的なことや、人間成長の過程として使われるようにもなりました。

意味的には遅延とか猶予を表し、あることが行われる前、何か激しいことと対峙する前、大人として成長する前などの、一定の猶予期間といったところでよく使用されます。

マルセイユタロットでは、この「吊るし」の数「12」の次に、「13」という数だけで表された、絵柄も極めて強烈なカードが登場します。

この「13(番)」が改革や大きな変化を意味することは絵柄からも明白で、そうして見ると、やはり「12」の「吊るし」は、「13」ということが敢行される前の、一種のモラトリアムを象徴しているのだと考えることもできます。

モラトリアムは、何か一人前になることや、責任を取ることから逃げているような印象も出ますが、モラトリアムの意味することは、悪いことだけとは限りません。

何事も両面の意味を持ちます。

逃避や待避も、自分を守る上では必要なことがあります。

人によって、モラトリアムは、いろいろな形、時期で現れます。

それはやはり一人一人、成長も個性も違うからです。置かれた環境、過ごしてきた経緯からも違ってきます。

ですから、一概に、何歳なったら社会に出て、大人として働かなければならないとか、結婚しなければならないとか、決められるものではありません。

モラトリアムなしで、いきなり無理矢理外に出されてしまったら、どこかでモラトリアムの代わりになる場所・時間を、外の激動(本人とにっては)の中で確保しなくてはならなくなり、それなくては、とてもエネルギーや精神の均衡が保てないのです。

しかし、まだ準備ができていないまま放り出されたようなものなので、外の環境で、そうした時間と場所を確保することは極めて難しいことになります。

そうして、やがて身体か心に変調を来し、強制的に自分をモラトリアム状態に戻すことが発生するのです。

ですから、むしろ意識的なモラトリアムは必要であり、それを経験せずして、外に出ることは時に危険さえ意味します。

モラトリアムは、形を変えた自己ヒーリングでもあり、環境的適応のための準備なのです。

また、モラトリアムを過ごして、いったん外に出てからも、また別の意味のモラトリアムが必要となってくることがあります。

新しい状態や状況、バージョンに適応するための、自身への一種のサナギ化の要求です。

モラトリアムと言っても、必ずしも、引きこもることや、何もしない状態がそうだとは言えません。

「猶予」ということなのですから、決断や選択を今はせず、とりあえず、「吊るし」のようにぶらさげておき、ペンド状態にしておく、あるいはグレー(白黒つけずに)として観察したり、時期が満ちるの待っておくというのも、ひとつのモラトリアムです。

マルセイユタロットでも言われることですが、自分を覚醒したり、成長させたりするのには、何も見た目が積極的な行動ばかりとは限らないのです。

この世の中は、昼もあれば夜もあり、光あれば影があります。人も好調もあれば不調もあり、景気も好不況があります。

このように宇宙は、ふたつの性質がひとつになって完全と言えるものです。(逆に言えば、ふたつの性質が必ずある世界)

ですから外に出ることもあれば、反対に中に引き籠もる時期もあり得ます。

成長のためには、片方だけではうまく行かないことがあります。いわば、モラトリアムは大なり小なり、誰にでもあることで、ないほうがおかしいのです。

覚醒や気づきにおいても同様で、積極的に意識を高くしたり、特別な場所に行ったり、教えを受けに行ったりする方法もあれば、逆に静かに一人籠もり、何もしないで力を抜いたり、極端に言えば、逃避のように堕落した状態に自分を置いたりすることで得られる場合もあり得ます。

活動的にしろ、モラトリアム的に消極的態度になるにしろ、どちらにしても、日常の意識とは違うものになる状態と環境になっていることが重要なのです。

タロットを使えば、自分のモラトリアム期間の見極めもできます。

必要以上のモラトリアムは、やはり成長ではなく、停滞を招き、傷を癒すどころか、逆に傷つきやすいもろい状態を生み出し、脱皮自体もできなくなります。

マルセイユタロットの「月」のカードは、そういった危険性も象徴しています。

モラトリアム卒業の見極めは、自分ではできない場合もあるので、タロットのような内面を象徴化できるツールを使ったり、誰かに相談して判断してもらったりすることは大切です。

それでも、モラトリアムというのは、子供や青年だけのものではなく、大人にも、状況とタイミングによって、様々な形で必要性を伴って起こる(必要とされる)ものだと思っておくと、ずいぶん楽になるでしょう。

なお、悪い意味でのモラトリアム脱出のきっかけには、モラトリアム期間に慣れた時に時々出現する違和感や異質感シンクロニシティ、具体的にはいつもとは違う事、人、ネット情報との遭遇などのようなことで、出口・脱出時期が示唆されることがあります。

それを見過ごし、今のそのモラトリアム状態に執着すると、モラトリアムは幻想のまま現実のように強化されてしまいます。いわばループになってしまうということです。

「吊るし」のカードも、人物が完全に囚われている状態ではないことが絵柄で表現されています。

まさに「囚人」となるか、そうでないかは、出口があると思うか、ないと思うのか、はたまた出口を創造するかどうかによるのです。

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