エネルギーには色がある(と考える)
まず、お知らせですが、10/31(土)に開催いたします神奈川県藤沢市でのマルセイユタロット体験会の募集残り枠が、あとわずかとなっております。参加ご希望の方は、お早めにお願いいたします。
当日、ちょっとしたサプライズも用意していますよ。
では本日の記事です。
科学的に眉唾ものの話になりますが(苦笑)、エネルギーにはカラーがあると私は考えています。
例えば、マルセイユタロットでもエネルギーの象徴と考えますと、大アルカナと小アルカナのエネルギーは違う色ですし、大アルカナは22枚に分かれ、それぞれカラーが違うように感じます。
実際に目に見えている「色」は波長の違いでもあるわけですが、タロットカードにも一枚を全体としてとらえると、青ぽく見えたり、黄色ぽく見えたり、明るい感じとか、暗い感じとかあります。
それはその色が多く使われているという事実と、人の見る感覚によって決まります。
いわば客観的な部分と主観的な要素で決まるようなものですね。
最初に述べているエネルギーの色というのは、どちらかというと、主観的なものなので、人によって違うことになります。
さて、色があれば性格もあると考えることができます。
人を例える時に「あの人のカラーは、色は・・・」みたいなことを言いますから、色を性格的に表現することもできるわけですね。
そうすると、伸び伸びしているとか、窮屈そうだとか、強引とか引っ込み思案とか、まあ、人の性格みたいにも感じられてくるわけです。
つまり、感情によってもエネルギーは変化するということでもあります。
しかし、感情的に見過ぎると、その感情表現に引っ張られて、本質と言いますか、エネルギー自体のカラーがわからなくなることがあります。
例えば、見た目、怒っているように思えても、その奧では悲しみや存在のアピールみたいなことが隠されているようなことがあり、爆発的な色のようで、本質は沈んでいる色のこともあるわけです。
そういえば、オーラソーマのボトルは二層に分かれていますよね。オーラソーマを詳しくは知りませんが、二層に分かれていることは、表と裏の離別性と一体性が示唆され、なかなか興味深いです。
それで、一度感情や表に見える状態とを切り離し、ただ純粋なエネルギーとして見れば、それを変換させたり、コントロールしたりすることもできやすくなるのではないかと思っています。
言ってみれば、エネルギー自体にはもともとカラー・色・性格がなく、それを色づけているのは、実は自分だったみたいなことなのです。
ですから、普段自分がよく意識する世界の色を認識すれば、それに沿って自分の世界が構築されていることがわかり、これが極端だと、まさに何かの色一色な世界になります。
あるいは人から受けるエネルギーのようなものも、その色がわかれば、違う色に自分が塗り替えるような意識を持つことで、色が変化したり、中和したりすることができます。(本来のエネルギーは無色なため)
ところで、「バラ色」とか「真っ白」とか、頭の中や心が色で表現されます。
それは普通は、外側の(起こった)世界が楽しいからバラ色に見えるわけですが、これを逆転して考えることもでき、自分がバラ色だから(バラ色になれば)(外の)世界がバラ色のようなことが起こるというようにも言い換えられます。
逆もまた真なりが、結構マルセイユタロットでも表現されていることなのです。
そういう意味では、自分が各色を、どのように性格付けているか、どのように感じているのかを分析・認識することは大事です。
一般的・客観的な色の意味・性格ももちろん存在しますが、それに囚われすぎると、色から自分や世界を変えるということが難しくなります。
ただ、個人ではなく、全体性(人類の思い描くある種の共通パターンや型・アーキタイプ)を考察し、個と全の関係を色で見ていく場合は、自分の感じている意味と、カラーセラピーや一般的に言われている色の意味との比較は有用です。
単純なことでも、自分の好きな色が、相手もその色がスキだというと、相性は一時的にはいいと取ることができますし(ただし、平凡な関係になることもあり)、実は同じような色が好きなだけなのに、相手のこともスキと錯覚してしまうこともあります。
よく例えられる「相手の色に染まる」「自分色に染め上げる」みたいなことは、見えない世界では本当にあると言え、そうなると二人の間で世界観はエネルギー・色的に共通して、心が通じ合いやすくなるでしょうが、これを意図的に行うと、ある種の洗脳にもなって、怖いことになります。
いずれにしても、エネルギーに色がある、または色をつけるということ意識すると、結構面白い見方ができます。
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