自分にいる別の自分・性格
あなたはこんなことありませんか?
人から「いつも幸せそうでいいですよね」とか、「あなたは悩みなんてなさそうね」とか言われると、「そんな脳天気じゃないわよ!」「「私にも悩みはある!」と反発したくなるとか、
また逆に、「あなたはいつも疲れているみたいね」とか、「精神的に弱そうに見えるものね」「あなた、大丈夫?」なんて言われると、「いえいえ、こう見えても結構強いところありますよ」とか、「私、案外、大らかな面あるんですよ」と、反抗したくなることもあるかもしれません。
何と言いますか、悪く言えば「へそ曲がり」や「天の邪鬼」の部分が、違う言い方をすれば、他人から指摘される部分とは別の部分があることをわかってほしいというような、そんなところが人にはあるようです。
もちろん、他人から言われた通りの部分が素直に認められることもあるでしょうし、指摘されてもまったくその通りだと肯定できる場合もあると思います。
しかし、先述のように、他人からの見た目の印象とは違う、まったく別の部分もあることを自らアピールしたくなるのも人間です。
ということは、自分自身、正反対(人が見たり、感じたりする自分の印象とは反対)の自分が存在していることがわかっているわけです。
その反対部分とは何者なのでしょうか?
やはり、これも自分の中の自分と言えるでしょう。
それも普段はいなくても、他人に反対のことを言われて登場してくるような人物、詳しくは内在する性格(パーソナリティ)のひとつとも言えましょう。
このように、自分の中には様々な性格・人格が同時に存在し、自分というのは単一の性格存在ではなく、結構複雑で輻輳したもので成り立っていることがわかります。
そうした自分にある(いる)数々の者たちが、自分の中で争わずにいれば、それほど問題ではないのですが、さきほど「正反対」と言ったように、時にはまったく反対同士のパーソナリティを持つ(出てくる)こともあるわけです。
そうなりますと、それ同士の戦いも起こりえます。これが心の問題や葛藤、現実の何かの選択に影響を及ぼすことがあるのです。
一方で、それらのパーソナリティをまるでひとりのそれぞれの人間として考えると、その存在を認めて欲しい人間(性格)もいたり、いつも出ている人格なので認めるも認めないもなく、でも主人公でいたいという者もいるわけです。
そのどれも自分ではあるわけですが、真実はどれも本当の自分ではないとも言えます。
生きるための便利な仮面(ペルソナ)になっていることもあります。
ではどうすればいいのかと言いますと、結局、それらを統合して、完全なる統合人格・人間になるのが一番です。
ですが、そもそも、どういう人格・性格・パーソナリティが自分に存在するのか、存在しているのかを発見しないと始まりません。内在人格の自覚といってもいいですね。
特に普段隠れていて、天の邪鬼のように出てくる性格は、存在を認められたがっており、きっちり受容してあげないと、暴れたり、変なところで登場して悩ませようとします。
よく、悪さをする子は、実は寂しがり屋で、かまってほしいから、存在を認めてほしいから、ということがあるのと同じです。
そして、王様・主人のようにふるまい、偽善ぶって、いい人や力があるように見せかけて、メインとして出てしまっている性格も、調整が必要です。
とにかく、認めるものは認め、受け入れ、強く出過ぎているものは控えてもらい、自分の中の様々の性格を飼い慣らしていくことが大切です。その第一歩は様々な性格の自覚(受容、さらにはその性格を持つことの許し)となります
飼い慣らすというと、ちょっと力ずくのような、支配するようなイメージですが、友人のように仲良くしていくというもので、媚びたり、抑圧したりするものとは違うという意味です。
ちょうど、そのための示唆となるのが、マルセイユタロットでは「力」のカードでもあり、「戦車」のカードでもあります。
そして大アルカナと呼ばれる22枚のカードはこのような人格やパーソナリティも象徴します。
ところで、パーソナルカードという数秘術から出たタロットカードの技法がありますが、これも深く使えば、パーソナリティ統合に使えますが、表面的に扱うと、数秘とカードの象徴を混乱させ、逆効果になります。ソウルカードという技法も同様です。
この両者(ソウル・パーソナル)は実は慎重に扱うべき技法と言えます。
ですから、まだ単純に数だけで表したほうが、象徴性がわかりやすいかもしれません。この話は象徴の適用フィールドの差ということで、またいつか別記事で書きたいと思います。
タロットは、タロットの絵柄の象徴を中心に使っていくのが無難と言えます。
それはともかく、自分の中にある様々な性格・人格を発見し、統合していく作業は、自分を生きやすくするためにも、霊的な意味でも重要だと考えられます。
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