人にも「脱皮」があること。
マルセイユタロットには「脱皮」をイメージさせるカードが幾つかあります。
典型的なのは「13」の人物、そして「月」におけるザリガニのような存在です。
ほかにも「吊るし」の人物も、ある意味、脱皮前のような印象を受けますし、その他、これは秘密になるので言えませんが、数枚、脱皮を彷彿させるカードがあります。(ぱっと見ではわかりません)
そしてそれらのカードの続き番号のカードには、必ずと言っていいほど、殻を破る激しさと、脱いだあとを癒すかのようなカードが配置されているのです。
やはり、皮を破る勢い、強さのエネルギーと、そのあとの傷を保護したり、癒したりするエネルギーの両面あってこそ脱皮がかなうのでしょう。
現実的には、人は脱皮をしませんが、象徴的に考えれば、脱皮現象はいろいろなシーンで行われているといえます。
精神的には幼く・古い自分から、強く新しい自分になる成長かもしれませんし、体でいえば、細胞の増加、再生、体躯の発達でしょう。
実際に体の細胞は見た目はわからなくとも、毎日死んで新しいものになっているようですし、数年のサイクルで入れ替わっていくと言われていますから、甲殻類や爬虫類的な脱皮ではなくても、私たちは脱皮を繰り返していると言ってもよいのかもしれません。
ところで人の記憶やデータというものは、一般的に脳にあると考えられていますが、最近はでは腸(に住む微生物も含む)にもあるのではないかと言われたり、心臓など、ほかの体の部分にもあると推測されたりしています。
私はさらに、タロット的に考えて、細胞ベースみたいなものにも記憶のようなものが宿っているのではないかと想像しています。
汎神論のように見れば、どんなところでも「神」が存在し、ほんのわずかな細胞にも神性と意識のようなものがあるのではと思うのです。
ミクロの細胞ではなくても、現実的には体の個人的な特徴・癖・傾向として考えてみてもわかります。
もちろんそれは長年の姿勢のようなものからでしょうが、精神的なもの、感情や思考の癖によっても体は個性(いい・悪いを含む個人的特徴)をもって作られてしまうことがあるように思います。
意識と体はバラバラではなく、やはり関連があってつながっていると見ますと、象徴的には、意識の脱皮(変化)が行われる時、体(の細胞)の脱皮も著しく促進されるのではないかとイメージできます。
その反対もあり、体(や内部に取り込むもの)を変えていくと、精神的な脱皮も進むと予想されます。
皮は殻だとも考えられ、それは一種の鎧であり、自分を守り保護する防御装置でもあると同時に、重たい囚われ、枠でもあります。
脱皮をする生物を見れば、やはりどの段階でも、その姿になっているのには意味があり、それでないと自分を守れず、適応しない部分があると考えられます。
ですから無理に脱皮をすることは、逆に危険でもあるのです。
自分のブロックや枠を強引にはがすことは、まだ固まっていない内部の柔らかな体がむきだしになって壊れてしまうおそれがあります。
ちょうど、昆虫のさなぎの内部がドロドロに溶けて、まだ変容中である途中で開いてしまうようなものです。
つまりは変化の前の準備期間、一定の安静期間が必要ともいえます。
先述したように、脱皮には壊すエネルギーもいれば、癒すエネルギーも必要で、それは、両方とも他人の手によってなされる場合もあるでしょう。
どちらにしても人が介入し過ぎると、バランスが崩れ、当人には苛烈なものにあるか、過保護的なものになるかです。
マルセイユタロットの「月」のカードには、ザリガニとともにそのカード名の通り、天体の月も描かれ、月の周期に生物的な産卵・懐妊・出産のようなリズムがあることを示唆しています。
変化(脱皮)の前の安定、安静、静寂は、時に人によってはうつ的な状態や、やる気のなさ、葛藤で前に進めない状態の場合もあります。
極端な場合は、まるで後退しているかのように感じることもあるでしょう。
脱皮なのですから、前に行ったり後に戻ったりして、モゾモゾと古い皮をはいでいくこともあり、それは後退しているように見えることもあるのです。
自分の、とくに心理状況や、変化のリズムというのはわかりづらいところがあります。
それでもマルセイユタロットのような象徴ツールがあれば、見えない意識層を絵のように見える形で顕在化することができます。
もし「脱皮」が示されるカードが出れば、シンボル・象徴的に、自分の状況も「変化」の時にあることが客観的に把握できるというものです。
さらに小アルカナというパートも使えば、そうした内面的変化を、現実的な世界、実際の世界においてどう調整、表現していくのかということがわかります。
例えば、「脱皮」は大アルカナでは象徴的であっても、現実的には仕事で表現されるのか、恋愛で表現されるのか、その期間はどれくらいか、実際の数値基準として、小アルカナで見ていくことができます。
さらに面白いことに(意図的ですが)、マルセイユタロットでは小アルカナの数カードと呼ばれるパートは、絵というより記号になっています。
つまり、余計なイメージが思い浮かばないようにそぎ落とされているわけです。
それは、さきほど言いました、現実世界での数値などとリンクさせるため、関係ない分野までイメージしてしまって混乱することのないようにする配慮だと言えます。
話が少しそれましたが、人にも「脱皮」はあり、それは誰でも繰り返し経験することなのです。
そして脱皮前のあなたは、それはそれで必要な形態(心・体)であり、あなたの「今」に適応したものです。
それが古くなって、バージョンアップを必要とするようになれば、脱皮の準備が始まり、いよいよ、次の新しいあなたに生まれ変わることになるのです。
逆に考えれば、苦しい時、つらい時、葛藤が続く時などは、ある意味、それはもう古いあなたでは対応できなくなっているということであり、脱皮が促されていると見ることもできるです。
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