グループ・仲間の両面性
マルセイユタロットに「太陽」というカードがあります。
さんさんと輝く巨大な太陽の下で、二人の人物が手を取り、喜び合っている姿が描かれています。
この二人は同志であり、仲間であることが伺えます。
ここに描かれている二人の象徴性は、非常に高次なものと考えられますが、あえて今日は次元を落として、普通の仲間やグループというものをテーマにしてみようかと思います。
日本人は共同性や同じ感覚を共有したいという意識が強いせいか、仲間やグループが重要な役割をもったり、逆に束縛や所属意識を強めたりするところがあるように思います。
日本的表現の代名詞にもなっている「漫画」や「アニメ」においても、仲間意識の強調、シンボルの共有、仲間のために頑張る、仲間のために命をかけるみたいなことが描かれます。
それで感動することもある反面、そこまで仲間に思いを寄せるのはどうかという疑問がわくこともあります。
仲間思いがよい面があるのは確かかもしれませんが、奥底には仲間がいないと安心できない気持ち、仲間の承認を得ないと確信の持てない心情、自分一人では自信の出ない状態が隠されていることもあるわけです。
心理的にいえば、仲間との共依存の関係とも言えましょう。
最近は精神世界でも、心理などの方面でも、さらにはビジネス・成功系でも、仲間やグループを作ったり、意図的に作られたりしていることが多いように感じます。
同じ志をもったグループや、同じ学びの仲間を形成することは、よいことがたくさんあります。
私も実際に、マルセイユタロットを学んだ(学ぶ)人たち同士で交流する会を開いたり、情報交換できる掲示板を作ったりして、つながりを重視しているところがあります。
それは、特にタロットのようなものは、一般社会では特殊な学び(趣味の場合もあるでしょう)になり、なかなか普通にタロットと、そこに描かれている内容について話し合ったり、気づきを分かち合ったりするような機会・人がいないからです。
つまりは孤独な学習環境となりますので、それを解消するためにも、グループは必要なものと考えているのです。
また同じタロットを学んでいるので、例えばタロットリーディングにおいても、逆に自分とは違う読み方の視点も得られ、固定観念を打ち破るような、いろいろな刺激にもなります。
それから心理的な学びのグループにとっては重要なことになると思いますが、自分の価値を認めるうえで貴重な経験と場所にもなります。
自己を尊重していく自己肯定の過程においては、実は他人から、ありのままの自分を肯定されたり、評価されたりする経験が必要なことがあります。
自己肯定は、すなわち、自分を愛するという言い方に換えてもいいかもしれませんが、それは簡単なようで難しいものです。
いくら自分を愛することが重要だとわかっても、なかなか自分を愛することができない現実もあります。他人から愛されたり、肯定されたりした経験がないと「愛」の感覚すらわからないものだからです。
そういう場合、自分を出せる安心した仲間うちの環境は大事です。
このような場所ならば、お互い暗黙の了解があり、認め合うのを前提としていますので、その人のよいところを発見したり、そのままを肯定できたりしやすい環境にあるわけです。
そのため、他人からの肯定、ポジティブな評価が得られやすく、自信がつくのです。そこから自分で自分を認め、尊重する方へ向かいやすくもなります。
そういう意味でも、同志、仲間とその集まりは、大切な存在と場所になります。
ところが、何事もプラスあればマイナスありです。
最初のほうで、仲間やグループは、束縛や強制にもなると述べたように、あまりにも仲間意識が強固になりすぎると、様々なマイナス面を見せます。
それは一言でいえば仲間と、その磁力のような場所、仲間うちのルールに囚われるというものです。
またあまりにも居心地が良すぎて、お互いの成長を阻害し、なれ合いの関係を生じさせることもあります。
もっとひどい場合には、成長しよう、新しい環境へステップアップしようという人が、仲間への裏切り行為みたいに思われ、いじめや非難を受ける場合があります。まさに人の足の引っ張るわけです。
その仲間やグループが、有名で大きな影響力を持った講師や先生、何かカリスマ的なパワーを持つ人を中心に形成されている場合、その中心の人が「神」のようになり、その方への忠誠心が試されるようなグループになり、非常に束縛感の激しい組織になっていることがあります。
そうすると、批判や異論がはさめないのは当然で、自分はちょっと違和感はあるのに、仲間は賞賛しているから、自分もそうしなくてはならない・・・みたいなことが起こってくるわけです。
このようなグループは、もはやマルセイユタロットでは、「悪魔」によって作られたグループをイメージさせます。
この「悪魔」のカードと、最初に述べた「太陽」のカードとは、ある象徴で強い結びつきと違いが示唆されており(関係性の深いカード同士ということ)、とても興味深いです。
今はSNSが発達しましたので、承認欲求も過剰に刺激されることになっていますから、仲間うちのお互い(個人・個人)の承認欲求も激しくなり、何らかのレスポンス(反応)を返さないと、仲間はずれにされる(実際は自分がそう思ってしまうことのほうが多いでしょう)不安にさらされることになります。
このように、仲間やグループはとてもよいプラス面がある一方、現代においては、それと同等なくらい、マイナス面、危険な部分も含まれています。
遊びにおけるグループ・仲間はそれほど深刻にはならないかもしれませんが、学びにおけるそれは、共生のつもりが強制にならないよう、自分でも注意しておく必要はあるでしょう。
何かグループで違和感や苦しさ、つらさ、強制感を感じたり、そこから離れようとすると攻撃を受けたり、足を引っ張られたりするものは、やはり何かバランスが崩れていると見るべきです。
ただそれは、グループ自体の問題もあるかもしれませんが、むしろ自分の問題ということがほとんどなのです。
グループはただある特徴をもって、グループとして存在しているだけです。本当はいいも悪いもありません。
あなたの思い方次第で、仲間やグループは、サポートにも解放にもなれば、逆に堕落や束縛にもなるのです。
コメントを残す