時系列的タロット展開の過去パート

タロットリーデイングで、時系列的にカードを並べる場合(方法)があります。

私たちが時間を現実的にとらえる場合、今現在を中心として、過去未来に振り分けたパートの3つをもって「時間」の流れを認識します。

考えてみれば、「今、この瞬間」は刻々と移り変わっていますので、「今」というものが実はないのでは?という気もしますし、反対に、「今この瞬間」の積み重ねや、並列(「今」が無限に並んでいること)によって、時というものができているのではないかと思うこともあります。

それはともかく、タロットカードで、時系列的に展開する時、やはり「象徴」として自分の思う出来事が出ていると見ることができます。

タロットカードのような象徴ツールの面白いところは、この「自分が思っていること」というのが、自分が自覚している、あるいは記憶として思い出すことができるもの以外のものも含んでいることです。

言い換えれば、表面の意識が忘れてしまっているもので、潜在的に残っているものもカードとして象徴されるということです。

言わば、表面的・意識的な自分と、潜在的・無意識的な自分というものが存在し、それぞれが思っている(記憶している、データとして持っている)ことがあると考え、どちらの自分もカードには象徴されるのだと見るとわかりやすいでしょう。

さて、話を時系列展開のことに戻します。

時系列にタロットを展開した場合、最初に指摘したように、過去・現在・未来というパートにわかれて見ることが普通となります。

占い的に見る場合は、現在から未来パートの方向性に重点が置かれるでしょうが、カウンセリング的に見た場合は、逆に現在から過去パートのほうに焦点が向きます。

そして、先に述べた、意識的な自分と無意識的な自分の統合を果たしていくようにするのです。

この二人(意識的自分と無意識的自分)が乖離してしまった原因やデータが、過去パートのカードに象徴されていると見ます。

私たちは、恐れや不安、強いショックを感じた時に、心と身体にそのデータをインプットしてしまう(記憶させてしまう)ことがあるように思います。

軽いものなら、自動的にデータは消去されたり、身体的にも元に戻ったりするのでしょうが、今述べた強い記憶のものは、ずっと残り続けるものと考えられます。

また、弱いものでも、継続的に繰り返されたり、定期的に同じような体験が行われたりすると、やはりデータは刻印されてしまうのではないかと像像できます。

例えば、すでに大人になって環境は変わっているのに、幼少の時の強烈な体験がいまだ残り続けているようなケース、仕事はもう辞めたり、変わったりしているのに、そこで働いていた時の記憶が、身体と心にインプットされたままになっているようなケースです。

こうした場合、毎年のある時期、何かの状況の時に心身の不調が起こるという場合が想定されます。

それは、その強いショックを得た状況や環境と似たようなものになった時、無意識の自分が錯覚して、データが再起動してしまうからではないかと考えられます。

図らずも、周囲の環境や状況が、当時のものと同じような設定をもたらしてしまったので、前のものがゾンビのように蘇ったわけです。

まるで、ある条件が整うと爆発するような爆弾みたいなものであり、しかも厄介なことに、その条件を表面意識は忘れているので、ある意味、突然平穏な日常から一気に恐怖に落とされるような、とても怖い設定とも言えます。

原因がよくわからないのに、不安になったり、体の調子が悪くなったりすることのひとつに、こうしたものがあると思えます。

タロットの過去パートには、そうしたことが現れることがあるのです。

「過去を見るなど役に立たない」と、先行きを知りたい占いの場合には思うかもしれませんが、タロットの展開法と解釈によっては、こうした活用の方法もあるのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top