「恋人」と「審判」 そのコミュニケーション

マルセイユタロットの「恋人」のカードと、「審判」のカードは同じ構造の絵柄を持ちます。

それでも、その違いには明確な線引き・数学的な比率があり(これらのカードだけではありませんが)、そのことは無造作にマルセイユタロットが作られているわけではないことを証明しています。

それはさておき、この二枚には、ある種のコミュニケーションの違いといったものが象徴されています。

そして、ほかのカードとの関連と、自分の経験とも照らし合わせてみますと、興味深いことがわかってきました。

それは、人には、人間とコミュニケーションする時と、人以外のものとコミュニケーションする機会・時間があり、その両方の意識的な気づき自己の変化・変容にも関わっているということです。

さて、私たちが人とコミュニケーションしない時というのは、どんな状況でしょうか?

何らかのことで人と関わりたくないという気持ちの時もあれば、周囲に人がいなかったり、またいじめや村八分など、会話したくてもできない状態に追い込まれていたりと、自分の意志とは関係なく生じる場合があるでしょう。

自分からコミュニケーションを拒んでいても、環境がそうさせていても、それは一言で言えば、「孤独」の状況と言えます。

このような時、誰ともコミュニケーションせず、ただ耐え続けるというのは、相当な意志の強さか忍耐力が要求されます。

普通はあまりに大変なので、そこから、人以外のものともコミュニケーションを取ろうとし始めるでしょう。

もちろん、内なる自分と言いますか、自問自答、独り言のような、自分自身と会話する場合もあるでしょうが、やはり、(心の中の)自分とだけではつらく、ほかの存在と妄想であっても会話したいと思うことになります。

人以外と言いますと、例えば、動物とか植物が考えられますし、そういった「生物」ではなく、モノとか人形とか絵画などのこともあるかもしれません。

いずれにしても、人は孤独の状態に陥った時、人以外のものとコミュニケーションするようになっていくのです。

その状況は、冷静に見れば、気がおかしくなったように見えるかもしれませんし、ほかの存在と言っても、実際にしゃべってくれるわけではありませんから、見ようによっては統合失調症みたいなものにも感じます。

しかしながら、そこに私たちの意識の変容の可能性もあるのです。

追いつめられ、孤独になり、現実の人間とのコミュニケーションができにくくなってつらい状況ではありますが、そこから、人以外のものとコミュニケーションしていくことにより、人でなくても「命」「魂」「エネルギー」のようなものが宿っていることを感じ始めることになるのです。

それまでの、「モノと人間」というように、人間とほかのものが分離したような常識的世界観から、周囲のものすべでが、何か「命あるもの」のように感じてくるわけです。

まるで世界が有機的つながっているように見え、直線から円環的にとらえ直されてくると言ってもよいでしょう。

それはまさに、異種・異質間同士のコミュニケーションから実感する、意識の変容体験なのです。

見えるそのままの形ではなく、その奧に宿る本質的なものと接する機会でもあるのです。

そんなものは妄想であり、自分の思い込みに過ぎないと言えばその通りかもしれません。

ただ、重要なのは、実際に人以外のものに命があったり、コミュニケーションできたりするということではなく、そのような環境に作り替えることのできる「自分」の力の存在なのです。

ただおそらく、スピリチュアル的には、形やモノにとらわれない(人以外との)コミュニケーションを想定することは、非常に重要な視点だと考えられます。

それは別の世界の状態があること、別の次元に気づくことにもなるからです。

たとえ人づきあいが苦手で、人とのコミュニケーションがうまく行かなくても、見えないものとのコミュニケーション、動物や生物、時にはモノとコミュニケートできるチャンスはあります。

あなたのコミュニケーションの能力や豊かさは、実はほかの存在のものとの間にあるのかもしれないのです。

芸術家とかクリエイタータイプの人は、その可能性が高いです。

また先述したように、孤独な状況こそが、通常と異なる異質なコミュニケーションに向きやすい時でもあります。

孤独は不幸とか、寂しいとかのイメージがありますが、孤独にも孤独なりの良さがあります。

何事も両面あり、多くの人とコミュニケーションできる状態にも、逆に言えば、煩わしかったり、情報が多すぎて迷ったり、人に気遣い過ぎたり、時間を取られたりするというマイナス面もあるわけです。

「恋人」カードは、主に人とのコミュニケーションを描きつつ、異質性のものも匂わさせています。

反対に「審判」は、人以外のもの(存在)とのコミュニケーションが示唆されています。

しかし「審判」にも人は描かれていますので、人とのコミュニケーションもが忘れられているわけではありません。(ただし、「審判」の人物たちが、「恋人」カードの人間たちと同じレベルの存在とは限りませんが)

そして、マルセイユタロット自体、様々なコミュニケーションのツールであり、それは全体としての機能だけではなく、一枚一枚においても、それぞれコミュニケートする対象や世界が異なる性質も併せ持ちます。

それくらい詳細に見ていくと、あなたがタロットを使って、何とコミュニケーションしたいのか、すればよいのかということが次第にわってくるのです。

コミュニケーションは、あなたのを迷わせることもありますが、統合的に見れば、どのレベルにおいても、自らの救いになりますし、拡大・成長させていく機会を与えてくれるものだと考えられます。

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