思考の飛翔に遊びが必要なわけ。

前回と似たような似てないような話となります。

私は、スピリチュアルな世界でよくいわれるような、考えるのではなく感じることが重要と言われるのには、反対のことを言いたい立場ですが、しかし、「考えるな感じろ」も正解のこともあると思っています。

感じることもいいですし、考えることも重要、つまりどちらも正解なのです。

しかし、階層やレベルの違いは、思考にもおいても感情においてもあると考えています。

ですから、たとえば、何かの選択や決定において、好き嫌いレベルでばっと決めたほうが、あれこれ条件を分析して決めこともよりスピーディーで、結果的に正解だったということがあるわけです。

ところが、だったら、この好き嫌いレベルでの決め方が何でも有効かと言えば、もちろんそうではないのは誰にでもわかりますよね。

一人の好き嫌いで、国や会社の行く末を単純に決められたら、とんでもないことになります。まあでも、今の日本ではそれのほう実はましかも?ですが。(笑)

それはさておき、思考にはジャンプ現象というものがあります。

あることを突き詰めて考え続けると、突然新しいアイデアが湧いたり、堂々巡りしていた思考のループから脱出できる考えが思いついたりします。

これは意識的にも次元ジャンプ、スピリチュアルな言葉が好きな人には、ミニアセンションと言ってもいい状態です。

こういうようなことは、おそらく、大なり小なり、誰しも経験していることではないでしょうか。

だからわかる人も多いと思うのですが、このように思考ジャンプが起きる時というのは、実は思考がゆるんだ状態と言ってもよいものです。

つまり、ずっと考え続けた圧力が、ある瞬間に解放されることで、別の領域にジャンプしたような状態になっているのです。

ちょうど、身体的に言えば、体を沈み込ませて、その勢い(反動と力)で大きくジャンプするみたいな感じです。

ギリギリの緊張と、突然の弛緩による、その落差のエネルギーが、ある領域に移行させるのだと考えるとよいでしょう。

ということは、リラックス(弛緩)ばかりしているのがいいわけではないのです。

緊張や集中と、タイミングのよい弛緩・解放があってこそ、飛躍的な成長が見込めるわけです。

好き嫌い感情や、単純な直感ばかりで生きていては、アセンションができないことにもなります。

思考していくことで、確かに迷いやよけいなことを考えてしまうおそれはありますが、その集中過程が圧縮したエネルギーを持つのです。

しかし考え続けるだけでは集中しすぎの疲労で限界が来ます。成長する前に壊れてしまっては元も子もありません。

そのため、逆方向の弛緩が必要です。

要するに、昔から言われているように、よく学び、よく遊べということなのです。(笑)

高い思考をもたらせるためには、自分が解放されたり、バカになったり、超感動したりできる大いなる遊びがセットとして必要です。

真面目すぎる人、思考が好きな人は、反対にもっとアホになって遊びましょう。

この場合、重要なことは、自己基準で考える(見る)ということです。

人から見たアホの状態ではなく、自分が思うレベルのアホでいいということです。

あくまで自己基準・自己尺度ですから、ほかの人が見たら普通じゃないかと見えるようなことでも、本人がバカやっている、アホなことしているよと思う状態ならOKなのです。

これはとても大切なことです。

社会基準とか一般的価値観・ルールというのは確かにあります。

でも、人には個性があり、社会生活のためには共通ルールは必要ですが、個人の人生においては、個人基準でいい場合があります。

下手に社会基準に合わせようとかるから、無理があったり、つらくなったりするのです。

自分は自分、人は人、というのが当たり前だと思いましょう。

だから、バカやアホの基準も、まじめさの基準も、相対的なものではなく、自分だけの絶対値として見ればよく、そうしたほうが楽になります。

さて、考えを突き詰めながら、バカになって遊んでいる時、言い換えれば、思考は神(二元統合)になります。

そして、アイデア(idea)とつながり、自身の飛翔が行われます。マルセイユタロットはこの飛翔の象徴が、「」として表されています。

難しいことを考えていて、「あー、もーわからん!」となった時は、まったく別の遊びに興じることが、逆にヒントを得たり、進歩があったりするものです。

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