漫画・アニメの実写化に思う。

最近の日本の(とは限りませんが)映画界では、漫画やアニメの実写化というのが、ひとつの流行りというか、売り出し方になっているようです。

これには、いろいろな現実的理由があるでしょう。

ちょっとネガティブな考えになりますが、売り出したいタレントとかアイドル、女優・俳優がいて、とにかく話題作りのために映画のネタ元として、漫画・アニメが利用されている点があるように感じます。

あるいは、とにかく何か映画を作りたいけれども、ストーリー案やネタがないので、漫画・アニメを使うみたいな印象です。

要するに最初に、売り出したい人、注目させたいことありきということで、原作とか話とか映像とかは何でもいいわけです。

ただ、何でもいいと言っても、まったく話題性のない漫画やアニメ作品では注目度が低いですから、それでは興行的に失敗の危険性も高くなります。

よって、最初からすでに人気のある漫画とか、作品になったアニメから選ばれるのだと推測されます。

いわば、手っ取り早い売り出しということです。

ただ、そんな売り出し的な「映画」とはいえ、経済的・商売的に成り立たないとそうそう連続で作られるわけはないでしょうから、それなりに採算は合う(利益がある)のでしょう。

純粋にその漫画やアニメのファン、作品愛のある人にとっては、安易な売り出しや興行のための実写化は悲しいですし、怒りすら覚える人もあると思います。

実際、登場人物のイメージはおろか、内容や世界観さえも、原作やアニメ化されたものとはほど遠いものばかりで、出来上がったものは、いわば、たちの悪いコスプレ映画みたいになっています。

目的が作品愛、好きな作品をどうしても実写化したいという思いからではないので、そうなるのも当たり前でしょう。

とはいえ、最初からオリジナルな話と映画を作るのは、今やとても難しく(脚本家とか物語のクリエイターとかが育っていないように思います)、一から作品を作ると、時間とお金もかかるうえに、できても、まったく売れない危険のほうが大きいと思われていることもあるのでしょう。

それならば、人気の漫画やアニメに頼るというのも、商業的にわからないではありません。

しかし、それでは根本的な「創造」にはほど遠く、このままでは、模倣や一時しのぎが続き、オートマチックに機械的に生産されるものに成り下がって、新しい娯楽(性)を追求(創造)することでさえ、てぎなくなってしまうようにも見えます。

もちろん、きちんと作品愛をもって映画化されている制作者、最初からオリジナルで勝負したいと熱望されている方もいらっしゃるとは思います。

ですから、これは、映画界とか芸能界とか素人である者が見た、単なる邪推・推測でしかなく、制作の事情など、何もわかってない観客側のたわごとと聞き流していただければ結構です。

ただ、外から見ると、そんな風に見えてしまうのだということです。

長々と今の日本映画の風潮について書いていますが、これがいったいタロットと何の関係あるのかと思うかもしれません。(笑) でもあるのです。

私は先述したように、漫画・アニメの安易とも見える実写映画化に、嘆きと悲しみを、ずっと抱いていました。

しかし、こういうものにも、何か大いなる意志とか、宇宙の流れとかあるのではないかと考えた時、はたと思い当たることがあったのです。

それは、イメージが現実化されているという流れ(の意図)です。

漫画やアニメというのは、いわばイメージの世界です。二次元的と言ってもいいでしょう。

実写の場合は、映画自体は二次元ですが、演じている人、背景・舞台などは、実際にある(いる)ものか、三次元的に物質化された作りものです。

つまりは、実写映画というものは、より三次元というか、物質化、現実化されているわけです。

ここでひとつには、「思考の現実化」みたいなことが加速しているとも言えます。

ただ、それは表側、表面的な見方でしょう。

私はマルセイユタロットに描かれているところから見て、今まで「裏」と思っていたものが「表」化し、反対に「表」と見ていたものが「裏」であることの逆転現象が、時代の進化、もしくは霊性の進化によって起こると見ています。

マルセイユタロット的にいえば、今の映画の状況も、「18」の「月」から「4」の「皇帝」の流れと見えますし、不思議な言い方になりますが、まったくその逆こそが本質だということで理解(示唆)できます。

起こっている物事をそのまま見るのではなく、裏から考察する、意味を反対に見るというような、「吊るし」の視点で、本質が露わになってきます。

結局、漫画・アニメの実写化は、よくも悪くも、本質回帰(一面ではよいこと)の示唆であり、そして一時的には、確かに非常にまずいことにもなっていると言えます。

ですが、少なくとも、今まで単純に現実的事情(理由)などで見ていた時よりかは見方が変わり、「まあ、これも時代(宇宙)の流れか」と、ちょっとポジティブに考えられるようになりました。

けれども、普通の「人間」としての感情部分では、「えー、あの作品を実写化?、えー、この人が主役? やめてくれよ!」と人情的には思います。(笑)

二次元だからこそ表現できるものがあり、そこに良さや美しさ、理想を見ることができるのです。それは、現実逃避的な意味で言っているのではありません。イデアを知るということの重要さでの観点です。

優れた二次元的作品を、三次元(生身での表現)にした時点で、それ(イデア)は失われることを知ってほしいですね。

強いて見るとするならば、三次元に表現されるイデアの精神ですが、残念ながら、今の実写化・三次元作品には、原作愛がないものが多いと感じられるので、必然、精神を見ることも不可能となります。

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