タロットの解釈、リーディングの多様性
タロットを長く扱ってきたり、タロットリーディングで自分や人のことを見てきたりすると、結局は何とでも解釈できるのだと思ってきます。
これは言い換えれば、正解(ひとつの回答・正答)などないということにもなります。
それではタロットを使う意味がないのではないかと思うでしょう。
ところが、確かに読みや解釈としては何とでもできる(どうとでも読める)のですが、それにはある規則性や法則性が存在しているのです。
ですから、「どうとでも読むことができる多様性・応用性・自由性」を思った今度は、逆に、規則性とか法則性があることの確信に至る気づきが重要になってきます。
いや、実は初心者の頃、最初にタロットを習って読んだり、解釈したりする時は、本やテキストから、あるいは先生から教えてもらう読み方の「法則性」「ルール」みたいなものを適用します。
しかし、先述した「あとから気づく法則性」というのは、この初めての段階で他人やテキストから示されるものではなく、自分で発見してわかるものです。
まあ、モノや人によっては、それを初めから教えられたり、示唆されていたりすることもあるかもしれませんが、初心者の頃は、たとえ示されても何のことか、わからないでしょう。
いわば、この、あとで見つけられる法則性というのは、宇宙のモデルや構図、大きな魂的な法則というものに近く、タロット全体の理解が進むにつれてわかってくるものなのです。
マルセイユタロットは実はほぼそのことについては、大アルカナの総合的絵図によって示されていますが、図示されていることと、自分が理解することとはまた別です。
こうした法則性がわかってきますと、タロットを読むこと、リーディングすることが、いかようにでも解釈できることの意味が理解できます。
そしてそれはまったく自由のようでいて、そうでもないのです。
大まかに分けて、3や4、あるいはその合計数として7、あるいは5や10、8や13などの数にまつわる法則性も見えてきます。
結局、読みの多様性というものは、そうしたグループとかレベルとか次元の「違い」による読み方があるということです。
現在、私の講座では、タロットリーディングの技術を向上させるために「リーディングコース」というものを設けていますが、このコース中にも、シンプルな形ではありますが、読みの法則や次元の違いについて解説し、自分のリーディングがどの位置と目的にあるのかの確認をします。
そして、クライアントの求めるところや問題の種類によって、それらは変わってくることを学びます。
ですから、まったく同じタロットの展開が出たとしても、読む階層のレベルの違いによって、読み方はガラリと変わります。
それは最初のにも述べたように、どれが正解というものではありません。
強いて言えば、それはまず第一にはクライアントが持っていると言えますし、同時に、タロットが示す法則性や、ある世界観によって、正解が複数用意されると言ってもいいでしょう。
よく「答えは本人の中にある」という言い方をしますが、それは確かにその通りなのですが、その(本人の持っている)答え自体も、実はひとつではないということなのです。
答えを出す・見つけるのではなく、答えと自分の求める表現をリンクさせる、合わせる、と言ったほうがニュアンスとしては正しいかもしれません。
それはまるでマルセイユタロット的には「恋人」カードと「審判」のカードのリンクみたいなことです。
多数ある自分の中の答えの中で、どの答えが一番今の自分にふさわしいか、求めているものなのかを見て、「答えを選択する」という印象となります。
この、たくさんの中から選択するのが「恋人」カードでもあるのですが、その大元には「審判」のエネルギーが流れていると見るとよいでしょう。
ですから、この二枚のカードは、マルセイユタロットとして、構図が同じで、絵柄の天使や人物たちの配置と大きさは異なっているように描かれているのです。
言い換えれば、『「愛」を知るのに「恋」を体験する』と、この二枚を見ることもできます。
「恋」においては、正解は選択はたくさんありますが、「愛」の次元においてはひとつと例えることもできます。
ただし、禅問答みたいになりますが、この「愛」の次元の「ひとつ」でさえ、たくさんの正解の集合体で、ひとつではないのです。
このことが理解できれば、タロットリーディングやタロットの解釈には「答えがなく、また答えはある」という謎の問いかけの意味がわかってくるでしょう。
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