タロットによる物事の選択(法)

私たちは決断力のある時と、物事が決められない優柔不断な時とも両方を併せ持つ存在です。

とはいえ、これも個性があり、普段から全般的に優柔不断気味の人、何でもテキパキとあっさり決めていく傾向の人がいます。

またなぜ、物事が決められないのかという理由も、人によって、あるいは決めようとする事態の内容によって、それぞれでしょう。

それでも、その中で多いパターンは、理性と感情の狭間で悩んでしまうというものです。

まあ、理性と感情というより、損得的な計算・条件と、好き嫌い的な気持ちがからまって決められない、悩んでしまうというようなものでしょうか。あるいは、常識的・一般的理性判断と、個人的な感情との間で悩むというものもあるでしょう。

直感で選べばうまくいくとうスピリチュアル傾向の人もいますが、その直感が低レベルな子どものわがままのような好き嫌いからのものでは、理性的に判断した選択にはかなわないことは当然です。

反対に、もっとハート(素直な心)で選べばスムースに行くのに、あれこれ考えすぎてわらなくなってしまうということも多いです。

特に現代人は様々な情報にさらされていますので、余計、シンプルに考えることができなくなっているでしょう。

よく言われるように、意外にも、考えすぎて迷いが深くなった人は、最初に決めた(決めていた)ほうを選ぶとすんなり落ち着くことがあります。

それは最初のあたりのほうが、ピュアで、余計な情報・判断が入っていないからだと考えられます。

私は、何を選択しても、結局、いいも悪いもないと思いますが、それは大きな意味、長期的なスパンで見た「人の成長の視点から」では、となります。

やはり、それでも人は短期的な目線、あるいは選択の結果として、経済的成功か失敗か、精神的な満足か不満足かという見方をどうしてもしてしまいます。

それが実生活、現実に生きている人間の心理と言えます。

となると、選択のよしあしを感じることは、誰においても、ある(個別の)次元・レベルにおいては存在するわけです。

これを整理して考えると、こういうことになります。

●その選択の基準を抽象的、全体的、統合的なものからとして見ると、選択はどちらでもない、どちらでもあるとなる 

●その選択の基準を、損得(お金)なのか、精神的満足や安らぎなのか、自分だけのためなのか、多数の人が平均的に満足できるものなのか、など、具体的な選択の中心基準によって、選択自体も個別に変わってくる
(この場合では、選択によって、切り落とされるもの、犠牲となるものも出ます)

実は、タロットを使って物事を選ぶとい方法はいくつか、というより、いくつもあります。

タロットはそういうこと(選択)のために使うと思っている人もいるくらいです。

個人的には、タロットは現実的な選択(あれか、これかみたいな選択)のために使うものではないと思っていますが、使うこともできるように設計されていると考えています。

実際に私も講座ではそのタロットによる選択の方法をいくつかの種類とパターンで教えていますが、ここではその中のひとつをご紹介しておきます。(具体的なやり方は、講座でお伝えしています、ここでは考え方みたいなもののご紹介です)

さきほど、大きな意味では選択の意味はなくなる(どちらでもないし、どちらでもよい)と言いましたので、つまるところ、選択の関心があるのは、個別性や具体性の次元においてということになります。

タロットでは、個別性や具体性の原理・世界は、小アルカナに現れます。

その大元は、四大元素で象徴される世界、すなわち、剣・杯・杖・玉(一般的にはソード・カップ・ワンド・コイン)の4組で小アルカナ中心に図示されているものです。

あなたにとって、その選択の基準が、この4組のどれなのかということが重要です。

引き方は自由ですが、4組のうち、そのうちのどれかがはっきりわかる展開法をすることで、今あなたが選ぼうとしている中心の基準がわかります。

例えば、玉(コイン)が出れば、この選択はお金・経済、実際の利益などの成果が得られること、投資と回収が効率的であることなどの観点・基準が重要ということになります。

そこには好き嫌いとか、心の満足とか、学びであるとかを中心にし過ぎては、選びにくくなるということが示されたわけです。

ここで大切なのは、それが正しいのではないということです。

あなたの今のその選択において、整理(いろいろな層の選択)の基準として、剣とか玉とかが示されたということなのです。

占いとして見る場合は、「それが(出たカードが託宣的に)正しい」と見てもよいかもしれませんが、私はそういう考えで使っておらず、あくまで情報の整理のヒントして、自分が中心になるように(占い依存にならないように)注意して(教えて)います。

そして、そもそもあなたの個別性の選択において、その基準(価値観)そのものが迷いの原因であるということもあります。

いわば、世界観が狭い、枠に囚われすぎているので、今までの選択基準でしか物事が見られず、迷って決められないのです。

先述したように、究極的にはどれを選んでも間違いではないですし、どれでもいいのですが、どうしても、良し・悪し、成功・失敗という枠組みを作っているあなたの価値観が選択の邪魔をし、逆に言えば、それ(あなたの枠)が決められないあなた自身を創っているのです。

大アルカナの「恋人」カードに象徴されるように、迷うことそのこと自体に大きな意味があるのです。

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