クライアントとタロットリーダーの逆鏡作用
他人は自分の鏡だというたとえが、心理的にもスピリチュアル的にもよく言われます。
これはそうとも言えますし、全部がそうとは言えないところもあると思います。
ただ自分と人の(内と外の)世界がつながっていることは、マルセイユタロットの構造、特に「世界」のカードを見ているとよくわかります。
わかりにくい表現となりますが、自分の中心が相手の世界の果てであり、相手の中心が自分の世界の果てになっているという面白いものです。
それはともかく、以上のようなことから、タロットリーディングなど、人の悩みや問題を相談するスタイルを取る時、クライアントと相談を受ける者(タロットの場合はタロットリーダーになります)との関係において、必ず共通点が象徴的にあると考えられます。
これは、似たような経験という場合もあるのですが(そしてそれは両者にはわかりやすいもので、共感につながるものですが)、それと別に、異質なものだけれども、象徴的には共通しているというものがあるのです。
例えばこういうことです。
クライアントが相談がしてくる問題、相談したい主訴というのは、当然、その時空(相談時間と空間)において一番関心のあることです。
ところが、そのクライアントの問題と、象徴的に繋がっていると言いますか、共通しているのは、相談を受けている(話を聞いている)人の、なんでもないことだったり、クライアントとは逆に、楽しいことだったりするのです。
言ってみれば、相談時空において、あまり関心のないことです。
それは逆転の構造(カメラのレンズのようなもの)を持ちながら、根本では共通なものとして、関係していると考えられます。
いわば、クライアントの(ネガティブな)問題(非日常的なこと、エマージェンシーなこと)の解決や癒しには、相談を受けるものの日常や、ハッピーなこと、平穏の中に隠されているということです。
※相談状態のことでも、むしろ当たり前で、相談を受ける者がノーマルでない状態だと、クラインアントの傾いた気持ちをうまく扱うことができません。
これは逆もまた真なりで、相談を受ける立場の者が、今結構深刻に思っていること、関心があることが、クライアントの日常や、あまり意識していない普通の中に関係がリンクしていることがあるのです。
タロットリーディングの時、カードの正逆で意味を変えて読んでいる場合、ちょうど、カードの正逆がクライアントとタロットリーダーでは、まさに反対になるという象徴性を持つことがあります。
要するに、エネルギーの相補性であり、一対多、多対一という、異質表現同士の結びつきが、全体としてはひとつであり、完全となるということのとらえ方です。
私が採用している「カードの正逆を取る場合のタロットリーディング」のスタイル(正逆を取らないスタイルもあります)では、タロットリーダーは、逆さまにカードを見ることになります。
つまり、クライアントから見て、正立や逆向きとなる方向でリーディングを進めるのです。
このことは、意外に重要な示唆を持ち、先述したように、テーマにおいて、逆の関係性を持ちながら、共通の因子を象徴的に持つ構造に合致した見方となります。
ありていに言えば、相手にとってのカードの正立がリーダーにとっての逆向きであり、相手にとっての逆向きが、リーダーにとっての正立と見ることができるというわけです。(テーマにおける逆転のリンク性を見る場合ですので、必ずしも、いつもそう見るというわけではありません)
このような考えでいくと、タロットリーダーや相談を受ける立場の者は、結局、相手の問題の原因そのものよりも、自分自身の、セッション中における意識の変容(気づき)が、相手(クライアント)にとっても重要だということがわかります。
問題解決の鍵は、相手ではなく、自分(相談を受ける者)にあるのです。
なるほど、マルセイユタロットの「隠者」があのように描かれているわけか・・・と納得します。
これとは少し違うとは思いますが、ハワイのホ・オポノポノも、相手がどうあろうと、結局自分のクリーニングに行き着く技法ですから、考え方に似ているところもあるのかもしれません。
タロットの場合は、タロットカードが自己クリーニングの装置であり、ツールになっていると言えましょう。
タロットリーダーがカードとのつながり(理解と親和性)が薄いと、こうした自己変容から相手の変容を起こすということは難しくなり、普通の自分と他人を分離しての相談となってくる傾向が強くなります。
と言っても、ここで述べた方法(考え方)は、いわゆるカウンセリングの共感テクニックとは違うもので、反対に、共感できないところに共通するものを見るという矛盾性を持つ代物です。
それが統合できるのは、タロットカードという象徴性の統合ツールがあるからです。
分離した世界で生きる感覚をノーマルにする私たちの通常意識だけでは、なかなか統合感覚は難しいものです。
感覚と言っても、タロットを学べば、それは理性によって把握できてくるものです。感覚頼りだけでは、それはあやふやで不安定なものとなります。
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