人間関係のあるポイントとタロット
人とのつきあいは難しいものです。
一般的に、人の相談ごとでも、大きな割合を占めるのが人間関係に係わる話です。
それだけ多くの人が人づきあいで悩んでいるということでしょう。
タロットで人間関係を見て、どう自分が考えればいいのか、ふるまえばいいのかということについて情報を得ることができます。
その情報は、見えない分野や隠れたところのものが多く、そのため、自分のみならず、問題となっている相手の人間の見えない分野、つまり心とか感情などの部分も象徴として推測することがある程度可能です。
それは、原理としては、タロット(マルセイユタロット)が人間誰しも同じ共通の心の型を持っているという前提で、それがマルセイユタロットには描かれているからだという理由です。
ただ、人には個性があり、その時その時の思いがあるので、例えば、相手が本当に今どう思っているのかという具体的で細かな内容を当てるというようなことは、本当は無理があるものです。
わかるのは共通の元型的なパターンであり、それが個人のフィールド・状況において選択されると、どう影響されるのかということを、タロットから読んでいくのです。
ところで、人間関係において、問題となる要因はいろいろあるのですが、まず、人の人格(の選択)ということで考えることができます。
前回の記事にも書いたように、一人の人間にはひとつの性格だけではなく、内面に様々なタイプ(人格)を抱えています。
それが普段の何でもない穏やかな環境では、「あるA」という人格(性格を持つ人の状態)でいるのが多いのに、職場だと「Bという人格」に変わるという感じになります。
また同じ職場であっても、慣れているセクションではAになることもあれば、上司と対応したり、合っていないセクションに来たりすると、Cになるということもあります。
これは自己防衛反応や、環境に適応しようとする意味での人格の選択と言っていいものです。
つまり、環境や状況が、その人を一時的に変えているようなもので、もしかすると、一番メインである人格とは異なるものを、あなたはその人に見ているかもしれないのです。
プレッシャーがかかったり、余裕がなかったり、ある信念で凝り固まったりしていると、人は自分を守るために、ひとつの奇妙ともいえる人格に支配され、それを他人に見せてしまうことがあります。
これで人間関係にトラブルを来すことがあるのです。
だから、自分は、あるいはあの人は、ほかの人格や性格もあるのかもしれないと見て、今はこの人格でいなければ壊れてしまうのだ、そう選択せざるを得ないのだと見ると、少し楽になることがあります。
さて、ここでもうひとつ、人間関係のうえで大事なものである「距離感」とか、「関係性のループ」ということについても述べてみましょう。
人と人との間には、微妙な距離感がありますよね。
親しい人ほど近くても許されるものになりますが、たとえ親しい人でも時と場合によっては、距離を置いてほしいこともあります。
つまりは時間と空間、状況によって、適切な距離感は移り変わってしまうということです。
こうした人と人との距離・関わり方の濃密度とでもいいましょうか、それがこのように、実は一定ではないので、色々と問題としてとらえられてしまうのですね。
この距離感の適切さな選択については、意外とカードたちは表現することができ、それを引くことで、今、どの距離感が大切かを知ることができるのです。
それも人間関係の距離は、距離感と「感」がつくだけに、メーターで計るような、明確に測定できるものではないからこそ、見えない分野の象徴化ということで、タロットでそれを見ることができるのだと言えます。
あと、「関係性のループ」というのは、「運命の輪」が示唆することでもありますが、ある決まった関係性を、特定の人たちとの間に繰り返し、行い続けているというものです。
具体的には例えば、疑似家族とか、疑似親子とか、疑似夫婦とか、疑似兄弟とか、疑似親友、疑似成長仲間とか、ある関係に似たようなものを擬似的に形式化する関係性です。
本当にその関係になりたくてやっているものもあれば、結果的にその関係性が、擬似的な何かの関係に似ていることになってしまっているというものがあります。
しかもその関係性は、お互いを傷つけない暗黙の了解で、実は心地よい逃避的なものになっているので、仮の楽園として機能し、関係にある者は、基本、それを続けていこうと(保持)します。
仮に人が変わっても、関係性の形は保持し、それが繰り返されていくというものです。これがループとなります。
この擬似的な、偽りの、でも心地よい関係性の中では、永遠に続いてほしいという錯覚に囚われ、脱出が困難になります。
ただ、現実や物事に永遠はなく、やがてどうしても環境の変化や、第三者の影響、誰かの成長・気づきなどによって、それが壊わされる時がやってきます。
そのショックはかなり大きなものとなります。ですから、その前に、どこかで勇気をもって、擬似的な関係性のループから脱却する決意と行動を持たねばなりません。
ただ、擬似的な関係性が悪いわけではなく、自他ともに癒しや安心の場所になっていることもあるのです。
いわば成長ための「杖」や、一時の船のドッグのようなもので、強く旅立つための、安らぎの場所として、タロットでいえば「杯(カップ)」として見ることができます。
人間関係はお互いに人に気遣い過ぎると、、逆に問題を潜在化させることになって、いわば気持ち悪い関係性を強め、各人に抑圧された感情を蓄積させます。
それが爆発の機会をうかがい、常に火種が隠し持たれているという不安なものでもあります。
また反対に、いつもストレートで気持ちに正直にぶつけるのがよいとしてしまうと、うざい関係になったり、無神経な者が現れたり、土足で人の内面まで踏み込まれているような感覚で、仲間はずれが起きたり、スケープゴートの人ができたりします。
ありのまま、感情のままに行動するのがよいというのは、わがままで幼い子どものうちだけであり、社会で生きる大人には、人に気を遣ったり、自分がどのように見られているのかということを気にしたり、どう行動すれば一番安心か、みたいな選択をしていくのが普通です。
しかし、そのために自分をひどく偽り、感情を抑圧し、取り繕って人とつきあうのも、双方にとって、よいことではありません。疲れがたまり、無駄にエネルギーを浪費する一方です。
それは創造エネルギーを欠如させ、ただ流されて生きる人生となります。
タロットでは四大元素と、心の元型を表すカードたちがあるので、いろいろとバランスを見たり、見えなくてわかりにくい人の関係性のエネルギー、思い方を象徴として見ることが可能です。
他人がいるというのが、私たちの住む普通の世界のわけですから、どうしたって人間関係で悩むのは、ある意味、普通なのです。
だからこそ、それをどうコントロールするのか、どう扱い、整理づけるのかによって(学びや楽しさに変えることでもあります)、人生の質と生きやすさも変わってくるのです。
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