この時期の自分の癒し・浄化・供養
お盆になりますと、過去のことが想い出されたり、懐かしく感じたりすることが、人によってはあると思います。
伝統的にお盆は、普通の人でも日本人なら、亡くなった人やご先祖のことを偲ぶ期間でもありますので、自分自身のかつてのことに郷愁的な思いが出るのも自然かもしれません。
タロットカードを見ていると、一種のパラレルワールド的な発想を見ることがあります。
そうしたパラレルワールド的なもので考えますと、過去の自分、いや過去だけではなく未来の自分も含めて、数多の「自分」の存在がある(いる)と言えます。
これを別データや別次元の自分として見ることも可能でしょう。時系列的な過去や未来の自分も、その時その時の自分として、並列的に存在していると考えることもできます。
お盆の時期は、霊的な扉が開く時だと言われますので、いわば、霊的に誰もが感応しやすくなっているわけです。
いや私たち、今を生きている人間は普段と同じなのかもしれませんが、向こう側の者たち(霊)が、この見える世界の次元の状態にシンクロ(適応)しやすくなっていると言ったほうがいいのかもしれません。
いずれにしても、普段は見えない側の者たちが、私たちの意識にとらえられやすくなるわけです。
ということは、ご先祖や亡くなった人の霊だけではなく、さきほど述べた自分自身の別存在、分霊ともいうべきパラレルワールドの自分も、普段より意識しやすくなることもありそうです。
特に過去ゲート的なものが開くので、それで昔のことを想い出したり、懐かしんだりすることになるとも考えられます。
そして、中にはただ思い出すだけではなく、すごく気になってしまう過去の自分があるかもしれません。
それは言い換えれば、後悔したり、苦しんだりしている自分の姿で、未浄化の自分とも表現できます。
ならば、供養(浄化・癒しを)する必要があります。
それは普段でもできるのですが、こうした通常と別の次元の扉が開いているお盆などの期間は、特に供養の効果が届きやすい可能性があります。
そう、まさに別の世界の自分自身への供養・浄化を、この時期に行ってみるのです。
方法としては、祈りとして別の自分に思念で届けてもよいでしょうし、今の幸せや、恵まれている状態を思って、そのエネルギー(満足や穏やかな心)を送ってもよいでしょう。
タロットがあれば、カードで象徴化して、自分が特に癒しや浄化につながると感じるカードを選択して、思いとともに浄化されていくイメージをするのもよいかもしれません。
普段はこういった別存在の自分は、寝ている時の夢などに現れやすいです。
確かに夢と言えば夢であり、現実の自分とは関係ないでしょうが、そんな夢を見ること自体、例えば心理的には何か心に引っかかっているものがあると言えます。
夢を見ることによって、「イメージ」として顕在化し、浄化を図っているのだと考えることもできます。
「心残り」という言葉があるように、心がそこに残っているわけです。心はエネルギーとして見れば、やはりそのひとつの現れです。
さらに、時間が本来ないものとすれば、心残りという形での何らかのエネルギーの形質が、過去の(あるいは未来と自分が思う)空間(普通の空間概念とは違いますが)に留まっており、それが今の自分に何らかの影響を及ぼしていると想像することができます。
別次元、あるいは心の奥深くに「心残り」の見えないエネルギーとしてあるのなら、それを見える形や意識の表面として浮上させることで、エネルギー(表現)をさらに変化させていることになります。
ということは、それだけでエネルギーが変質している可能性があり、もとあった空間から全部ではなくても、移行(変容)していることも考えられます。
こうしたことで、過去(や未来)のエネルギーが変わり、自分が本当の自分と思っている(つまり今の自分として意識している)時系列での「現実」の選択肢・岐路も変わってくることが予想されます。
皆さんにも、「あのことを思いだしただけで、その時は重たくても、あとで何か心が軽くなった」とかの経験があるでしょう。
そして過去(の事件・誰か)を許したということで、まったく生き方も変わることがあるわけです。
過去だけではなく、例えば未来に希望を持つ気持ちになれただけで(それは選択肢の幅の増加や位置の上昇でもあります)、「今」この時が輝き出し、まさに「この瞬間」が意識から変わります。今という質の変化と言ってもいいでしょう。
私ちは結局とのことろ、今この時しか生きていないと言えますが、逆説的になりますが、その分、無数の並列的な選択肢の(別の)自分、時間軸を意識した場合の縦列的な、過去・未来の自分(世界)というものも、捨てて来たり、同時に存在したりしているわけです。
このように、私たちの「今」というものは、無数のクロス(交差)・シンクロでできていると考えられます。その点では、いつも奇跡的な「一点」にいます。
しかしその一点も、多くの関連性を持つ点であり、点でありながら、極大な円(球)ともいえ、だからこそ、別存在の自分の影響も考慮されるものなのです。
時系列的には今だけではなく、過去、そして未来のイメージ(の可能性・幅)も大事だということです。
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