マルセイユタロットへの占い関連の質問で

マルセイユタロットは日本でマイナーなのか、検索すると同じような記事とか、人の名前とか出てきます。

私もブログをまあまあ続けているほうですので、マルセイユタロット関連での検索ではヒットすることがあるようです。

そのため、時々、マルセイユタロットについてメールで質問を受けることがあるのですが、その中に、とても変だなと思ってしまう質問があります。

それは例えば、「マルセイユタロットは、ほかのタロットより、とてもよく当たるのは本当ですか?」というものや、「マルセイユタロットをやると霊感が出るらしいと聞いたのですが・・」などというものです。

思うに、これらはやはり、マルセイユタロットがあまり一般に知られていないということがあり、変な神秘性とか、特別感で誤解されているのではないかと感じます。

何か、普段はなかなか表に出ない秘宝、それを扱えれば、とてつもない力を得ることができるとでもいうようなイメージでもあるのでしょうか。(笑)

面白いことに、このイメージは、いわゆる聖杯伝説や失われたアーク(聖棺)伝説に近く、実はそういったことは、マルセイユタロットとも関連するものです。

とはいえ、マルセイユタロットを手にすれば、誰でも特別な力が得られるというわけではもちろんありません。

ましてや、占いが必ず上手なるとか、これでしか占えないというようなことはく、ほかのウェイト版(ライダー版)など、いわゆる一般的にはメジャーなタロットのほうが、むしろ「タロット占い」では適していると私は思っています。

その大きな理由は、「占い」で使っている人が多いタロットのほうが、その分「占い」分野での蓄積があるということです。

これには常識的理由と、目に見えない霊的な理由があります。

まず常識的に言えば、占いで使う人が多かったり、時間(歴史)が長ければ長かったりするほど、その技術・知識・経験は積み重ねられ、本やテキストでまとめられたり、講師や先生として多くの人を輩出していったりすることになり、それだけ世界の奥行きと広さが出るからです。

そしてもうひとつの霊的なほうは、目に見えない世界においても、ある種のデータベースが出来上がっていき、そのタロットを同じような目的(つまりここでは「占い」)で使うようになると、そのデータベースに無意識にアクセスしやすくなるという側面があります。

簡単に言えば、占いの直感力がさえ、見えない占いデータベースを利用しやすくなるみたいなことです。

マルセイユタロットの場合、占いというより、ゲームであったり、ほかの目的で使われることがあったので、マルセイユタロットで「占い」となると、皆さんが普通にイメージしている「占い」の方法や答えとは、かけ離れたものになりやすく、この意味では、私はマルセイユタロットは一般的な占いには向いていないものだと思っています。

ということで、マルセイユタロットを習えば、占いが上達するとか、占い的霊感が増すとかはありませんので、その点はご注意いただきたいと思います。

ただ、上記のことも、意味は異なりますが、まったく関係ない話ではありません。

それを説明します。

占いが上達すると言っても、これも一般的な意味での「占い」ではなく、普通の占いを超えた、あるいは別のアプローチによる相談技術・ツールとしてマルセイユタロットは使うと、総合的な意味で、「占い相談技術」がアップする可能性があることを言っています。

「これこれはどうなる?」とか、「相手の気持ちは?」とか、「どちらを選択すればよい?」とか、吉凶選択判断次元のものから脱した見方ができるようになり、表面的な良し悪しではない、心理的・個の魂的レベルでの向上性、方向性を指針として考察できるようになると言ってもいいでしょう。

いわば、占い現場では、ほかの占い師とは違う観点になり、占い師というより、変わったスタイルでの相談援助者ということになるかもしれません。ただ、それで人気や売上が出るかといえば、それはその人自身の考え、お店の方針や営業、お客様の層次第と言えます。

そして霊感の面ですが、これは霊が見えるとか、何か特別な能力でもって別存在の力を借りてチャネリングするような心霊系の霊感という意味ではなく、自身にある霊的な力、神性、直観力を磨く、回復させていくということでの「霊感(霊的な力)」が上げられると表現されるものです。

ここでいう「霊」の使い方の意味が異なることに注意してください。後者の霊は、「物質と精神の統合」「高次のエネルギー」「神性・完全性を表す形」みたいなことです。

それを認識していく、感応していくということを言っているのです。

マルセイユタロットはシンプルな絵柄であり、見た目の神秘性とか不可思議性は、ほかのタロットに比べてありません。

しかし、単純なようでいて、一枚一枚の構図、そして全体の構成、どれをとっても相当複雑に組み上げられており、統一した意図とデザインのもとに仕上げられています。一人の人が思いつきで自由に描いたというものではないのです。

このことは、知れば知るほど驚異的なものとわかり、マルセイユタロットのすごさに思い至ります。まさに宇宙的シンボルとでもいうべきものが描写されています。

よって、マルセイユタロットは、個人の運勢の吉凶とか、狭い範囲での現実的な利益・幸福のために利用するというより、まさに内外・次元の統合、霊的な成長、心理的調和や個性の確立と全体への貢献などのために使っていくものだということがわかります。

占いの目的と方法にもよりますが、低次な占いに関心持ちすぎ、それを実践していくと、どんどん外向きになります。

外向きと聞くと、いいように感じるかもしれませんが、そうではありません。

ここの「外向き」の意味は、自分の運勢や人生にフォーカスし過ぎるあまり、内(自分)向きでありながら、外の運命・運勢・状況・結果に目がいくことを言っています。

これは周りのものに自分を没入させてしまう(外のものが自分を支配し、評価する)ということであり、究極的には依存で、自分を見失うことになります。

今の占い(の一部)には、占い法則でできているある世界観があり、その世界観に自分を当てはめていくようにすることで、さも、占いによって運勢がよくなったかのように錯覚していることがあるのです。

ゲームで例えるとわかりやすいでしょう。あるルールの、あるゲーム世界があり、そこでのルール・法則をマスターしていくこと(言い換えれば、自分をゲーム世界に適用させていくこと)で、そのゲーム世界では得点を上げていくことができるようになります。

しかし、それはその世界だけに通じるもので、ゲームにいる自分も自分本体ではなく、やればやるほど、ゲームにのめり込み、仮象の自分としてゲームでしか生きられない身体になってしまいます。

「ゲーム」は、別の表現をすれば「牢獄」です。

本当はそのゲーム(占いで構築され、そのルールで見ることのできる世界観)を学び実践することで、この世の仕組みとか、宇宙を知るヒントにするわけです。

それにはまりこんではまずいのです。ゲームはあくまでモデルであり、全部や世界そのものではないのです。

このことに気づかないと、自分を真の意味で回復させていくことが難しくなります。

ゲームの世界で遊ぶことが楽しいことはよくわかります。別に遊ぶことは悪いことではなく、まさに娯楽のひとつとして見てもいいでしょう。

ゲームに翻弄されているか、楽しみや成長としてうまく使っているかについては、ひとのつ目安として、感情を麻痺させられていないか、知性を使ったり、増幅させたりすることができているかで判断する方法があります。

つまりあなたが「占い」をするようになって、あまり思索したり、知的に考察したりすることがなくなったとか、欲望を感情的を満足させる(それは中毒や麻痺と同じ)ために、何度も些細なことも含めて「占い」を利用してしまうとか、それ(占い)が毎日気になって仕方ないとかの状態であれば、それはおかしい使い方になっているということです。

マルセイユタロットであっても、ほかのタロットであっても、はたまた、どんな占いツール技術であっても、上記のような症状では、自分が使われている状態であったり、「ある世界観」に囚われたりしています。

自分を閉じこめる方向ではなく、解放や自由に向かって(それは責任と段階もあります)飛翔して行きましょう。

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