シンクロニシティの意味の解釈の前に。
シンクロニシティ、偶然のような必然の一致、立て続けに起こる同調現象とでも例えられ、特にスピリチュアルに関心のある方には、人気の現象です。
シンクロニシティがなぜ起こるのかのメカニズムについては諸説あり、なかなか解説するのは難しいことです。
よく知られているのには、ユング心理学を基盤とした、集合的無意識による他人との潜在的なつながりのようなことで発生していると説明されます。
しかし、それとは別に、いわゆる霊的存在とか、自分(の状態)とは次元の違うエネルギーや存在からのお知らせ、働きかけとして、シンクロニシティが起こる、いや起こされているという説もあります。
言ってみれば、シンクロニシティについては、内側(潜在意識的なもの)からのものと、外側からのもの(別存在からの働きかけ)とに大別されると考えることもできます。
もし、そうだとすれば、このふたつのものを混交して、私たちはシンクロニシティを体験しているのかもしれません。
いずれにしても、シンクロニシティという現象は、今の時点では、まだはっきり(論理的・科学的に)説明できるものではないと言えましょう。
タロット(リーディング)は、偶然引いたカードに意味を見出す技法ですから、このシンクロニシティと大きく関係するどころか、それそのものでもあると言えます。
ですから、シンクロニシティを前提にしていないと、リーディングや解釈も成り立たないところもあるわけです。
そういうわけで、タロットをやっていると、シンクロニシティについて考えたり、感じたり、鋭くなったりするのは、むしろ当然となります。
そこで、私が思うのは、シンクロにニシティといえど、ほとんど思い込みの世界で起こっているのではないかということです。
自分の思い込みと意味づけで、シンクロニシティのように感じてしまうのか、それとは違い、純粋に、偶然の同調が起こっているのか、判断がつきにくいところがあります。
これ(その判断)については、書けるところも一部あります(最後に少しだけ書いています)が、また別の機会に譲りたいと思います。
今回は、そのシンクロニシティで、自分の「思い込み」だろうと、純粋に「お知らせ」であろうと、どちらにしても適用でき、しかも、一般的にはあまり言われていないことを指摘しておきたいと思います。
今、結構、スピリチュアル志向の人には、シンクロニシティとは、宇宙とか魂とか高次からのメッセージのように思われているところがあり、いわば、シンクロニシティからの解釈を好意的、もしくは正しいもの、自分の選択すべき方向性してとらえてしまうことが多いように思います。
しかし、先述したように、シンクロニシティは、自分の思い込みのこともあります。
人は自分の関心が向いたものに対して、必然的に注意を払いますが、それにより、一見、関連性のないランダムなものでも、関連づけてしまう心の作用が働き、それがシンクロニシティのように感じられてしまうとも考えられます。
一方、何か霊的な存在、あるいは自分の内なるものからの呼び起こされたものが、シンクロニシティ現象として現れるとした場合も、そこから解釈されることが正しいとは限りません。
タロットカードでも、カードの象徴性のつながりから、偶然性から必然性へと変わって見ていくことがあります。
しかし、それは内容的にポジティブなものを示しているとは限らないものです。
つまり、シンクロニシティの起こるシステムはどうであれ、それは自分の意識で確実に、何か意味づけしていることには変わりないということです。
ということは、いい意味づけもあれば、悪い意味づけ(解釈と言ってもよいです)もあるわけです。
例えば、何かの会に参加しようとした時、電車の遅延とか、忘れ物とか、子どもの体調が悪くなったとかで、一度ならず二度までも同じようなことがあった・・・とすれば、その意味の解釈としては、「その会に参加することはまずい」というものもあれば、「障害はお試しであり、自分の意志貫徹を試されている」と見ることもできます。
どちらが正しいのかというのは、当人の解釈の範囲でしかありませんので、はっきりとは言えないものです。
ですから、ここで、シンクロニシティの意味を、イエスかノーかとか、正しいか正しくないとかで見るというよりも、結局、自分の心に何かしら引っかかりや、こだわり、関心がある(引っかかりも、いいとか悪いとかの意味ではなく)ことは確かとして考えるとよいのです。
自分にとって何かしらの意味があるから、シンクロニシティとして感じる(またはお知らせされていると感じる)わけで、その解釈を知りたいと思うのが人情ですが、まずは、意味がある(注意が向いている)とだけ見ておくわけです。
一番大事なのは、自分の関心が今どこに向かっていて、そのことについて、どう感じるか、どう思う(考える)のかということです。
先述の例で言えば、自分はなぜ会に参加する途中のことや、電車の遅れなどのことで、それほど気になるのか、そして、もし会に参加できなかった場合の自分気持ちはどうなのか? 逆に、スムースに参加できていればどうだったのか?
このように、シンクロニシティ(と感じたことを)を振り返れば、やっていることが正しいか・正しくないかというよりも、自分自身の興味や学びの方向性、あせりや熱中度についても、違った目で見ることができます。
まあ、それでも、人として、正しいか正しくないかを知りたいと思う気持ちもあるでしょうから、その場合は、シンクロニシティだけの現象に頼らず、ほかの技法で見たり、自分の利害関係から離れているほかの人への相談をして、確認してみるとよいでしょう。
本当にすごい(自分にとって必要な)メッセージの場合は、電流が流れたようなものになったり、ありえないタイミングで、強烈な印象として飛び込んで来たりするものです。
こういう場合は、内からというより、外(別の存在や次元)からのものかもしれませんが。
タロットでいえば、誰がどう見ても、「まさにその通り!」「ホント、そうだよね」「タロットさんのおっしゃる通り」「いやー、これはもう、これしかないでしょう」(笑)みたいな展開が現れる状態です。
ついでに、こだわりやブロック(自分を狭めている枠)も、カードのシンクロニシティとして出ますから、シンクロニシティのメッセージ(の解釈)を好意的・肯定的ばかりに見るのは、希望(欲求)を反映したケースが多いと言えます。
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