何かの選択に迷った時 タロットによるサポート

何かを決めたり、続けたりしたい(あるいは反対にやめたい)と思った時、通常の情報(常識や見に見えるものなど)だけではわからず、直感やインスピレーション、自分の身に起こる現象などによって、判断する(される)ことがあります。

大まかな傾向では、やはり、自分が違和感を覚えたり、そのことに対して、何回も悪いようなことが、特に外側の現象(精神的に感じるだけではなく、実際に悪いことが事実として起こる)として生じた場合、それはノーであったり、保留であったりの意味のことが多いと考えられます。

少なくとも、内と外の投影として見ても、自分の中に何かゴーとかイエスにならない、葛藤する心があり、それが外に現れていると想像することができます。

言わば、外側のシンクロ的な現象も、自分が起こしている、自分で自分に見させているわけです。

ですから、判断に迷った時でも、それは選択しようとしていることが正しい・正しくないというよりも、何かしら自分は、そのことに疑念があったり、すっきりしない部分があったり、凝り固まったりした心があるのだと見るとよいでしょう。

それが実は、自分を縛っていること(逆に言えば守っているものでもあります)なので、それが浄化されれば(クリアーになったり、統合されたりすれば)、予想外の、今まで以上のよいと思えるようなことが現実に発生したり、そもそも選択に迷う、その事柄自体がなくなってしまったりするようなことになるのです。

人生を大局的・長期的視点で見た場合、たいていの選択ごとは取るに足らない(無意味とか軽いものという意味ではありません)ものになり、その局面では非常に重要に思えるものでも、俯瞰して後で見ると、選択後の結果の良い・悪いに関係なく、その体験こそがとても味わい深いものであったと気づくことが多いものです。

その意味では、警告のように思えた外側のシンクロ現象も、結局、いい・悪いのお告げではなく、内なる葛藤の表現だとわかり、よいものを選ぼうとするこだわりが少なくなります。

とはいえ、短期的、自分の思っている価値観の範囲、そして一般の常識的な観点からでは、確かにいい・悪いという次元があります。いわば自我の幸不幸という感覚です。

自我次元(自分の価値観やその時の思いに添った世界観)において、不幸であれば嫌ですし、幸福であれば気持ちのいいことです。それは人間である限り、快不快、痛みと快楽にも似た普通の感覚で、ここからは通常、なかなか逃れることはできません。

そこでタロットによる選択へのフォロー、参考情報を得る技法があります。

ここでもタロットが示すものが絶対正しいという考えでいては、実は余計にタロットを使うと混乱することになるので、そのようには考えないほうがよいでしょう。

その理由とか、反対にタロットが正しいと考える方法などもあることも、お伝えしたいところですが、それはまたの機会に譲り、今回は理屈よりも、技法・やり方のほうを、一部ご紹介したいと思います。

まず、自分にとって、選択時におけるよいカード、あまりよくないカードという色分けを使う方法があります。

本来、カードには吉凶とか良し悪しはないのですが、あえて自我次元の選択においては、それに色をつけましょうというものです。

これは、数とか意味で色をつける(良し悪しを見る)場合もあるのですが、一番いいのは、自分にとってよいカード、悪いカードみたいな判断です。

つまり、自分にとっては、「力」のカードはいいとか、「悪魔」とか「月」が出ると今ひとつとか、このカードは最悪とか、そういう感覚を、カードリーディングの蓄積によって覚えておくのです。

人によってカードの良し悪しは違ってきます。

 

やり方は、物事の選択に、「これをするのはどうか?」という問いで、カードを引きます。

一枚だけではなく、数枚引いたほうがいいでしょう。そして引いたカードで、自分にとって良き知らせといえるパターンのカードが出ていればOKで、その逆はノーということになります。

また、これとは違い、カードの位置、つまり正逆で見る方法(正立はよし、リバースはノー)もあるのですが、正逆ははっきりし過ぎるがために、引く時に迷いや恐れが強すぎて、かえってぶれてしまうことがあります。ただ、正逆で見るほうに確実性が高まる人もいますから、これも個人の性質とタロットの出方によります。

マルセイユタロットの場合、次元の違いが大アルカナと小アルカナでは明確なので、自我次元の選択には小アルカナを使うほうが明瞭になることがあります。

特に、時期、場所、人物などの具体的なことをはっきりさせたい場合は、小アルカナを使うほうがよいでしょう。そういう風に、小アルカナはできているのです。

小アルカナでも、4組に分かれていますので、その選択する事柄が何なのか?ということで使う組も分かれます。恋愛なのか、セミナーの選択なのか、お金に関することなどかによって、異なってくるわけです。

それから、小アルカナの場合は、何が選択の基準として一番大事かということも、4組に分かれているので、明確になってきます。

例えば、我々は「玉」と呼ぶコインの組のカードが多く出れば、結局は経済的なこと、お金の投資性・効率性によって選択されるみたいなことがわかるわけです。

これに対して、大アルカナでも選択の判断には使えますが、本当は大アルカナは自我次元を超えることを象徴しますので、マルセイユタロットの大アルカナに習熟してくると、先述した大局的な俯瞰したような目線が現れ、自我次元における、いい・悪いという選択基準がなくなり、どちらでもよいとか、どちらでもないとか、「ま、どう転んでも経験を楽しめばいいか」みたいな不思議な境地になってきます。

タロットで確かに選択のサポートはできるのですが、私見ですが、最終的には、その選択へのこだわりから脱却するためにタロットを使っていると言っていいものだと思っています。

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