選択の次元 恋人カードから。
タロットは、何かを決めることによく用いられています。
占いにおいてタロットは、長期的な運勢の流れや傾向を知るというより、短期的で、局面的な、何かの選択判断を伴うことに向いていると言われます。
私は占いとしてのタロット活用をほとんどんしませんので、こうした時間の長短や、選択の幅・範囲において、タロットの向き・不向きを感じることは少ないです。
それでも、一般的活用の傾向はあり、同じタロットデッキ中でも、例えば、大アルカナより小アルカナのほうが具体的・短期的なものの判断に使いやすいというのはあります。
それは感覚的なものではなく、きちんとした論理的な理由があります。
タロットを習って最初のうちは、タロットで(占い的)に、例えば「どちら(どれ)がいいか?」」とか、「いつがよいのか?」など、選択判断に使うのは楽しいと思いますし、通常の情報からの判断だけではなく、こうしたタロットからの示唆が、実際に効果的にもなります。
しかし、ずっとタロットをやってきますと、そうした使い方自体にも、また、そもそも選択の迷いから何か一番よいものを決めるという作業そのものに、疑問がわいてくるようになるのです。
もちろん、人間の現実的な生活においては、判断・決めごとはつきものであり、人はそれで生きているようなものです。
とはいえ、迷うことが悪いわけでもありませんし、決められないことの意味を考察するほうが、今何かを無理に決めてしまうことよりも、大切な場合があります。
誰しも、効率的なほうの選択、運がよくなる選択、幸せになるほうの選択、満足感を伴うほうの選択をしたいと思っています。
いろいろな視点(選択で重要視される基準)はありますが、結局のところ、自分にとって「最高の選択」と思える結果にしたいということに尽きるでしょう。
ところが、ここが問題でもあるのですが、その『「最高」とは何か?』となると、実は難しいことになるのです。
現実的・心理的な側面だけではなく、目に見えない部分、霊的なところまで視野に入れると、いったい、何が最高の選択となっているのか、わかづらいものです。
だからと言って、「どんな選択をしてもよいのだ」とか、「人生の選択に悩む必要はない」というつもりはありません。
現実のルールや価値観、それぞれの信ずる世界観、状況によっては、確かに「正しい選択」「効率的な選択」「最大多数の幸福選択」というものが存在します。
その中で、一番よいものを選ぼうと情報収集し、分析し、いろいろな努力をして、やっと選んだという行為は、人として称えられるものだと思います。
その一連の過程、エネルギーの投入が、「経験」としても大事なものになります。
「生きる」「生きている」というのは、結果(ポイント・点・静止)だけではなく、(決断や選択の)過程・プロセスそのもの(点のつながり、面・立体、運動)であると言えるからです。
その結果が悪かったとしても、おそらく、悪かったと現実的(自覚的・意識的)に思う自分の判断とは別に、反対の「良い」と考えられること、現実を超えた意味での判断(判定)がどこかで下されているのではないかと感じます。
それを象徴しているのが、マルセイユタロットの恋人のカードです。
今述べたことが、このカードに描かれている人間達と、上空の天使(キューピッド)によって表現されているとイメージできます。
「すべては宇宙や天に任せればいい」という考え方がスピリチュアルな人の間ではありますが、このカードを見る限り、それは基本姿勢としてよいにしても、現実で生きる私たち人間自身が、迷いながらも選択の努力をすること、一生懸命生きることが重要だと見えてきます。
つまり、任せきっりではなく、よく言われるように「人事を尽くして天命を待つ」みたいな、人として実際にできることはやったうえでの(天からの)縁が生じると思えるものなのです。
そして、現実では、よいとか悪いとかと思う、私たち人間の感じる結果は、「天」のような別次元から見ると、それはまた違った判断と裁定になるものであろうとも想像できます。
要するに、結果は現実次元では重要ではあるものの、別次元では反対のものになったり、まったく違う価値となっていたりする可能性があるということです。
そして私たちは、リアルな現実次元に生きている感覚と同時に、実は別次元にも生きている存在であり、その両方においての生き方があるわけです。
ですから、私たちのしている「選択」は、両方に関係しているものなのです。
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