「なぜなにタイプ」と「それこれタイプ」
私自身、特にグノーシス的な探求に、ここ一、二年はシフトしており、その中で、どうしても厭世的になる思想もあるので、時に、生きる気持ちというものが薄くなってくることがあります。
これは一般的な「死にたい」という気分とは違います。
いわば、この現世でのシステム、幸不幸の矛盾、皆が幸せになれない原因などを追求していくと、グノーシス的な思想と関連して、解決が不可能な次元(平たく言えば袋小路)に陥ってしまうということに起因します。(光がないわけではありませんが)
そういう時は、体のほう(肉体・現実ベース)に意識を向けさせるようにバランスが働き、思考に偏りすぎないよう調整されるようです。タロット的には、剣の組から玉(コイン)の組へと強制移行させられるみたいな感覚ですね。
思えば、タロットにも流れる四大元素の思想は、もはや物理学(科学)的にも医学的にも時代遅れのものではありますが、しかし物事を本質というものでとらえるとするならば、いまだ十分に通用するどころか、重要な示唆があるものだと考えられます。
四大と言えば、4つの気質や本質を示すものですが、これも大きく分ければ、錬金術的には、ふたつの要素に分けられ、その要素がさらにふたつずつあるので、それらが組み合わさって、4つの気質になると考えられています。
いずれにしても、4つをさらに大まかに分けると、2つになるということであり、東洋的には陰陽の世界ということで、太極(根源・ひとつのもの)からふたつに要素が分かれるというところまでは、洋の東西で共通と言えます。
さて、そうしてみると、人には、大きく分けて、ふたつのタイプがあるということになります。
もちろん男女とか、性別で分けるのがもっとも基本となりますが、性格や気質みたいなことでも分けることができるでしょう。
それで、タロットを見ていて、あるいは、タロットで相談していて思うのは、以下のふたつのタイプを想定することができるということです。
A 原因・理由タイプ(なぜなにタイプ)
B 目的・結果タイプ(それこれタイプ)
Aは物事の原因や理由を追い求めたいタイプで、法則や規則、論理、マニュアル、書籍、普遍性を重視しがちで、自分が納得できる他人の言葉を求めます。(なぜ?何が?と求めるので、「なぜなにタイプ」です。)
とにかく、大事なのは自らが理由・理屈として納得すること(それは必ずしも論理とは限りませんが、自分だけの納得ではなく、人への説明も可能であるものということがポイントになります)にあります。
このため、結果がたとえ伴っていても、なぜそうなったのか、どうしてそれが可能になったのかということがわからなければ、真の意味で満足することがありません。
ただ、この納得感は、自分の中のストーリーであってもよく、それが正しいかどうかというより(正しいことにこだわる傾向もありますが)、自分自身と、そして人に対して説明するに当たって、両者の間で筋が通っていると認められたらOKというものなのです。
一言で言えば、原因と結果のつながりの明白さということになるでしょう。
一方、Bは、原因や理由よりも、ある目的のために結果が出ればよいのだという姿勢です。(それだ、これだ、その目的、この結果が重要というタイプですので、「それこれタイプ」とします)
つべこべ言うよりも、行動して望む結果や効果を出す、出れば満足するということになります。
まったく原因に関心を示さないわけではありませんが、なぜそうなったのかという原因そのものよりも、今起きたこと、これから起きること、実際のありのままに現れていることが、それよりも重要なのです。
原因に関心がある時でも、望みの結果のために必要だと思った時に、それを調べるみたいなことになるでしょう。
今、あるいはこれからを納得するための原因(ひとつのデータ)でしかないというのがBタイプの傾向です。
Bタイプは、人にわかってもらえなくても(説明できなくても)、自分の中で納得していればよく、そのため行動も素早くなることが多いです。
ですから、他人の言葉に関心は示しますが、それはあくまで参考意見であって、自分の納得のための後押しに過ぎないという印象です。(Aタイプは自分が納得するための根拠として、人の言葉を思います。Bタイプと似ているようで違います)
A・Bタイプの悪い例をサスペンスドラマ(笑)で例えれば、犯人が罪を犯した要因、事件が起きた原因ばかりを探して、結局、犯人逮捕が後回しになって犯人を取り逃がしてしまうのがAタイプで、とにかく犯人を捕まえること、事件を終結させることに終始し、慌てて犯人だと決めつけて誤認逮捕してしまうようなのがBタイプと言えましょう。
Aのタイプはまた誰にも通用しそうな理論を求めるのに対し、Bのタイプは、自分や個を大事にし、自分自身に通用することが重要だと考えます。(と言っても、どちらのタイプも、それなりに個と全体には配慮します。個から入るか、全体から入るのか傾向の違いだけです)
これらのふたつのタイプも、あくまで大まかなもので、実際にはいろいろな要素が枝分かれして、それぞれに個性を持つのが人間です。
ですから、AのようでBの要素もあったり、反対にBが基本だけれども、Aの時もあるということになるのが普通です。
ただ、こうして、自分の傾向を見ることで、修正を図ったり、自分の個性に正直になったりで、無理のない、自分に合った生き方がしやすくなるのです。
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