暦とその数。数の二面性。
昨日は11月11日ということで、「1」が並ぶ特別な感じを持たれた方、また新しくなったり、何かが生まれ変わったりすることを述べられていた方もあるようですね
このように、人は数・数字を象徴として扱うことができます。
しかし象徴よりも、記号的と言いますか、あまりにも数を意識し過ぎると、人は数に支配されることもあります。
カレンダー(暦)の数字によって、その数の意味が日や時期に出るという考えは古くからあるものですが、冷静に観てみると、そのカレンダーの数は絶対かと言いますと、そうでもありません。
有り体に言えば、採用するカレンダー、暦によってその数も変わるわけであり、だから、例えば昨日が「1」が並ぶので「1」が特別視される日だったのかと言えば、それはあくまで、今採用している暦による数字によってのことなのです。
別の暦だと昨日という日は、別の数字になってしまうでしょう。
仮に、ある暦だと、「2」が強く意識される日だったとしたならば、、数字的には昨日は「2」に関係する日で、「1」とはまるで違うエネルギーの日と言えてしまうのです。
このように考えていくと、誕生日の数でさえ、それはあなたにとって、その数として意味があるのかどうかも疑わしいものとなります。
けれども、こうも考えられます。
たとえ暦が違っていたとしても、今、自分がリアルと感じている世界(地域・国・世界の別はあっても、自分が属し、現実感覚の強い範疇)が採用している暦から出た数字ならば、それはまさに自分にとっては意味を持ってくるのだと。
そう、私は数において考える時、その数が持つ純粋な意味やエネルギーとともに、その数が設定される環境と、自ら(人)の意識が影響する数の面との、両方が関係し合うものだと想像しています。
そして後者があるからこそ、実は数というものは、普遍的な意味を持つと同時に、個別性も出るのだと考えています。
いわば、数とは普遍的・象徴的・抽象的・イデア的部分を持つのと、反面、時間、お金や計算、リアルな数字として意識される現実性、またそれぞれ個人と強く関係する(電話番号・住所・部屋番号などその他もろもろに個人と関係します)意味での個別性と、二面性があるわけです。
数秘術をされる方でも、これらのことがあまり区別されていない場合があり、混乱を呼んでいます。言い方を換えれば、数における次元の違いということになります。
マルセイユタロットでは(に限らずですが)、数に関係するカードとしては、小アルカナで「数カード」いう名前もついていくらいの、「数」と「4つのスート(組)」を象徴したグループがあります。
一方、大アルカナと呼ばれるカードも22枚あり、そのうちの21枚は数を持っています。
この大アルカナの数と、小アルカナの数カードの数とでは次元が違う場合があり、さきほど述べた数の両面性を、カードのグループの違いで示しているわけです。
従ってマルセイユタロットでは、数カードと呼ばれるパートは、大アルカナとは違って、記号的に描かれています。
このように考えていくと、マルセイユタロットにおける数カードの使い方もわかってくるのですが、それはまた別の話といたしましょう。
ところで、暦のことに戻りますが、数から離れると、結局、私たちのいる地球を中心とした天体の動き、それも太陽と月が重要であることがわかります。それらの周期は基本的に変わることがないからです。
その周期を元にして、起点や終点をどこに置くかによって、暦における数の表記が変わってきます。
ただ周期としての時間軸は地球にいる限りは同じなので、もっとも大切なのは、周期とそれを決めている星の動き(もっと正確にいうと、星と星との位置関係)がポイントになってきます。
暦における数の表記は、暦の種類、採用される暦によって違いますから、むしろその数値よりも、天体の位置関係を示すもの(その数も含む)のほうが、象徴的にも普遍性を持つと見ることができるのです。
ですが、先述したように、採用されている暦が当たり前として意識され、その数と自分がリアルに生活に結びつけられている(当然となっている)場合は、個別にも意味をもってきますので、昨日の「1」が並ぶ日も、人によっては「1」という数とともに、シンボリック(象徴的)でエポックなものとなります。
特に今は、日本でも元号表記よりも西暦が世界標準として意識されていますから、そのほうがリアリティをもってきたと言え、普通に西暦の暦(太陽暦・グレゴリオ暦)とその数が、多くの人に共有されたり、意識されたり、意味が出てきたりすることになっていると思います。
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