「手品師」に見る現実世界への移行

まずお知らせです。近いうちに告知いたしますが、東京で現在、タロットリーディングの技術を向上させる講座をしております。

その実践体験として、受講生によるリーディングを受けていただく方を募集したいと考えています。受講生がリーディングをいたしますが、あとで私も監修し、アドバイスをお送りさせていただきます。料金的にもワンコインくらいを予定していますから、タロットリーディングを受けてみたい関東の方、後日のお知らせをお待ちください。

さて、今日、浮かんできたタロットは「手品師」を中心に、二枚ほどありました。

それらの関連性から、精神的なことより、現実的な話になります。

私たちが肉体をもって生まれてきている以上、物質的なもの、目に見えるものでの体験と実感は避けようがなく、まただからこそ、(体験として)必要あるものと考えたほうが、理屈が通ります。

一方で、だからと言って、物欲に邁進すること、物質的なものがすべてと断定してまう生き方も問題と言えそうです。逆説的には、反対の、精神や目に見えない霊的なものへの関心・重要性も示唆している(そのことを、逆説的に実感させられるようになっている)と考えられるからです。

しかし、やはり、この現実の世界で生きるということは、何らかの形、モノ、成果を出すことが求められているようにも思います。それが何の目的かはわからないにしても、私たち一人一人、そして人類全体の学びや成長の一環であることは想像できます。

マルセイユタロットの大アルカナで、最初の数「1」を持つのは、「手品師」のカードです。

彼は大道芸を披露しており、それにはテーブルと芸事(手品)の道具が用意されています。

つまり、彼の何らかの思いや意志は、実際に目にすることのできる(形ある)テーブルや道具類によって表現されているのです。

逆に言えば、目に見えない領域の表現と実現は、まずは自分で形として見せることが必要であるとも言えます。

おそらく、彼(真の手品師)の本当の意志は、この手品を見せることや、芸そのものではないと思います。

いや、この「手品師」自体は芸をする(披露して金銭を得る)ことが目的かもしれませんが、この「手品師」を見ている者、すなわち、カードを見る私たち自身の思いは、もっと高次にあると考えられます。

実は、タロットを見る場合、この「メタ(上部)構造」が非常に重要なのです。

カード(の人物)そのものが表す事柄と、カードを見ている私たち自身がカード(の人物)となって考えること、感じること、これらが統合されて、複雑かつ、ある種のインスピレーションが起きてくるのです。

これは、言っておきますが、カードへの心理的投影というものとは違います。(ここが決定的に、心理カードの類のものと、マルセイユタロットとの違いなのです)

「手品師」を例に取ると、手品師自体がやっていること・思っていることと、自分(カードを見る者)が手品師を観察することで、内奥に息づく「手品師」の真意というものが、自分の中に芽生えてくる(真の「手品師」の自覚)という構造に気づくことが重要なのです。

言い換えれば、タロット全体から見た「手品師」の意味と位置と、「手品師」のカード単体で見ることの違いであり、「手品師」の手品師自身は、自分が思う「今」そのものの関心(つまり大道芸そのもの)を見ており、「手品師」を見る私たち自身は、「手品師」を通して私たちに起きる超越的な意識と、到達する大きな意識の段階のひとつを見ることになります。

最初に戻りますが、これらの考察から、私たちが現実で生きているこの時空間では、自分の思い(理想や意志)は、実際の行動や形として表して初めて、現実世界に出現してくるのだということです。

とはいえ、何も、いきなりの完成や完全を実現させなくてもいいのです。

そこは、今の自分レベルのバランスと能力・資力に応じて、やれる範囲でやってみるとよいのです。

例えば、ミニチュアや予祝(あらかじめ祝うように、形式行為をする)という概念があります。

家を建てたいと思えば、実際の家のミニチュアモデルを作る、結婚がしたいならば、結婚生活(ペアを意味します)のための食器や道具を先に祝福するように用意する、癒しの仕事をしたいのなら、スモールな範囲と金銭での実践を楽しくしてみるなどです。

大切なのは、理想や完全のそれではなくても、また規模が小さくても、どれも現実(実際)に形として現れていること(表すこと)です。

虚空からエネルギーを、形として表現しはじめると言ってもよく、それは意図をもった実際の行動でもあります。

自ら、エネルギーと精神(目に見えないもの)に、鋳型としての現実的な道を作る(形、物質の基礎を作る)わけです。

(魔法の)儀式的には、生け贄や四大元素を象徴するものを置くことはありますが、そういう魔術的なことはしなくても、皆さんが普通に現実でも、魔術(マジック、しかしそれはタネがあるもの、言い換えれば理屈や秩序があるもの)が可能なことが、マルセイユタロットの「手品師」から推し量ることができます。(ウェイト版では、逆に魔術的なことが強調されている絵柄です)

じっとしていて、ただ希望や願望を思うだけでは、なかなか現実として、うまく行かないでしょう。精神やイメージだけの世界ではなく、現実・形・物質の世界にいるのが私たちだからです。

タロットに関心のある人は、やたらと精神世界や、過度のスピリチュアルに目が行きがちですが、こと、マルセイユタロットをきちんと見ていく限り、現実逃避とはならないはずなのです。

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