「皇帝」と「13」の関係性
マルセイユタロットの「皇帝」と「13」のカードには。深い繋がりがあると考えられます。
アルカナ・口伝があるために、ここでは詳しくは明かせませんが、絵柄のうえでもその秘密の一端をうかがい知ることができます。
「13(番)」のカードは、一般的に見て、とても恐れられているカードであり、何よりも、西洋での「死神」をイメージするような大鎌と骸骨の絵柄自体に、「死」や抑圧的な恐怖を感じさせます。
しかし、マルセイユ版のそれには名前がありません。ただローマ数字で「13」と数が書いてあるだけです。
このカードがいったい、いかにも王様然として、豊かさとも取れる安定感を醸す「皇帝」と、どう関係しているのか疑問に思うところもあるでしょう。
まず単純なことですが、「皇帝」は「4」という数を持ち、「13」は単数(数字根)化すると、1+3=4となり、「4」という数が共通して見えてきます。
それが何を意味するのかはあえて言いませんし、タロットではあくまで絵柄がメインであり、数の象徴性とは異なる可能性もあり、むしろ無理矢理なこじつけかもしれません。
それよりも明確に、先述したように、絵柄の象徴性から共通する部分は出てきます。意味合い的にいえば、収穫や刈り取りといったことに関連します。
おそらく、「13」のモチーフのひとつには、サトルヌゥス(サートゥルヌス)という神があるとイメージされます。このサトルヌゥスは、種まきや収穫(刈り取り)を象徴する農耕神であり、ただ収穫するだけでなく、解放も意味していると考えられていました。
時期的には冬至と関係し、つまりは農耕をモチーフとした(農耕は暦が重要であり、太陽の運行と関係してきます)「死と再生」のシンボル神であったと思われます。
一方「皇帝」は、いわば、現実・実際の王様(人間の王)であり、国を治め、(支配する)民と国の繁栄を築こうとする人物です。そこには精神的な理想も重要ではありますが、実質的なもの、国や民を滅ぼさない現実性・安定性が重要となります。
人間個人レベルで言えば、夢や理想だけではない、経済的なこと、現実的なこと、目に見える成果・結果、常識に従う正しさ、大人としてのふるまいのようなものが求められると言えます。
また、自分自身を支配する強い自立性・コントロール・自制心・決断力というものも、付け加えることができるでしょぅ。
しかし逆に言えば、「皇帝」の支配が強まれば強まるほど、国は安定はするものの、中には窮屈に思い、その支配の影響から逃れたいと願う者も出てきます。
国のルールに従わない者は、国外追放か、投獄される場合もありますし、奴隷としてその国で働かされている人がいるとすれば、支配が続く限り、自由は得られないことになります。
個人レベルでいえば、一応の安定は見たものの、さらなる発展や、時流への対応など、自身の変化・成長のためには、一度安定したものを壊さないといけなくなる時がやってきます。いつまでも同じことに執着したり、過去の栄光にすがっていては、ますます取り残されるばかりです。
ところで農耕は、ひとつのサイクルになっています。季節の春夏秋冬に応じるように、種を蒔き、目が出て、生長するまで面倒を見、やがて最盛期を迎え、実がなり、それを収穫し、実から取り出した種を納めて、また種まきの準備に向かいます。
形として見ても、ひとつとして同じ時・状態はありません。植物・作物は日々生長し、人手を加えていくにしても、土を耕したり、雑草を刈り取ったり、水を与えたり、作業もまったく同じというわけではないでしょう。
もし、「同じ」と言えるものがあるとするのなら、生育と収穫のサイクル自体と、大地をもとに植物が生育していくという点です。しかし、その大地さえ、詳細に見ると微生物の働き、天候による変化(乾きや湿り)など、様々です。
このことを考えると、「13」の黒い土や、刈り取る「鎌」、「骨」のようになっている体などからも、一連の変化に対応しようとしていること、新たな変容のための準備をしていること、実際に何かを刈り取っていることなどが見えてきます。
また「種」の中に、その後、開花して実がなるすべての要素が入っているとすると、「13」は究極まで削ぎ落とそうとしている「種子化」だと言えます。
そして、その「13」と「皇帝」とを比べると、両者の力が、まさに対比となっていることに気がつきます。「皇帝」は人であり、安定や生育(保護)、実際、成熟化を象徴し、「13」は神(精霊・聖霊)であり、変化や刈り取り、解放、種子化を象徴していることがわかるのです。
私たちが実際に成長するためには、「皇帝」の力と、「13」の力、両方が必要です。
それは現実の成果と、精神・霊的な成果(収穫)のふたつを、ともに意識して取り組む必要があることを、ふたつのカードが物語っているからです。
また、常に自分が現実(物質的観点で見た場合)の王(支配できたと思う「皇帝」の心)となっていても、裏では「13」の闇の王が君臨しており、それが鎌をもたげて、現実の王(皇帝)を刈り取ろうと狙っています。
この闇の王は、実は「悪魔」ともつながっているのですが、一方では神性でもあり、つまりは私たちの中に眠る、常識や現実を超えた強い影響力と言えます。
「皇帝」となる過程と意味は、成熟した大人への進展、現実・良識・常識になじむという点で、非常に大事なものですが、一方で、さらなる飛躍と霊的な成長のためには、「13」の力も必要とされます。
象徴的な言い方では、「皇帝」となった自分を殺す「13」の力という表現になります。
自分の中にある「13」を認め、受容して行かないと、言いようのない不安につきまとわれ、何をしても満足することができなくなってきます。その中には「死」というテーマもあるのです。
しかし、「13」は大きな解放の力でもあり、常識的な枠を壊して、自らを異次元の領域にまで進ませます。
とは言え、最初から「13」ばかりを目指していては何も生えず、消耗してしまうばかりです。そこには「皇帝」の力もいるのです。
自分の中の「皇帝」と「13」をバランスさせ(4+4はマルセイユタロットの「正義」の数「8」)、調和させると、真の豊穣の女神(4+13=17 「星」の女神)の恩恵を受けることになるのです。
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