天使

今日はたぶん一番短いタイトルです。(笑) なぜか一言、「天使」というのがびったりだと思ったからです。

 
ということで、テーマは「天使」です。
 
天使が好きなスピリチュアル系の人は多いですよね。一般の人でも、天使の存在を信じている人はいると思います。
 
今回は、その天使の実在性を問うものではありません。マルセイユタロットのブログですので、マルセイユタロットにおいての天使を見たいと思います。
 
ずばり、マルセイユタロットに「天使」はいるのかと言えば、これはいると答えるしかありません。
 
正しくは、カードに「描かれている」ということです。大アルカナで見た場合、具体的に天使だと明らかに見える絵柄が描写されているのは、「恋人」「節制」「審判」「世界」の4枚です。
 
それぞれ天使とは言っても、大きさや色、雰囲気など、カードによって「天使」は異なって描かれています。これはマルセイユタロットでは当然の描き方で、天使に限らず、まったく同じ形式で描かれた象徴は、ひとつとしてありません。
 
また、「天使」に限定すれば、天使の中にも種類(違い)があるということですし、逆に「天使」に見えるということでは、4枚はすべて共通しているわけです。(「天使」の存在性を主張している)
 
では、マルセイユタロットでの「天使」とは何の象徴でしょうか? 細かく言えばいくらでも考えることはできるのですが、まずは四大元素で言えば、「」の象徴性があてはめられます。
 
ただ、もっと広い意味も含めると、私個人的には、サポートや救済(助け)、援助、結びという言葉が浮かび、一言で言えば、「(大きな)愛の中の(様々な)愛」「愛を表現するもの」を象徴していると感じられます。
 
愛をテーマにすると、いわば神(全)=愛ということも考えられますから、何も天使がすべての愛を象徴するとは言えないのですが、それでも、愛を色濃く感じさせる存在が天使だと見ることができます。
 
一般的に思う「天使」は、普通の人間には見えず、別世界・別次元の存在として私たちを見守っているというイメージが出ます。
 
確かに、マルセイユタロットにおいても、物質・通常(常識・現実)次元に出てくる「天使」は、「恋人」のキューピッド(クピドー)のみで、しかも厳密には、「恋人」のキューピッドは、天使の種類には入らない可能性もあります。
 
従って、やはり、「天使」とは、通常の意識ではとらえがたい何者か(またはエネルギー的な何か)である、ということは、マルセイユタロットからもうかがえるわけです。
 
しかしながら、ここでは詳しく言いませんが、大アルカナ全体の見方は多数ありますので、それらのひとつから見ると、実は現実世界での普通の人間でも「天使」となりうることがあると言えるのです。
 
どういうことかと言いますと、結局、「天使」が、先述したように、愛を表現するエネルギーや形のようなものであるならば、愛をもって仕事をしたり、人々と関わったりしている方は、「天使」だと想定できるわけです。
 
もう少し詳しく言うと、人の中にある「天使性(愛)」を表現している人ということになります。
 
人間は、悪魔性や、肉体的・感情的欲求に突き動かされる、まさに泥臭い人間性(動物性にも近い)も持っています。そして対極に、神性や天使性もあるのです。
 
それが対立する様は、「恋人」カードなどでも顕著に描かれています。ただ、単純な善悪で考えない方がいいです。「悪魔」にも良さがあります。数の順番では、「節制」の天使の次に「悪魔」がいるくらいですから。
 
それはともかく、私たちはいわば、愛を忘れない限り、「天使」であるとも言えます。
 
ただ、意識的に天使業をしている人、または結果的(無意識)に天使業になっている人、さらには、回り回って、言ってみれば天使の連繋によって、誰かを救済することになっていたり、誰かに愛が贈られたり(贈られたり)していることが、現実世界ではあるということです。
 
例えば、医師とか看護師とか、消防士とか警察官とか、まさに直接人を助けたり、守ったりしている人がいるわけですが、それは職業でもあり、人を助ける意識は当たり前で、無意識に近いものでしょう。
 
一方で、自分はヒーラーになるとか、カウンセラーになるとか、上記の職業(医師など)に就いている人でも、人を助けたいという志をもってそれになった人は、意識的な救済者・愛の実践者、天使だといえるかもしれません。
 
また、自分の行った何気ない行動とか、別に意識して言ったわけではない言葉、特段意図をもって書いたわけでもない文章が、実は間接的に誰かの為になっていた、誰かの励みや救いになっていたということは、この世の中結構あるものです。(反対に、意図をもって、人を助けたいと思って述べた言葉、文章などもありますし、それが意図とは別の意味に受け取られることもあるわけですが)
 
これは本とか絵画とか創作物とか、商品とか、普通の仕事とかでも、あらゆる人の活動において言えることです。
 
こういった現実の生きている人間だけではなく、亡くなった両親や祖父母、伴侶、友人、知人、昔の偉人、戦争などで誰かや国のために命を捧げた方々、犠牲になった方々も含め、すでにこの世にいない人間からでも、私たちは示唆を受けたり、愛を感じたりすることがあります。
 
それらの人もまた、「天使」だと言えるかもしれません。
 
こう考えると、マルセイユタロット的には、「天使」とは、目に見える見えないに関係なく、愛を感じさせる人や物事すべてであると言え、それを反転すれば、すなわち、愛を実感できる自分自身(の内なる天使性)だと言うことができるでしょう。
 
冬の寒さに人や物事の温かさをかえって感じることがあるように、試練や厳しい状態にいる時、世の中には悪魔や獣しかいないのではないかと感じる状態の時こそ、実はそばに天使や神がいることを認識するチャンスでもあるのです。
 
その天使は、いわゆる絵に描いたような天使とは限らず、その意志を受けた(当人たちは無自覚でも)普通の人たちであったり、エネルギーとして、別の表現(モノや事件)であったりすることも考慮に入れると、確実に天使の実在を思うことができるでしょう。

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