「手品師」からの視点と「世界」からの視点

これは以前にも書いたことがありますが、マルセイユタロット的に見れば、人生は数の上では「1」の「手品師」から見る方向と、逆の「21」の「世界」から見る方向とがあります。(あるいは、見方によっては、数のない「愚者」を「手品師」の代わりとして見る向きもあります)

 
実はこの両方向は、人生というより、根源的な深い、ふたつの方向性を示すのですが、それは講座で説明していますので、今回は省きます。
 
いずれにしても、タロットのアルカナ(口伝・秘密)を知れば、この二枚が絵柄の象徴として繋がり、関連していることは明白です。
 
しかし、ここではそうしたアルカナや暗号を除き、誰でもわかるもので、表現します。
 
さきほど、「手品師」からと「世界」からのふたつの人生の方向(見方)があると言いました。
 
これは簡単にいえば、「始まりから見るか」「終わりから見るか」の違いです。
 
まだ未完成、終わっていない、成長途上、過程やプロセスにあるという先行きを見る方向性と、反対に、もう終わった、完成した、結果が出たという、結末から見た方向性と言えます。
 
私たちは、このどちらかの視点で人生を見ることが多いわけです。
 
何かの夢や目標を持って進んでいる時は、当然「手品師」からの方向性になります。
 
この状態では、まだ自分の思う目標や目的が達成されていませんから、「まだまだだ」という思い、ネガティブに言えば、「あせり」のようなものも見える状態です。
 
他人や一般的価値観・常識と、自分の状態とを比べてしまいがちになるのも、この方向性にある時です。
 
それはまだ(目標・思い描くことが)達成されていないことで、自身の未熟性、欠如を思い、それがうまく行っている(達成されていると思う)人に目を向けさせ、比較してしまうことで、不足する自分との違いがさらに際立ってしまい、いらだちやあせりを生むという構造です。
 
しかし反面、まだ未到達なのですから、可能性の途上にあると言え、当初の目標を超えて完成したり、成長したりすることもあるわけで、言わば、夢のある(夢を見てもいい)状態でもあります。
 
実際の年齢層では、少年少女、青年時代、いわゆる若い世代の時と言えます。ただ、象徴的・精神的になりますと、年齢には関係なくなります。
 
一方、逆の「世界」側から見る方向とは、もう達成された地点から、これまでの過程を振り返る視点になりますので、すべてのことは結果のために起こった必然と見ることが可能になります。
 
まさに、「終わり良ければすべて良し」ではありませんが、結果オーライとして、幸せと安心感に包まれることもできます。
 
けれども、終わってしまったことなので、その終わったこと自体を変えることはできません。変えることができるのは、終わったことへの見方、考え方、とらえ方となります。
 
ここが「世界」からの視点では難しいところで、なかなかこれまでの過程の解釈を変えることができない場合は、後悔となって、「あの時の選択は間違っていた・・・」「あの時、ああすれば良かった・・・」「なぜ私はあれをしなかったのだろう・・・」という堂々巡りの思いに囚われてしまうのです。
 
また、終わったこと、結果、過程のうえで行き着いた今の状態に満足できていない人は、人生そのもの(今までの取り組み、すべて)が失敗だったと極端に思ってしまうこともあります。
 
こちら側から見る視点は、実際の年齢層としては、年老いた時、中高年、人生の終盤を迎えた方ということになりますが、これも象徴としては、年齢は無関係となります。
 
このように、どちらにしても、良いところと悪いところがあります。
 
結局のところ、その使い分けで自分を納得させるというのが、一番よいのかもしれません。
 
もちろん、年齢によるものの影響はあるでしょう。
 
年を取れば現実の人生時間も少ないのは確かですし、どうしても結果的方向から見がちで、反対に若い人は、まだまだ人生の時間があると思って、これからの過程、可能性を見ていくことが多くなるでしょう。
 
とはいえ、あくまで自分の状況を中心として考えると、年齢を超えた、ふたつの見方の方向性の取捨選択が可能です。
 
だいたいにおいて、先行きが不安とか、考えすぎの傾向にある時は、結果から見る「世界」の視点をもったほうがよく、反対に今それなりに満足感があったり、安定していたり、目標が達成していたりする人は、「手品師」からの、もっと成長していく方向性と過程を見るのがよいです。
 
これが心理的に見て、どうしても逆になってしまうことが多いのです。
 
不安だからこそ、先を見ようとしすぎたり、安定しているから、今の結果から振り返って、成功法則・理論(その人にとってはそうであっても、万人に共通とは限らない、たまたま結果オーライだった可能性もある)のように、自分をえらく見せたり、自分の考えを固めてしまったりすることがあるわけです。
 
現状が不安な人は予想や予測を必要以上にせず(いわば取り越し苦労をせず)、結果そのもの、起きたことそれ自体を中心にして、結果の中に自分がいることを思うと楽になります。(何かをしなければ・・・というあせりが少なくなり、自然に身を任せる気持ちとなる)
 
さらには今は悪くても、最終的な結果さえ良ければ、今のことはよい結果のための試練、チャンスだととらえることができるわけです。極端にいえは、人生が終わる瞬間、死ぬ直前で「良かった」と思える人生であれば、まだまだ今の悪いと思う状況でも逆転は可能だということです。
 
逆に、現状が満足、うまく行っていると思っている人でも、まだまだ成長過程にあること、新たな目標や夢をもって進めることを思い、謙虚さと未熟性(つまりは成長の可能性)を感じるとよいでしょう。それにより、執着や囚われの罠にはまることが少なくなります。
 
ほか(「手品師」と「世界」以外)にも、このふたつの方向性と見方を示唆するカードたちがあり、タロットで展開してみることで、今はどちらの視点がいいのかということを、タロットから出してもらうこともできます。

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