夢の力と「月」の関係
今日の話は、「夢」の話です。
と言っても、「将来の夢を語る」というような、希望や理想の「夢」のことではなく、私たちが寝ている時に見る「夢」のほうの話です。
「夢」というのは不思議なもので、まったく見ないという人もいれば、極めて鮮明で、まるで現実であるかのような夢を見る人もいます。
マルセイユタロットの描く「月」のカードと「夢」の関係性には、かなりの秘密が隠されていると感じます。それは私の考えでは、相当重大なものだと思っています。
その「月」のカードと、ほかのカードたちを観察していますと、非現実の最たるものであるともいえる「夢」には、逆に「現実」とつながっていると想像させるものが多くあります。
いわば、夢を見ることで現実が創られると言え、またその反対に、現実が夢を壊す、または消費する(しかし、反面創造にもなっている)と言ってもいいものがあるのです。
前者は、想像力が創造力(日本語の妙味)と関係すると考えると、何となくわかってくると思います。
夢を見るエネルギー、夢そのものを作り出すエネルギー(私たちに夢を見させたり、映し出させたりするエネルギーの本質)は、つまりはイメージの源泉と同じものであり、だからこそ、イメージする力や働きが、自分の中でうまくできないと、夢見はたとえあっても、その内容はランダムで不可解なものに終始すると考えられます。
また現実も同様(夢ほどではないにしても)に、ただランダムに起き、それに反応する毎日となります。
つまり、夢を見ることに何らかの意図を込めること(夢の中での自分の自立を目指すこと)で、夢のエネルギーの本質を扱う術が見えてくる可能性があるのです。
そして、その本質のエネルギーは、もっと言うと、現実世界を映し出すための投影機のエネルギー源のようなものにもなっており、それがために、夢の扱い如何によっては、現実にも変化や影響が及びことになると想定できます。
さらに、夢(を作り出すもの)のエネルギーは、おそらく私たちの感情のそれと繋がっており、しかも、マルセイユタロットの「月」にあるように、月や天体(宇宙)ともリンクしていることがうかがえます。
一般に西洋占星術においても、「月」と感情の深い関係が言われているところです。
ただ、普通、夢を意識しないままでいると、夢は主に、現実生活(日中活動)における私たちの感情のや受けた印象の整理・浄化に働いているだけで(しかしこれは、スムースに日中の活動をするためには、とても重要なことです)、特段、夢と現実のつながりについて考えることはありません。
せいぜい、夢占いや夢判断で分析するくらいでしょうか。(夢分析も、心理的には意味ががあると考えられます)
ここで、マルセイユタロットの「月」のカードから、「夢」のことを意識してみると、夢のコントロール(夢への秘儀的理解)というものが、本当の意味での覚醒には重要だということがわかってきます。
実は私たちは、普通の現実生活(日中の活動)の中では、むしろ夜とは違う別の夢を見て寝ている状態であり、逆に、夜寝ている時は、本質の部分にふれている(覚醒の扉に近づいている、しかし完全には扉はオープンしていない)のではないかと推測されます。
言ってみれば、起きている時も寝ている時も「夢」を見ていることは同じなのです。つまりはずっと寝ているわけですが(笑)、その夢見の仕方が異なり、寝ている時のほうが、実は覚醒に近いほうになっているということです。
寝ている時の夢のほうは、現実の時より、不可能なことが可能になりますが、それは言い換えれば、夜に私たちは覚醒しつつあると言えますから、何でもできる状態に近くなっていると言えるのです。
その可能なる意識を寝ている時に持っておき、夢にふりまわされるのではなく、夢の中で自分の意志が反映されるよう、コントロール(夢の改変)に努力すると、その力は、現実へも影響されることになるとイメージできます。
これは、夢の訓練によって、現実もある程度、変えることができるということです。
ただ、これは願望実現の方法を言っているのではなく、私たちが奴隷のように自分の思う現実の中で「睡眠」させられているを自覚し、一種の牢獄状態から抜け出すための力を強化する目的で述べています。
簡単にいえば、真の主体性を取り戻すための夢見ということです。
なお、最初のほうに書きました、現実が夢を消費する、壊すということは、どういうことかと言いますと、せっかく「夢を見る」いうイメージの源泉との繋がり(内なる創造性と関係)が、日中起きている時の現実のビジョン(これも一種の夢)に振り回される(現実の生活に追い立てられる)ことによって混乱し、そのために(夢の)エネルギーを消費することで、イメージと創造の力(とのつながり)を失うことにあるからです。
夜、貯めていたエネルギーが、日中のビジョン整理のために消費されるようなものです。
ところが、これまた逆転の発想になりますが、私たちの日中の活動も夢を見ているとするならば、現実もある程度作り出していることにもなりますから(一人だけではなく、関わる皆で生み出している)、ある意味、現実生活も夢の反映や投影、創造でもあるわけです。
しかし自覚なき場合は、ほとんど無意識で映画を見ているようなものに過ぎず、映画が作り出されていることのすごさ、エネルギーに気づくことができません。
そして、日中に私たちが体験し、活動してきた現実生活の印象は、夜寝ている時に「月」によって吸収され、天体のエネルギーとして利用されることになることが考えられます。
これを書いていいのか、悩むところですが・・・ここまで来ると書かざるを得ませんが、結局、私たちが無意識(無自覚)のまま、ただ流されて生きることは、様々な現実生活のビジョン(見ていること、体験していること)によって受容した印象が、エネルギーとなって一時的に保存され、夜になって、月による回収が行われ、その時、私たちは逆に月からあるイメージ(夢)を付与されているのではないかということです。
前にも書きましたが、「月に願いを・・・」という願望実現法は、これを自分のほうから積極的に月の奴隷として行う方法になりますから、それこそ現実としての夢見の強化(願いは叶うと見させられること)にはなっても、真の覚醒とはかけ離れた方向性になるのがわかります。
こう書くと、月にネガティブなイメージを抱くかもしれませんが、何事も二元の意味はありますから、実は、月はただそういう機能と役割であり、大きな観点からすれば、やはり私たちにとって恩恵を与えてくれる天体だと言えます。
太陽と月と地球、それぞれの距離はまったく違うのに、地球から見える太陽と月が、例えば皆既日食現象が起きるように、ほぼ同じ大きさになるようになっていることを見ても、神(何か大いなるもの)の意志を感じますし、やはり太陽と月が、地球(私たち人類)にとって、まずはもっとも重要な天体であることがわかるものです。
コメントを残す