「吊るし」に見る停止・静止
タロットで、「耐えること」を象徴する大アルカナのカードは、やはり「吊るし」(一般的には「吊され人」「吊された男」などの名称)という印象があるかもしれません。
ただ、マルセイユタロットの「吊るし」は、あまり吊り状態にある人物に苦しさを感じさせず、むしろ余裕とも思える雰囲気を漂わせています。
このことから、このカードは、積極的な「吊り」の姿勢にあると考えることができます。積極的な「吊り」とは、一般的なこのカードの名称の、受動態であるところの「吊されている」ではなく、能動の「吊っている」解釈が可能ということです。
言い換えれば、自分でペンドしているわけで、それは「何もしない選択」と言えるわけです。
常日頃、「何かをしなければならない」と思い込み、忙しくすることで、「何もしていないわけではなく、こうして自分はやっている」ことを「見せかけ」でも主張していたり、「何もしていない」ことの免罪符にしたりしている人にとっては、少々厳しく感じたり、反対に怠惰を示唆しているように思ったりするかもしれません。
ただ、何もしないこと、きちんと状況を読んで自分が手を出さないことが最善であること、「満を持して」対応すること、休息しエネルギーを蓄えておくことなどは、意外に勇気と冷静さ(智慧・知性)のいることでもあります。
面白いことに、吊るしの前の数を持つカードは「力」であり、勇気を象徴していますし、「吊るし」の次のカードは「13」であり、これまた非常に大きな決意と改革を表すカードでもあります。
その前後・間に「吊るし」のようなカードが来ていることは、とても象徴的だ言えます。
よく物語などでも、事態を打開したいとあせった人物が、とにかく何かをしなければ・・・と無闇に行動してしまい、結果的に手痛い失敗をしてしまうというものがあります。
世間では、現実を動かすためには「行動が大事」とよく言われ、確かにそれはその通りのところもあるのですが、その前に計画を立てたり、思考やアイデアの面でも準備をしたり、また体力的にも疲労を回復しておいたりの必要性もあります。
無為無策でやたらと動いたところで、かえって悪くなることもあるわけです。
もし行動が大切というのならば、動かない・手を出さないという「行動」もあり得ると見ればよいでしょう。
選択においても、普通は右か左かというような左右の両極(水平性)で悩むことが多いのですが、ここに垂直性として、第3の選択肢を置いておくとよく、その第3の選択肢は「吊るし」とも関連し、つまりは、何もしないとか、様子見するとか、今すぐはどちらにも決めないという「選択」があるものと想定するとよいのです。
これは決めていないのではなく、「決めないことを決めた」という、れっきとした行動、チョイスのひとつだと見ることが可能です。
垂直性の選択方法は、選ばない・決めない以外にも、ほかのカードで象徴される、あるやり方があるのですが、それはまた別の機会にお話したいと思います。
ともあれ、「吊るし」という一種の停止状態は、物理的(目に見える行動)にも、心や頭の中といった精神的(目に見えないもの)にも、必要となるタイミングがあります。
精神的には何も考えないという「無」の状態、あるいは、ひとつのことに心が定まって、安定している状態と言えます。
この場合、「逆さである」というスタイルが重要で、これは本当はものすごく壮大で深い示唆があるのですが、それは順を追って説明していかないと理解が難しく、混乱してしまいますので、タロット講座でお話していることですが、いずれにしても、逆さま・反転・リバースのような、逆転での見方、とらえ方が「停止」においても重要だということです。
何かが変わる時は、一瞬、物事が静止したように感じられることがあります。
ということは、逆に言えば、この「静止」「停止」状態が、物事の変化としてはポイントとなると考えることができるのです。
さて、今回の記事の文章で、一番最初に「耐える」ということを書きましたが、マルセイユタロットの「吊るし」においても、耐えるということは象徴できます。
そしてこの「耐える」ということそのもの、時には「我慢する」ことにもつながってくるわけですが、それはよいことなのか、悪いことなのかも含めて、次回に考察したいと思います。
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