運・運気はあるという現実感

マルセイユタロットで「運命の輪」というカードがあります。

このカードのモチーフは、西洋では普遍的なもので、ほかのタロットにおいても、またタロットやカード以外でも、「運命」のシンボルとしてよく登場するものです。

東洋においても、「運」とか「運気」というものは、特に占いの世界においては重要視されます。

今回は、「運」とは何か?ということではなく、むしろ「運」という概念や象徴性が、私たちの生活や、精神的・霊的な探求においても、何か影響があるということについて、ふれたいと思います。

運や運気と呼ばれるものは、(形や見た目として)ないと言えばないですが、結構、誰しも、「運」を言葉して使っています。

運がある・ないとか、(運が)ついている・ついていないとか、(英語的に)ラッキーだったとか、不運だ、運に見放された・・・など、運・運気を思わせる表現は日常的に使われますし、よく見られます。

ということは、意識において、実在性があるものと見ることができます。

この、「意識したものに実在性がある」とする見方(実際的な影響があるものと見る考え)は、「リアリティ」(現実感)というものを考えるうえで重要です。

ここでいうリアリティとは、その人が現実だと思う感覚、意識、世界観と言ってもよく、全員に普遍的にある、(個人のフィルターを通していない)本当の現実というのとは違います。

要するに「運」は、ほとんどの人が普通にあると思っていたり、そういう言葉で表現したりするので、目に見えなくても影響のある「存在」なのです。

それをあえて見える形にしたのが、タロットでは「運命の輪」であり、占い的には運気の流れとして、図やある種の概念として(目や頭(論理)で)わかるように表現していると言えます。

もう少しはっきり言えば、私たちが現実意識をもって生活している限り、運・運気・運命という、目には見えなくても、影響する力として支配されるのだということです。

そうした現実感(運が存在するというリアリティ)をもって、ほとんどの人が暮らしているからです。言ってみれば、運は私たちの集合意識が作り出しているとも言えます。

物質次元から精神へと移行し、それらの両者の統合、また霊的な探求や発展を望む時、現実意識(今までのリアリティ感)を超越していくことが求められます。

従って、そういうことを志向する者は、運・運気というものから逃れる、あるいは運などないという発想になってきます。

ところが、そうは言っても、死ぬわけではないので、肉体をもって現実というフィールドで活動しなくてはならず、そうすると、どうしても、先述した多くの人(の現実感)によって意識されている「運」というものに支配された世界の影響を受けることになります。

いくら「そんなものは関係ない」と言ったところで、多勢に無勢、意識の多数派に負けてしまいます。結局、運に支配されるような世界に、中途半端ながらも関わることになるわけです。

これはおそらく霊的には、肉体と精神、さらに個の魂に刻まれた、いわばカルマのようなデータとも関係し、「運」という、実体はなくても影響するものとして、そのカルマ的な部分にリンクするようになっていると考えられます。

従って、「運」という巨大な意識体から逃れるためには、自分の思考や感情データ(運を意識する考え方や感じ方のこと)の除去や脱却、調整だけではなく、カルマ的な調整・デリート(浄化)も必要になってくると想像できます。

そして、ここが面白いところなのですが、運にリアリティを持つ次元にいる私たちは、いいか悪いかは別にして、普通に、逆から考えると、運(運気)を使って、それに乗ったりしての、現実生活をエンジョイさせたり、現世利益を得たりの、いわゆる一般的な幸せや、よい生活ということを目指すこともできるのです。

また同時に、カルマ的な浄化が進めば、運に左右されないというか、見た目には、運がいいような現実の状況として現れてくるとも言えましょう。

ということは、物質的・現実的な充実を図るにしても、精神的・霊的な探求と解放を進めていくにしても、「運」については、必ず通らなくてはならないポイントであると述べることができます。

これはマルセイユタロットの「愚者」を除く、手品師(1)から世界(21)の大アルカナの数の並びにおいて、ほぼ真ん中に位置する「10」という数を、「運命の輪」が持っていることでもわかります。

しかし、後者の精神的・霊的解放を目指す人は、あまり運を意識し過ぎた生活をすると、運という実体のないものを実体化させてしまうことに傾き、結局、運による支配から逃れられない強固な枠・鎖を自らで作ることになりますから、注意が必要です。

そして、あくまで自分一代の生活を、現実的な意味で充実させたい、地位や名誉を得たい、お金や事業、人間関係など、地上的な意味でうまく進めたいという方には、運の利用、運の流れに乗るということは、とても重要なことになるでしょう。

運を活かすも殺すも、また運というものを実として見るか虚として見るかも、皆さんの目的次第だと言えます。

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