「太陽」の二人、太陽の船団

マルセイユタロットに「太陽」というカードがあります。

「太陽」のカードは、二人の人物が肩を抱いたり、手を出したりして、特別な関係にあることを想像させる絵柄となっています。

このカードは、人物に限らず、あらゆる二元的な分離を統合していく象徴として、原理的に解釈していくことができますが、人間関係のフィールドや次元に置きますと、やはり「特別な二人」「影響の強い二人」として見ることができます。

だからと言って、単純にこのカードが、例えば恋愛や人間関係の問題において出た(引いた)からと言って、特別な二人を表すとは限らないところが、象徴としての「タロットカード」ではあります。

ここではリーディングでの意味や解釈のことではなく、このカードの絵柄の象徴性から見る、特殊な人間関係のお話です。

人は人生において、この「太陽」のカードのような、自分以外の特別な他人を(血縁や家族以外で)持つことがあります。

持つというより、そう思わせる人というのに近いでしょうか。

おそらく自分の人生に、他人として(あとで恋人や友人、家族となるにしても)強い影響を及ぼすと考えられるのは、どの分野においても三人程度だと考えられます。

それは、例えば数秘においても、関係性や調和を象徴する「」の数が、「3+3」、または、1を基点にして、3つの連続する数「1+2+3」とか「7+8+9」の合計数の数字根(単数化したもの)が、「6」となって、その構成が先述したように「3」の倍数(3のペア)になっていることからも想像できます。

しかし、本当の意味で重要となる人物は、自分のほかにあと一人という、ペア的、対称・対照・対象的人物、すなわち「太陽」のような二人(自分とあと一人)ということになるのではないかと思います。

それは一言でいえば、魂の共有とでもいうべき人物で、現実的な意味での友人や恋人という範疇を超えた関係性、魂の共鳴を持つ人ということです。

ただ魂の共鳴と言っても、対称性として現れた場合は、まったく正反対、あるいは違和感が強いけれども、どこか同じ核・コアを感じさせるような人となることもあると考えられます。

いわゆるソウルメイトと言えばソウルメイトですが、ロマンチックな恋愛感情のもの、恋の運命の人というのとは違い、この人生(あるいは別の人生においても)魂的なサポーターであったり、伴侶であったり(現実の夫婦という意味ではありません、そういう場合もありますが)します。

そのような人が若くして現れる場合もあるでしょぅが、たいていは、中年以降に実際に現れたり、認識できたりすることが多く、それは、若年の時には、この人生での創造的可能性を考慮して、あえて現れないようになっているとも考えられます。

しかし、年を重ねて、現実的地位が固まってきたり、ある程度の経験をしてきたりしたところで、特に物質よりも精神(心)、魂への観点へと変化していくことが多くなりますので、そういう関係の者(魂のつながり、共鳴者)であることを認識しやすくなるというのもあるかもしれません。

またそのつながりは、もっと大きなグループ(ソウルグループのようなもの)とも関連し、そこの意志を実現するために、特別な二人として意識されることもあると想像しています。

逆に言えば、「太陽」で象徴されるもう一人の人物に会うことで、あなたの本当の使命、魂の生き方というものを思い出すことになるかもしれません。

このような人同士(太陽の二人)は、すべてが理解しあえると思ってはいけません。

このカードは、段階や次元で見た場合、霊的・魂的次元を象徴しますから、その次元において共鳴したり、理解したりできるということです。

ですから、実際的(現実的)、感情的(心・精神)にわかりあえる、意気投合する、気が合うという感じでもない場合があるのです。

このあたりが、ロマンチックなソウルメイト願望の対象者とは異なるところでもあります。

いずれにしろ、「太陽」の人物たちは、お互いに、それぞれにある「太陽」「本質」を燃え上がらせ(情熱的になるということではありません)、自らの魂の表現を可能な限り、この人生において実現しようとシフトし、その援助をともにしていきます。

その人の存在があなたの太陽であり、また相手にとってもあなたが太陽になるのです。(現実の生活や仕事の面で相手を輝かせるというニュアンスとは違います。そうなる場合もありますが)

これは陰陽的な、月と太陽という関係性とは違うので、留意する必要はあるでしょう。

たとえ「太陽的」な人が現実にいないとしても、見えないネットワークの中で、すでに二人は出会い、無意識の中では共有しているかもしれないのです。

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そういう二人の場合は、実際に肉体をもって現れる必要がないため、現実の人生で出会うという形を取っていないと言えます。

「太陽」の二人、そのグループは、例えれば船団のようなもので、船のこぎ手としてペアになる二人であり、それが集まってひとつの船となり、その船がまた集まって、ひとつの目的に向かって航海していく船団を形作っています。

マルセイユタロットの「太陽」の絵柄にも、水のような流れが描かれており、向かって右側の人物の足下には、白い島(大陸)も現れています。

太陽の船団は、その白い島に向かっているのでしょう。その島にたどりつくと、二人は歓喜に包まれるのです。

私たちの現実の人生も、この旅の演出のひとつなのかもしれません。そこにペアとなる人は、どこかにいるはずです。

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