過去生データの共有が示すもの
最近、タロットの受講生の方とのメールのやり取りで、面白いことに気がつきました。
気がついたというより、そうではないだろうかと思っていたことに、ある確証というか、ひとつの事例がもらえたということでしょうか。
その方はヒプノセラピー(前世・催眠療法)を経験している人なのですが、自分のある過去生ビジョンによって得たカタルシス(浄化)が、ほかの人からが見た過去生ビジョンとシンクロしていたという話です。
他人であっても、同じようなビジョン(過去の事象・事件・人物等)を見るということは結構あると思うのですが、今回聞いた話で特徴的だったのは、自分の過去生の経験の浄化が成ったと思ったタイミングで、その過去生ビジョンで関係していたであろう時代の人物たちが喜んでいたり、浄化されたりしたビジョンとして、ほかの人が見たということなのです。
つまり、過去生の中の時間が動いているわけです。
正確には、過去のある人物(に関わる)事件や心情が、解決された(浄化)されたように、今(現代)の人たちの幾人かで共有したビジョンを見た(と感じた)ということになります。
言ってしまえば、一人の夢と、その夢の続きを、違う形(別の登場人物や別角度のビジョン)で、複数の人が見ているようなものです。
ここで、私はその過去生が事実かどうかとか、一人の現代人が、その過去生での人物の魂を、そのまま転生して持っているというようなことを言いたいのではありません。
ですから、過去生そののが正しいとか正しくないということがテーマではないのです。
重要なのは、ふたつです。
ひとつは、過去生のようなビジョンを見ること(見るとは限りませんが、とにかく、そういう感覚になること)によって、癒しや浄化が行われる仕組みがあること。たとえ仕組みではなくても、見た人の心には納得できる感覚と、心理的な癒しが起こること。
そして、今回、ここがもっとも私がポイントだと思うのは、その過去生ビジョンやストーリーの共有があることです。
ここから考えると、過去生というものが魂の転生として記憶されているかどうかは別として(つまり素朴で純粋な輪廻転生説は置いておいて)、何らかの過去生のような(と思わせる)情報と、それが保存・ストックされている空間や記憶庫(レコード)の存在、さらに、それにリンク・同期・同調する機能が、人間にはある(感じられる)ということです。
記憶は人間一人の中(脳と脳以外のもの)にありますが、それだけではない、何か大きな記憶の集合体、データベースやデータ空間のようなものが、見えない形で存在していると考えられます。
心理学的には、ユングが述べた集合的無意識とか、唯識では阿頼耶識のような層があり、そこに様々な人類の記憶やデータが備わっていると見ます。
たとえ死んでも、生きていた時の記憶はずっとどこかにアップロードされていて、ひとつの巨大情報空間を形成していると想像することもできます。
これらとリンクしたり、同期したり(つまりデータのダウンロード)するには、いろいろな約束ごと、想念の同調・一致があるのだと推測されますが、ともかく、様々な時代の、色々な人の生きた記憶、それには心情的なデータも含まれており、そうしたものが違う時代の人にも影響を及ぼす宇宙の仕組みがあるのだと思われます。
言ってみれば、時間という縛りをなくした、長大な浄化システムのようなもので、過去生の人間の思い(未浄化のもの、思い残し、ネガティブな感情などの)データが、時という枠組を超えて、未来の人の思いと同調し(逆の、未来側から過去側へというのもあるでしょう)、相互浄化を果たす働きがあるのではないかということです。
今の時代や時間では、ある個人の問題として起きていることですが、それは元をたどれば、過去世などのほかの人、あるいは多くの人の集合体データとリンクしいるもので、それがために、今の自分の問題を解決したり、浄化したりすることは、そのデータ自体の浄化にもつなかっているということです。(過去世だけではなく、今の生きている時代のほかの人のデータの影響も含めて)
ロマンチックな言い方をすれば、過去の人間の思いが、未来の人によって解決される(時間超越の見方では、逆の方向もあり)みたいなことですね。過去と未来の時空を超えた物語(ストーリー)です。
なぜ自分が、ある過去生のデータ(その時代の人物や周囲の人間、事柄)とリンクするのかは、魂が輪廻転生しているからとか、データを受け継ぐ気質があるからとか、同調する同じ性質を今持っているからとか、いろいろと理由は考えられます。
タロット受講生の方のヒプノセラピーの先生のお話では、血縁的な先祖として、ずっと時代を下って縁をたどり、過去生人物の思いが、遠い未来の子孫にリンクしていくことがあるというものでした。
確かに、そういう繋がりでリンクしていくこともあるのかもしれません。(このことは日本人の先祖供養システムの、行事としての本質的意味に関係すると思います)
もちろん、血族や民族性を超えた過去生データとの同期もあると思います。
何度も言いますが、その人が、自分の見た過去生自体をかつて生きていた(同じ魂だった)とか、過去生が事実かどうかという点は、あまり関係ないのです。
個人の癒しの感情、問題の出所が納得する物語(お話、ストーリー)として、たとえ作り話であっても、その人の生活・人生に影響を及ぼすものがあるという点です。
そしてそれらが、一人だけの世界ではなく、同調するかのように、何人かの人とつながり、またデータの書き換えのような、過去生でのビジョンの変更(過去の事件と人物の心情が変わったように感じること)が、感覚として、今生きている人の複数の人で共有されるという現象があることです。
ここから考えると、私たちはやはり個人一人で生きているのではなく、人類全体として、何らかの意志やルールを取り決めて、巨大な集合意識体として生きているということです。
それはいいことばかりではなく、ネガティブなものも共有して蓄積し、時空を超えて影響しあい、それが個人としての表現(それぞれ個人の人生)にも関係してくるのです。
逆に言えば、一人の思いはほかの多くの人にも影響し、よい意味で言えば、意識の浄化・深化・進化が一人でも多く進めば、多数の集合体としての次元上昇が起き、まったく(共通認識で設定される)世界は変わる可能性があります。
マルセイユタロットの大アルカナでも、数の大きいカードは、複数の人物たちが登場し、個人や常識として見える現実、さらには時間と空間で規定された世界を、もはや超越したものとして描写されていることがわかります。
つまりは、人類全体への意識として、気づきや関心がシフトしていくようになるのです。
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