人間の調整力と、合わせる生き方

人間には、すばらしい調整力があります。

このあたりは、マルセイユタロットでいうと、「節制」のカードがよく表しているように思います。

「節制」のカードを見ますと、ふたつの壷を持った天使的な人物が、壷からの水を混ぜ合わせている様が描かれており、そのことで端的に調整力・適合力を示してると言えましょう。

ところで、最近は、自分主義と言いますか、自分の好きなことをする、自分らしくありたい、自分らしく生きたいということを求めたり、そうすることを後押ししたりする人が増えてきました。

確かに、自分を押し殺し、したいことも言いたいことも抑えて、我慢したまま生きつづけるのは、誰のための人生か、と言いたくもなります。

たとえ人のために生きるのであっても、それが嫌々や道徳的な押しつけではなく、本当に自分の喜びであることが大事ではないかと思います。

そう思えることのひとつには、単純に、「人のために何かをすることが好き」という性格や傾向から出ているものがあるでしょう。

そして、もうひとつには、人の喜びが自分の喜びと感じられる考え方(意識)の拡大・変容によって、得られることがあります。

前者はもともと持っている人の性格みたいなものですから、置いておくとして、後者は、学びや気づき、経験の蓄積など、自身の向上によって獲得することができます。

つまるところ、それは自分中心の見方からの転換、あるいは多方面・多角的観点から、人と環境を思いやれるかどうかにかかっていると言えましょう。

自分らしく生きたい、自分の好きなことをして生きていきたいと言っても、私たちは一人で生きているわけではありません。

そこにはたくさんの別の個性を持った人々がおり、その人たちと時には対立したり、合意したりして生活しています。

従って、当たり前ですが、ただ自分そのもの(いわゆる「わがまま」)を強く押し出しても、うまく行かないことが結構あるわけです。

ただ、だからと言って、穏便に済まそうとしたり、自分だけ我慢すれば周囲は円く収まるのだと自分を押さえつけたりしても、「この人は何も言わないから了解している、(何でも)OKだと誤解されて、ますます、立場が悪くなったり、無理難題を押しつけられたりしてしまいます。

主張すべきところは主張し、自分がやりたいことは表現するようにしたほうがよく、そのうえで、他者や周囲の環境との調整がなされて初めて、調和がもたらされると言えます。

好きな仕事をしたいというのもいいのですが、皆が皆、それぞれのしたい仕事をそのまま通していたら、世の中は社会機能的に成り立たなくなるおそれがあります。

だから、自分のほうが、今の仕事や職場、あるいはすでに成り立っているもの、現実的に就きやすい仕事・やり方に対して、調整して合わせていくということもありうるわけです。

ただそれは、向こう側からの欲求や押しつけを鵜呑みにしたり、そのまま何でも言いなりに受け入れたりするというものではなく、自分のしたいこと、自分らしさというものも自覚したうえで、相手(すでにあるもの)と調整し合い、両者が混ざり合ったとところで、納得して生きるというようなことを言っています。

場合によっては、そこでの調整不可ということもあり得ますので、その時は、辞める、逃げる、新しいところにチャレンジするという選択も、別の意味での「調整」になります。

最初にも述べたように、人にはなかなかの調整力・適合力が備わっているので、自分が思っているより、自分のほうが相手に合わせることができ、その合わせた自分を改めて見直す(合わせられている自分を評価をする)ことで、新たな喜びを感じていくことも可能になるわけなのです。

いわゆる「食わず嫌い」という言葉もあるように、現時点で自分が思っている好きなこと、自分らしさ、苦手なものというのは、あくまで途上の段階のものだと考えることもできます。

本当に好きな仕事とか、自分らしい生き方なんていうものは、今のあなたの考えだったり、誰かの言葉や情報で、そう思い込まされたりしているだけで、未来には変化していることもあるかもしれないのです。

自分を内的に知ることも大事ですが、何かを体験し、経験することで、自身の中にあった可能性が発現し、それが好きなものになる、生き甲斐となるという、行動・体験によって(外側から)自分を確認するというパターンもあるわけです。

「節制」には助けるという意味だけではなく、助け合うというものも見出せ、それは他者がいるからこそ(自分以外のもの、既知と未知の交流で)、自分が存在する、自分がよくわかるという意味でもあるのです。

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