愛のレベルによっては拒否も攻撃もある。

真のスピリチュアル、大きな愛の世界では、どんな人、どんなことも、いいも悪いもなく、それがただあるだけでしょうが、一方で、現実レベル、人間的レベルまで次元を落として見れば、一概にそうとは言えないところが出てきます。

わかりやすく言うと、悪意やネガティブな形での愛の表現になったり、遭遇したりする(こともある)ということです。

やっかいなのは、やっている人の自覚がなかったり、悪意ある人に操られてしまったりしていることがある場合です。

当人にとっては、愛であると思い込んでいるので、本人の中では悪気もないですし、自覚がない時は、さらにオートマチックのように、自然に何の考察もなしにやってしまいます。

まだ目に見える行動や形であればましですが、さらに難しいものになってきますと、サイキック的な影響・攻撃としてなされることがあります。

愛の裏返し、低次の利己的な愛が、嫉妬や妨害、偏愛、ストーキング(行為に現れなくても、粘着する思いとしてサイキック現象となります)になって、見えない世界でのエネルギーのやり取り、奪い合い、攻撃となっているわけです。

普通の人でも、心で感じたり、思ったりする(サイキックの)世界は誰でもありますから、多少なりとも、いわゆる人の思念・生霊的な影響は皆受けていると言えますが、通常は、すぐ離れたり、健康的な心身がバリア的に防御していたりしますので、問題とはなりません。

ただ心が弱っていたり、あまりにも強い思念に囚われていたり、ショックなことが起きたりすると、バリアーにほころびができ、あるいは自ら受け入れてしまい、サイキック的な影響が心身、運という一連の流れに出ることがあります。

それと問題なのは、いつも自分の気持ちを抑圧していたり、気遣い過ぎたりして、他人を傷つけないようにする余り、逆に自分が傷ついてしまう人がいることです。

ちゃんと自分が嫌だと思うことや、自分か傷ついていること、迷惑であること、悲しんでいることなどを、普段から述べておく(表現しておく)ことで、実はサイキック的な場面においても、バリアが強く働くことになります。

誰でもいい顔をしたり、気遣って何も言えなくなったりするからこそ、どす黒い自分の抑圧した心が溜まり、それがまた悪いエネルギーを引き寄せたり、愛に見えつつも悪意あるものの侵入を許したりします。

あなたを好きになったり、良かれと思って世話をして近づいてくる人物の中には、その人自身は本当に愛を抱いて助けたい、愛したい、支えたいと思ってはいる部分はあっても、その実、人のよい相手だからエネルギーを奪いやすいと判断している、本人も気がついていない裏の闇がある人もいるのです。

そしてたいていは、そういう人には、もっと大きな闇の存在(タロットでいうところの悪魔的なもの)がバックについていることがあり、それこそが本当の問題と言えます。

まあしかし、これも高次の目で見れば、あなたがきちんと自分を大切にするかどうか、そして本当の愛に目覚めるための試練や役割であり、相手も自分も変容させることは可能です。

また低次の利己的な愛、打算的な愛があっても、それは人間の常でもあり、見下したり、悪く言えたりできるものでもありません。そういう人の性質をふまえたうえで、すべてはもっと高いレベルへと昇華することができるはずです。

マルセイユタロット的に言えば、悪魔も神(の家)に出会うための、露払いみたいなものです。

けれども、やはり、現実レベルにおいては、拒否すべき時は拒否する勇気を持ちましょう。

愛でもってもわからない人はいますし、逆に低次の愛であなたを縛り、エネルギーを奪うレベルの人たちが、現実次元では確実に存在していますので、自分を守るためにも、毅然とした態度と気持ちを持つことです。

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