節制業、サポートする人、される人
タロットカードに「節制」というものがあります。
マルセイユタロットでは救済の意味を持つカードでもあります。
私の中では、「節制業」という言い方をする場合がありますが、現実の世界において、人をサポートしたり、救ったりする業務(仕事とは限らず、ボランティアや意識のうえでのこともあります)を行う人を指すこともあります。
この「節制」のカードは14という数を持つために、全部の大アルカナの数22においても、中間地点を超えている存在で、少なくとも、節制業を本格的に志すには、意識的に、現実を超えたものや、バランス性を重視しなくてはならないことが表されていると言えます。
「節制業」は、結局、困っている人、悩んでいる人の力になりたいと思うわけですから、その同じレベルの感性・知見(つまり同じ次元)で自分も悩んでしまったら、解決策や突破口が見つけにくいわけです。
ですから、節制業を行う人は、より広い視野と高い観点を持つ必要があります。
その一つは、悩んでいる人の選択を超えたものを考えられるかということにあります。
例えば、よくある悩みの問題として、選択における「これか・あれか」の問題パターンがあります。平たく言えば、どちら、あるいはどれを選べば自分にとっていいのかという悩みです。
しかし、相談者と同じレベルで考えていると、答えは、相談者の思う選択肢のうちのどれかが最善、その他は選択しないほうがよいものという判断になりがちです。
それは、相談者の思う価値判断の基準(世界観・認識状態)と同じ視点であるということです。
同じ視点というのは、共感する意味では大事なのですが、これでは、相談者が思いもしない選択法・解決の視点を提供することができません。
往々にして、相談者の今のレベル・次元を超えるために問題や悩み事が起こっている(悩みとしてとらえられている)ことが多く、その次元を超越する観点を持てば、問題は別のシンプルなモノに変わったり、消失したりするのです。
「タロット占い」と「タロットリーディング」の違いの大きなポイントも、ここにあると私は考えています。
「節制」のカードは、天使がふたつの壷の水を混ぜ合わせている様を描写しています。ここから見ても、救いはひとつ側に傾くこと(片方を選ぶこと)だけではないことがわかります。
そして、これも重要なことですが、節制業の場合、サポートはしても、本当の救いは相手側(悩む人)自身の力によるということです。
いわゆる「お節介」にならないよう、気をつける必要があるのです。
人によっては、その悩みをすっきり今解決しないほうがよい場合もあるのです。
それは今、その人がその悩みに向き合う、体験する必要があり、その苦しさや大変さの軽減は図るにしても、相談される側としては、全部一気に解決したり、浄化してしまったりするほうがいいとは限らないのです。(そういう、すっきりしたいという思いは、実は相談を受けている側の欲求であることも多い)
リーディング技術(技量)とは別に、マルセイユタロットは、まるでタロットがリーディングすることを拒否しているかのような、難しい展開、雰囲気を出すことがあります。一言でいえば、読みづらい、はっきりしない展開です。
それは、純粋なリーディング技術の問題でなければ、やはり読まなくてよい、はっきりさせなくてよいということの示唆かもしれないのです。
言ってみれば、それそのもの(今の状態、悩みを体験していること)が答えというものてです。
そういうことを確認するのも、実はリーディングのうちのひとつなのです。タロットを読むだけがリーディングの作業ではありません。
相談する方も、誰かに救ってもらいたい、助けてもらいたいという思いはあってもいいですが、結局は、誰かに助けてもらうのではなく、自らが最終的には自分を救うのだと、どこかに思って、外に頼るといいでしょう。
同時に、孤独に悩んでいても解決しないことはありますので、人・専門機関に相談することは悪いこととは思わず、積極的に利用するとよいです。
この世界は、人がそれぞれ個性や得意分野を持ちつつ、相互に助け合っている(成長し合う)ものだと考えると、一人で抱え込まないことも重要なのです。
いわば、あなたの問題は、むしろ、ほかの人がいるから起こっているのであり、だからこそ、ほかの人の手も借りればよいようにできていると言えるのです。
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