心の分野に使うタロット
(マルセイユ)タロットの活用は、このブログでもいろいろと言及しておりますが、「占い」を除き、最近よく知られるようになっているのは、心理的活用、言い換えれば、心の整理・調整、浄化に使うというものがあげられます。
今や、タロットをはじめ、ある主の象徴的カードの類は、確かにまだまだ一般的には「占い」の道具という認識はあるものの、ほとんどこういった心理次元で扱うのが主流になってきているのではないでしょうか。
(「いや、スピリチュアルな使い方が増えているのでは?」と思うかもしれませんが、狭義の意味でのスピリチュアルは、ほとんど心理かサイキックの次元だと言えますので、このように書いています)
それは、いわば自己洞察やセラピーでの活用と言えます。
私自身は特に自分に対しては、魂や霊的次元での考察へと、タロットへの視点は移っておりますが、それは別としまして、このように、今の多くは、タロットを心の次元、心理の分野での使い方が、実際的になっているということです。
それで、心の分野で使うということは、どのようなことなのかを(いろいろとある中で)、簡単にひとつ説明したいと思います。
実は、先日行ったブログ上でのリーディングゲームも、ゲームではありましたが、この、自分の心を整理したり、認識させたりする意味での目的もありました。
たぶんこのブログを読んでいるほとんどの方は、もう気がついている(知っている)でしょうが、心の分野への活用として、タロットを自分や他人の心の投影(または表出)装置として使う方法が、よく使われるものと言えます。
これは皆さんが思っているより、非常に重要な技術なのです。
心というのは、目に見えないものです。しかもいろいろな層に分かれているうえに、移ろいやすく、余計にとらえがたいものとなっています。
自分でわかっている心情もあれば、深くデータとして残って、潜んでいる場合もあります。
これを絵柄の形で表に出すこと、目に見える形にすることが、タロットを使う役割でもあります。(さらに言えば、それを言葉で表現するのも、セラピーの一環になり得ます)
しかもマルセイユタロットの場合は、意識・心の、人類共通のある種のパターン(ユング的にいうと「元型」)を象徴しますから、タロットカードに投影したり、表出したりしたものが、どのパターンであるのか、分類や分析が可能になります。
ほかの人と一緒にタロットを見る場合は、ある問題が、このパターン・象徴を通じ、その場にいる者の共通要素として登場し、人によってはもちろん見方や感じ方は異なるのですが、それこそが個性でありつつ、人として共通するものでもあるので、同じパターンを介して、自分と人との違い(違いがあるからこそ、自分らしさを認識し、それが自我の成長と安定にもつながるものです)と、実は皆同じなんだという、大きな安心感・一体感につながりもします。
何よりも重要なのは、見えないものが見える、わからないものがわかるという、その過程と結果(一連の流れ)です。
人はわけがわからないもの、見えないもの(認識できないもの)、理解できないものに、強い恐れや不安を抱きます。
例えば暗闇の中で、何かが動いている感じがすると、とても不気味で怖くなりますが、電気をつけてみると、「部屋で干していた洗濯物がエアコンの風に当たって動いていただけだった・・・」とわかれば、「なぁんだ、それだったのか」と、すごく安堵するわけです。
自分の心、内側が見えないために、わからず混乱していたところ、それそのものではなくても、形として、絵として、タロットの図柄(象徴)で確認することができれば、少なくとも一歩前進し、その正体に近づくことができます。
得体の知れないもの、エネルギー的なもの、観念的なものは、あえて形にしたり、キャラクターとして人物化させたりすると、実はそれを扱いやすく(コントロール)することができるのです。
「問題」という原因そのもの、正体そのものがはっきりわからなくても、「問題」を「それ」「これ」として、ひとつの形や人間のように置き換えてみることで、「それ」「これ」と対話したり、実際に手で触ったりすることができるようになるわけです。
いわば、五感という、人間の感覚器官に収めることができるのです。
サイキックや心理の次元では、物質に転嫁したり、投影させたりして、あたかもエネルギーのように、物質的には実体があやふやなものを、モノ(見える形・現実の物)に移行させて、処理をするという技術があります。
お祓い的な行為も、こうしたシステムが一部使われている面があると言えます。言ってみればモノや形への象徴化が、実の効果を伴うというわけです。
さらに、タロットカードそのものを意識や心の投影として見るだけではなく、タロットの絵柄の近くにある空間に現れる(イメージ)される事柄も、また心の何かが表出されていると見ます。
マルセイユタロットの場合は、カードに描かれている人物の視線が強く描かれていますので、前の記事の「リーディングゲーム」のように、その人物の視線の先に浮かんだものを、自分の内にあるものととらえる場合もあります。(視線だけではなく、カードを取り囲む空間の方向性それぞれに想像できたものに対して、意味を見出すこともあります)
もちろん、それ(イメージされたもの、意識から浮上したもの)はカードの絵柄があってこそのものなので、空間に現れたものもカードと無関係ではありません。
しかし、単純にカード一枚に心をあてはめるだけではなく、カードに描写されている絵柄の導き(人物の視線や持ち物、その他もろもろを)通して表出してくる心の動き、イメージ、感情などにも意味があると考えるわけです。
それは、マルセイユタロットの場合、ひとつひとつ細かな絵や人物の視線などに意味があるから、その作業に意図を見出せるのです。
人はつまるところ、自分の思考と感情で生きているようなものなので、心や精神の分野、自らの内側を見つめ、整理・浄化していくことは、生きやすくなるうえでは、不可欠ともいえる重要なものです。
しかしながら、大きな意味から言えば、それもあくまで技術のひとつで、タロットでいえば、「手品師」の操作に近く、タロットの活用の目的は、心だけのものに留まるものではないことは言っておきます。
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