引き寄せとお金のこと。
いわゆる「引き寄せの法則」のように、同じ波動や振動を持つものは引き寄せ合うというスピリチュアルな考え方があります。
タロットなどしていますと、引き寄せ的な言葉を使う人に出会うことも、しばしばあります。
引き寄せについては、個人的には、そうだと思う部分と、全面的には受け入れられないところとがあります。
それにしても、だいたい、極端なこと、印象的なことが起こった時に対して「引き寄せた」という表現を使っている人が多いような気がします。
その(「引き寄せた」と語る出来事の)多くは、自分にとってポジティブなもののようですが、逆に、ネガティブなものもあるようです。
いずれにしても、先述したように、自分にとって印象的なことが発生した時、引き寄せたと言っているわけで、では普段の何でもない出来事は、自分が引き寄せていないのか?という疑問も出てきます。(笑)
ただ、「それはあまりにも日常的過ぎて、意識していない(されない)だけで、やはりそれも自分が引き寄せているのだ」という主張もできないわけではありません。
では、自分が発する波動や状態に応じて、事が引き寄せられるのであれば、その日常的なことも、印象的に強い出来事も、波動の違いこそあれ、一連の波のようなものとしてつながっており、その極端な上下のピーク点が印象的な事柄として起きているものであり、その他の部分は日常的なものであると例えることも可能でしょう。
すると、波の振幅の幅が重要ということになってきます。また、振幅の幅の平均値と言いますか、振幅の中心を結ぶ直線が梯子のように上下で示され、人によって、その位置が異なるものとも想像できます。
これがレベルや次元などを象徴しているのかもしれません。
ともかく、なかなか思うことが引き寄せられない、期待に反したものが引き寄せられたと感じる人は、そもそも人の波動のようなものは一定ではなく、振幅があり、その都度、変化しているものだと考えると、それも当たり前のように見ることができるでしょう。
そして、この点もあまり言われていなところですが、人の体は肉体以外にも、見えないエネルギー体のようなものがあると想定されており、それはいわゆるエーテル体とかアストラル体とか(説によって、その種類も数も違います)で名付けられているものです。
それぞれに中心となる部分があり、そこが大元の振動を各々に発しているとすると、肉体振動以外のエネルギー体の振動もあると考えられます。
また人の意識にも階層やレベルの異なりがあり、それによっても、一人の人の中でも、振動数に違いがあると思われます。
結局、どれが主体となるのかはわかりませんが、現実的には肉体をもって活動し、それが人々の意識の中では普通ですから、まずは物質的・肉体的波動・振動が基本であるのは想像がつくことです。
この部分を安定させたほうが、ほかの部分の振動の変化があっても、ふらつくことは少なくなりそうな感じがします。
一方で肉体次元の振動に囚われすぎると、変化が少なく、常識世界の虜となるおそれもあります。
ところで、引き寄せ的なものを信奉する人の中で、お金(経済的豊かさ)の引き寄せを願う人は少なくないようです。
それがうまく行く人もいれば、そうでない人いるでしょうが、ここにもやはり落とし穴があるように思います。
引き寄せ的には、豊かさの思いや波動のようなものを出せば、それと同じく、現実的にお金が入ったり、豊かさの環境に整えられていったりすると考えられています。
通常とは逆転の発想で、お金がないのは、貧困な意識や思い・その波動にあるということで、ならば、先に裕福な波動、豊かな状態を意識の中に生み出して、それを安定させることで、現実に、そのような状況を引き寄せるというものです。
仮にそれが正しいとしても、「先に豊かさの意識や思いになる」というのが、なかなか難しいものだと言えます。
鶏が先か卵か先みたいな話ですが、普通はお金がないから不安になるのであり、お金がすでにたくさんあったり、入る勝算があったりすれば、人は安心するものです。
お金がどんどん失われる、入ってくるアテもない、経済的に苦しい状態が続いていて先行きも不透明・・・ということであれば、不安になるのが当たり前です。
後者のような状態で、「豊かさを先に感じろ」と言われても、一時的にはできても、それを持続させることは困難でしょう。
ということは、先にやるべきことは、願いや思い、波動のうんぬんではなく、お金が入る状態、もしくはこれ以上に無駄に流さないようにする現実思考と行動になります。
ただ、ここで言いたいのは、だから引き寄せやスピリチュアルな考えは使えない、ダメだということではありません。
ここでは引き寄せが正しいかどうかは議論しませんが、その法則を信じるのであれば、その法則を厳密に適用すべきと言っているのです。
先に豊かさを感じ、それが安定していくことが求められるのですから、そのための環境や行動は整えられてしかるべきというものです。
お金がない心配、稼げない不安に苛まされたまま、ただ豊かさを願っていても、意識の中では葛藤と矛盾の連続であり、これまで説明したように、振動の幅が極端になって安定せず、そのまま不安定な状況を「引き寄せる」ことになるわけです。
とりあえずは、豊かさの前に、少しでも「ほっとした状態」「不安が軽減される状態」が長くなるように、現実的に行動することが求められます。
しかし、実際にお金があまりなかったり、これから入るアテがなかったりする人でも、心の底から、それこそ、宇宙や自分自身の豊かさを信じられ、実感できるような思考・感情・意識に持続して浸ることができれば、お金を引き寄せることができるか、あるいは、お金でなくても、実際にその人が豊かであると感じられる環境に身を置くことができるでしょう。(引き寄せ的なものが正しいとした場合)
その意味では、お金について、必ずしも現実的に収入アップや支出抑制などの行動をしなければならないわけでありません。極端に言えば、瞑想していてもいいわけです。
ただ、普通の人は目に見える範囲、常識的なモノとしての価値で「豊か」であることを「実感」しますから、現実にお金がなく、どんどん流れ、入っても来ないという状態で、豊かさをイメージするのは困難でしょう。
そういう不安の高い人、常識を超えての豊かさの確信に至りにくい人は(それが普通ですが・・・)は、やはり現実的に、現代社会での豊かさの象徴となっている「お金」を稼いだり、減らさなかったりする手段を講じていったほうが効果的です。
そうすると、引き寄せ的には意識(振動)が安心(安定)に向かい、それによって、実際に最初の時点では手にしている収入は少なくても、やがて経済状況が改善されていく可能性が高いと考えられます。
不安や心配のまま、「自分は豊かである」とアファーメーションしたり、瞑想したりしても、実際にそう感じられない状態が多いのでは、効果がないのもむしろ当然ではないかと、引き寄せ的にも考えられるのです。
コメントを残す