何がカードを引かせ、何が表されているのか?
タロットの講義をしていて、よく聞かれるものに、〈1〉タロットカードは、何が(誰が)引かせるのか? そして、〈2〉出たカードはいったい何を表しているのか? というものがあります。
あくまで私の考えですが、結論から言いますと、両方とも、「答えはいろいろ」(笑)となります。
まず、〈1〉の、タロットカードは、何が(誰が)引かせるのか?
という質問から見ていきましょう。
大きく分けて、これにはふたつの考え方があります。
ひとつは「自分」が引くという説、もうひとつは、自分以外の存在の何かが引かせているという説です。
自分が引いている(選んでいる)というものでも、顕在意識としては、普通、よほど特殊な記憶力でもない限り、タロットの表側(絵柄側)が見えないようにシャッフルして引きますので、何のカードかを自覚して引いているわけではないというのは当然わかります。
ということは、自分の中の潜在的、あるいは無自覚な意識(無意識)が引いていると言わねばなりません。
ただ、「そもそもすべては偶然」であり、そこに意図や意識(無意識含む)からの操作はないとしてしまえば、タロットは自分が「行為」として引いているだけで、その引かれた(選ばれた)カードに特に意味はないということになります。
それではタロットリーディングや、引いたタロットカードを象徴として解読していく作業自体(の考え)が成り立たなくなりますので、とりあえず、それは置いておきます。
ということで、タロットは自分が引いている説(それが単なる偶然ではないという説)を採るとしますと、ほぼ自分の無意識層・潜在意識層とカードの絵柄か何かにリンクして(関係して)、選ばせていると見たほうが合理的のようにも思えます。
もしそうであるならば、やはり引かれたカードは、自分の通常意識以上の情報が出ている(投影されている)と見てもよいことになります。
けれども、もし最初にカードの絵柄全体を知っていたとすれば、それを見た時の記憶が脳の中のどこかにあり、その印象をもとに、カードが選ばれているという考え方もできますが、これはまったくカードを知らない人、あるいは全体の絵柄を知らない人が相談者では多いので、あまり当てはまらないかもしれません。
それでもカードリーダー自身が自分でカード引く時、または引くカードのことを知識的・映像的に知っている相談者には、該当することもあるとは思います。
この場合は、自分の希望する絵柄、カードを意図的に(本人の自覚はなくても)出している可能性はあるでしょう。
たとえそうであっても、自分のあまり知らない意識層の願望が投影されたとして考えれば、それはそれで出たカード(の示唆)は有意義なものとなります。
そして、自分が引いたという説でも、心理的な意味での意識(メンタル部分)を超えて、魂的な部分が引かせたと考えられる場合もあります。
しかしながら、そこの区分けは難しく、結局、そうした次元や層の区分の話は、引いたあとで考察していくのもあり(リーディングする時に決まってくる)かと思います。
次に、自分以外のものが引いたという説です。
これは神とか天使とか悪魔とか、サイキックな存在とか、何か自分ではない何か、それも人を超えた(目に見えない)存在、エネルギー的な何かがカードを引かせたという説です。
こうなってきますと、もはや憑依と言えますし、カードをツールとした霊媒とか異能という表現にもなってきます。
タロットリーダーが特別なサイキック能力や巫女的な能力を持っていたり、託宣的にタロットカードを使ったりする場合は、こうしたこともあるかと思います。
またタロットの世界(特に西洋魔法的なもの)では、タロットの精霊という存在を扱う(コンタクトする)場合があり、そうした世界観と次元では、自分がカードを引くとはいえ、タロットの精霊との共同作業と言いますか、むしろカード自体が精霊の依り代のようなものとなり、カードを引くことがタロットの精霊とのコミュニケーション・コンタクトそのものになっていることもあるわけです。
それからかなり邪道というか、おかしな場合ですが、タロットリーダーや占い師の強烈な念・意志によって、相手に引かせるというケースもあります。
相談しながらクライアントを支配しているようなものですね。無自覚でされている場合もあるので注意が必要かもしれません。
最後に、究極的な説をご紹介しますと、引いた時にカードに絵はなく、いわば白紙の状態だったものが、引いた(カードを引いた人が見た)瞬間、絵柄が出てくるという説です。
まあ、量子的な考えとでも言いましょうか。実はこれはタロットをやっているうちに、私自身が思いついたものですが、正しいか正しくないかは別として、私自身は気に入っている説です。(笑) あ、でも、これを押しつけるわけではないですよ。あくまでこれもひとつの考えです。
次に、〈2〉の、出たカードはいったい何を表しているのか?
という質問です。
一番いい加減で、実は面白い答えが、「何も表していない」「ただの絵ですよ」という説です。(苦笑)
つまりは、意味づけるのは自分(タロットリーダーやクライアント)だということです。
これでは、今一納得できない方もいらっしゃるでしょうから、ほかのいくつかの説を述べてみましょう。
そのひとつは、カードは「正しいことを示している」という考え方です。
タロットの示すものは正しいという前提のもとで、タロットの象徴が私たちを正しい方向に導いてくれるというものになります。
ただ、この考え方で問題なのは、その「正しさ」の基準は何なのか?ということです。
一般的な(現実的な)成功とか幸せでの意味なのか? 心の満足のことを言うのか? はたまた神目線とでもいうべき、私たち人間を超越したレベルの智慧でもって示す正しさなのか?
そうやって考えていくと、いろいろと難しいことになります。
従って、占いにおいては、いいカード、悪いカード、またはカードによるポジジョン(位置・方向性など)によっての良し悪しを決めて、わかりやすくしている場合もあります。
しかしそれであっても、カードの(示す)正しさとは何か?という根底の疑問は残るでしょう。
これとは違い、カードは何かの良し悪しを示すのではなく、絵柄としての象徴があるだけで、それが心理的に投影されて意味を持つのだという説があります。
つまりは、心(潜在意識含む)の投影、心の鏡のような装置として現れるという説で、カードは端的に、引いた人の心を表しているというものです。
これなどは、もともとのカードの意味とか正しさとかが問題ではなく、どう見えるか?ということが大事で、いわば、ロールシャッハテストみたいな、模様の見え方が心や思いを示すということが主題になってきます。
従って、繰り返しますが、カードが表しているものは(絵柄を通して見る)自分の中の思いや意識ということになりますね。
そしてこれは投影ではない考えになってきますが、場合によっては、他人の意識や心も表すという考え方もあります。
その前提として、意識が自分と他人と(全員)で繋がっているというものがあり、だから、自分、あるいはタロットリーダーの引いたカードが、知りたい情報を示しているということで、それが(知りたいと思う)他人の気持ちであるのなら、まさにその情報が表れていると見るものです。(そのため、占い目的で使われることが多いのです)
その他、心の投影から切り離した考え方で見ていくと、ある「思想」とか「モデル」の位置・段階との関連を示しているという説が出てきます。
タロットには、様々な思想や宗教の教義と関係するものがあり、それが絵の形で伝承されていると見る向きがあります。
そうした「ある思想」「ある教義」では、タロットカードはそれを表すモデル図、象徴図、平たく言えば「紙芝居」(その思想を受け入れる者にとっては「神芝居」)のようなものとして考えることができます。
こうしたものでは、たとえカードに心が投影されることはあっても、自分の心が先ではなく、「カードの示す思想やモデルが先にありき」で、引いたカードの象徴によって、自分のレベルや段階、心境や状況を考察したり、あてはめたりするという形になります。
もしタロットがキリスト教の教義を説明するものであるのならば、「審判」というカードを引けば、それはキリスト教の説く「最後の審判」と関係すると見るような感じです。(普通、キリスト教でタロットなど使うのはおかしなことですので、厳格な信仰ではありえませんが)
先述した「正しさ」の基準でいえば、そのモデル、思想図としてのタロットが「正しい」となり、地図、羅針盤、航海図のようなものとしてタロットを扱うことで、今の自分の迷える状態を修正したり、導いたりできるという考えになります。
この場合は、うまく解釈していくには、教義や思想に盲目的にならない、タロットの絵柄の詳細な検証、知識が求められます。
その代わり、活用が正しく行うことができれば、象徴的に非常に高次のものを扱うことできると考えられます。
まあ、引いた(選んだ)カードが何を表しているのかということも、答えはひとつとは言えず、いろいろな考え方があるわけで、それはつまるところ、自分が採用する考えによるでしょう。
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