タロットとの出会い その1
いつも難しい言い回しや、象徴的なことばかり書いていますので(苦笑)、たまには雑談のようなものも書いてみたいと思います。
よくタロット講義の時などに、「タロットをやろうと思ったきっかけ、タロットとの出会いはどんな感じだったのですか?」とか、「タロットを仕事にしようと思ったのは、どういう経緯なんですか?」と聞かれます。
今日はそれについて(タロットと出会うまでを)書いてみます。
私は、今はそれをウリというか、あまり表立って言っていませんが、以前は、ブログのサブタイトルにも登場していましたように、私は地方公務員(県職員・一般事務職)をしておりました。
実はその前にも職歴があり、それは某信用金庫の職員でした。(もっとも数ヶ月で退職してしまいましたが・・・)
いやー、これだけ聞くと、えらい堅物、まじめという印象が誰でもするでしょうね。(^_^;)
それがタロットリーダーやタロット講師への転職?ですから、まあ、変わっているといえば変わってますし、今はともかく、ちょっと前までは無謀な選択、安定した職を捨てたバカな人というイメージを持たれてしまうこともありました。
ただ、もともと私は未知なるもの、目に見えないもの、オカルトや占いなどにも興味はありました。
けれども、それは素朴な好奇心みたいなもので、本格的に学んだり、修行したりというものではなく、今も発刊されている「ムー」なるオカルト雑誌を中心にした、今で言うとライトスピ的な興味に過ぎませんでした。
学研の「ムー」については、かなり昔から読んでいまして、中学生の頃、それこそ中二病のごとく、「この世界は不思議で満ちあふれている」「自分は何か特別なのではないか、いや、そうありたい」「魔法や特殊な力を得ることができる」などと、「ムー」を読んでは夢想している少年でした。
また、確か「トワイライトゾーン」でしたか、そんな別のオカルト雑誌まで発刊されるようになり、こちらも読んでいまして、謎と不思議の世界へのあこがれをますます強くしていました。
しかし、成長するにつれ、そういう世界から離れ、興味は完全に失ってはいなくても、現実を見ていくようにしましたし、演出や嘘の部分も見えてくるようになり、そうしていつしか、「ムー」を読むこともなくなりました。
やかで社会人になって、先述したように、地方公務員に就職して、さあ、これからは公務員として定年まで、一生生活していくことになるのだなと思っていました。
ただ本当は、なぜ公務員になったのかと言えば、夢としてマンガの原作者になりたいというものがあり、そのために定時できちんと終わる公務員が一番いいだろうと思っていたところがあったのです。
ところが、実際に就職してみると、それはとんだ勘違いで、公務員といえど、普通に残業も多いし、部署によってはかなりの激務であったのです。しかもしがらみも多く、時間的にも精神的にも非常に強い束縛感がありました。
ただ、最初に配属されたところが、意外にも児童相談所のケースワーカーだったので、事務よりも問題児童への親や学校からの相談・対応・処置ということが業務でしたから、一般事務職としては、かなり特殊な仕事内容だったと言えます。
幸い、当時は児童相談所でも分室という田舎の所属でしたので、時間的にはあまり残業などなかったのですが、当初は仕事がまったくわからず、つらい面はありました。
しかし私の勤務していた地方公務員というのは、3年から4年で部署が異動になり、それがまったく違う仕事をするようなことが多く、しかもいきなり、その分野・担当の専門(市町村を指導し、国から指導されるという立場)になるので、なかなか厳しいところがあります。
田舎の児童相談所から本庁に異動になり、私はここで初めて本格的な行政事務を経験することになるのですが、相談の仕事とはまるで違う(本来は事務・行政補助をするのが仕事なのですが)ことに面くらい、極めてしがらみの多い世界で、まじめには見えても、もともと内的には自由や反骨心の強かった私としては、精神が蝕まれていくのを感じていました。
それでも上司や同僚の助けもあって、何とかやっていけていましたが、蓄積されたダメージは少しずつ、かなり自分を浸食していたと言えましょう。
それまでは時間的にまだましだったから良かったのですが、本庁になってきますと残業も当たり前、かつ激越で、特に冬期の残業はとても多く、おまけに、そのストレス解消のせいと若さゆえに、遊び方面にも魅惑され、休日には出かけまくる始末でした。
要するに、精神だけではなく、体力も奪われて、ダメージが積み重なっていったわけです。
人間、「心身」というように、心と体、両方からやられると、確実に故障します。
次の転勤(異動)時に、すでに私は精神と肉体の限界を迎えており、転勤先での事務の引き継ぎを受けている時間、まったく相手の内容が耳に入らないことに気がつきました。
疲れているのに夜は寝付かれず、得たいの知れない不安が日に日に強くなり、出勤しても、まったく頭と体が動かず、しまいには、シャーペンさえも動かすことが苦痛になっていました。
児童相談所時代に、精神科医や心理士との交流もあったので、精神的な不調・病についての知識は少しありました。だから、自分の状態が心の病、いわゆるうつ病的なものであることを予想していました。
しかし当時はまだ今ほど、世間的にうつ病や精神の不調についての理解・認知はなく、いろいろと難しいところがありました。
受診しようにも、いわゆる心療内科的なところは少なく、精神科として精神病での受診の形になって、場違いな対応や医師の処置への不信感も結構経験しました。
とはいえ、もはや朝、起きることすらままならない状態になり、しかも強烈な不安が襲ってくるようになり(パニック症状に近いもの)、とうとう診断書にて、休職することになりました。
公務員は休職の面では民間より、かなり恵まれているところがあります。
しばらくは給料も出ますし(次第に減ってきますが)、精神的な病気療養の場合は、医師の診断がついている限りは、結構な長い休職期間が認められます。
これがいい面と、逆にあだとなるところがあり、おかげで回復することもできたのですが、ある程度の猶予があることで、公務員を続けていくことに対する疑念や、生き方そのものへの模索を考えることになり、復職して、またがむしゃらに働くといことへの揺らぎ、不安、疑問などが起こるようになっていたのです。
つまり、自分は何のために生きているのかという、根本的・哲学的とも言えるテーマに踏み込んでしまったのでした。
少し長くなりましたので、つづきはまた明日か明後日に。
つづく。
タロットとの出会いまで、全然たどりつきませんでしたが・・(笑)
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