タロットとの出会い その2
タロットの出会いまでのお話、前回からの続きです。
公務員生活で、うつ病やパニック的ともいえる不安神経症になってしまったことで、かえって自分の人生や生き方というものを考え直さざるを得ない状況になったところまで語りました。
実は、このうつ病時代の話では、阪神大震災とからむ、運命的ともいえる、大災害・カタストロフィの中での自己救済のストーリーがあり、時々、マルセイユタロットの講義中において、「13」「審判」の象徴性のエピソードとして語ることがあります。
しかし、今回はそのことについてはふれず、また別の機会に譲ります。
公務員で休職復職を幾度が繰り返すうちに、心と体が抵抗しているのか、復職しても出勤時に身体が硬直し、足がなかなか前に進まず、何とか外に出ても、息苦しくなり、再び家に戻ってしまうようようなことが多々出るようになりました。
そんな中でも、かろうじて職場に行き、何とか軽減された仕事内容で、定時までこなして帰るという状態が続きました。
大きなパニック的不安は少なくなって、日常生活は何とかできていたものの、出勤時の困難さ、疲労感は大きく、このまま公務員を続けていくのには無理があるのではと感じていました。
また、一人前の仕事もできない自分に、周囲の目線も気になり、悶々とした日々でもありました。
その間、人生の探求に、いろいろな本を読むようになり、同時に、完全な治療・復活を求めて、普通の医療では難しいと思い、代替医療から心霊的な治療、祈祷師、拝み屋さん、怪しい占い、新興宗教に至るまで、治療や回復のきっかけができるものと思えば、あらゆるものに手を出すようになっていました。
それこそ、全国を駆け回ったという感じです。関西に住んでいますが、北は北海道、南は九州まで行きました。さすがに沖縄には行けませんでしたが・・・(苦笑)
この間に使ったお金は相当な額になりました。中にはだまされたと言っていいものもあります。
今思えば、平常心とバランスを失い、かなりのあせりもあったのだと思います。
それでも、今だから言えるのですが、この間の経験も、ネタとしてなかなかのもの(笑)があり、よいこともあったのは確かです。いいも悪いも含めて、自分の修行(実際的・霊的両方)に、実はなっていたのです。
しかし、結局、たくさんのものを試しましたが、完全によくなったという実感を得ることはできませんでした。
その実感を得たのは、なんのことはない、他人や技術に頼らず(依存せず)、自分が治すのだ、自分がよくなるのだ、よくなりたいんだという意志の結果でした。つまりは、自己責任をきちんと認めた(自分を受け入れた)時に、完全に症状は治まっていったのです。
言ってみれば、自分が病を起こし、自分が中途半端にさせ、自分が最終的には治したのです。(注意:全員にこれが当てはまるということではありません。いろいろな条件と実際の治療が重なったうえで、気づきと時間の効果もあって、自分を受け入れることで、回復がなったということです)
そして、ほぼよくなりかけた時、最後に出会ったのがマルセイユタロットでした。
その時、大分、心も体も落ち着いてはいましたが、まだくすぶっているものもあり、さらには、すでに自分の中では、公務員を辞めることになるだろうという思いも固まってきた時で、辞めたあとの仕事のことなども考えていた時でした。
公務員は、天下りの人や、特別な資格のある仕事の場合は別としても、辞めてしまうと、まさにつぶしがきかず、どうやって新たな職を得ればいいのか、悩むところでした。
児童相談所で親御さんの相談をしていた経験とか、病気の経験のこと、そしていろいろな本を読むようになったこともあって、おこがましくも、皆さんにアドバイスできるような仕事ができればと思うようになりました。
そして思いついたのが、「占い師」という仕事です。(苦笑)
これは当時ば、興味があったというのもありますし、占い師をなめていたところとか、公務員で世間知らずのところがあって、勉強すれば仕事としてできるようになると考えていた節があり、思いついたものです。今思うと、かなり恥ずかしい着想の過程です。
最初は東洋的な占いに興味と関心があったのですが、たまたま見た雑誌の特集で、タロットが載っていたことで、タロットにも興味が向いたのでした。
その雑誌とは、前に書いた「ムー」です。(笑)
そう、再び、たまにですが、私はこの時、「ムー」を読んでいたのです。精神的なものにまた関心が行くことで、大人になって、少年の頃とは違う目で見ていたでした。(長期的な視点で見ると、少年期の「ムー」の愛好は、将来の布石であったと取れます)
その、たまたま見た「ムー」の記事に、当時、「タロット国際学院」と言っていた旧タロット大学、現イシス学院の主宰でいらっしゃる大沼忠弘氏が書いた「カモワンタロット」のものがあったのでした。
それまで私は、タロットというものにまったく関心がなく、西洋の怖そうな絵のついた、おどろおどろしい占い道具だと思っていました。
先述したように、占い師になろうと思っても、それは東洋占でのもので、タロットとか西洋占星術には興味はありませんでした。(特にタロットはどこか非論理的な匂いがして、嫌っていたくらいです)
ところが、大沼氏が紹介し、書いていていらした「カモワンタロット」、つまりカモワン版マルセイユタロット記事内容は、私の心に響きました。
そのタロットが語る教義は、占いを超え、人間の成長・完成に関わる重大な内容が象徴的に表されること、そして一種の絵物語・絵巻物のように、カードの人物を中心にして、タロット自らが物語をつむぎ、語り出すことを、その絵柄とともに知ったのでした。
それはちょっとしたショックでもあり、衝撃でした。
タロット(特にマルセイユタロット)がこんなにも深いものだとは知らなかったのです。
とはいえ、この時の記事も、単に入り口であり、私自身もマルセイユタロットが何なのか、よくわかっておらず、まだまだ「占いのカード」の認識の域でした。
その証拠に、記事の横に、国際タロット学院の告知もあったので、私はここに電話して、このタロットを学んで「占い師」として仕事ができるかを聞いてみようと思ったことからも言えます。
まあ、タロットに精神的なすごさは感じても、現実的な部分での思い(プロ占い師の技術と道具になること)もあったということです。(それが人間というものでもありますが・・・)
そんなこんなで、私は思いきって、国際タロット学院に電話しました。
この時、電話に出られたのが主宰の大沼先生(私には先生になりますので、そう呼ばせていただきます)でした。(この時の私はまだよくわかっていませんでしたが、何かえらい人が電話口に出られたというのは感じました)
私は先生に、不躾ながら、「ムーの記事を見ました。私はまったくの初心者ですが、タロットのプロになれるでしょうか?」と聞いてしまいました。(苦笑)
先生は、「誰でも最初は初心者で、頑張れば、君もプロになることもできる」とおっしゃいました。
なるほど、確かに最初は誰でも初心者だ、こんな自分でもプロになる道
もあるのかも・・・と思い、講座について伺いました。
すると、先生は、「君はどこに住んでいる? ん、関西か、それならば、ちょうど近いうちに大阪で講義があるから、そこに来なさい」と告げられました。
なんと、タイミングよく、すぐに関西・大阪での講座があるとのことでした。
ちょっと躊躇していたのですが、勢いというか、流れで、その場で申込みをしてしまいました。
こうして、私は初めてタロットに接し、学ぶことになったのです。
それが、奇しくも、2002,2,2(初講)のことでした。
あとでタロットが「22」という数が重要なものであることを知り、半ば運命的なものを感じました。
まあ、こう書くと感動的な面もありますが、実際は、最初の講義では、少人数とはいえ、参加者の皆さん、すでに「秘伝カモワン・タロット」という本を読みこなされており、再受講というか、すでにかなりの知識と読みもできる人もいて、私だけがまったくの実は初心者だったことがわかって大変でした。
私など、大沼先生が持ってこられた「秘伝カモワン・タロット」の本とタロットをその場で開封し、皆さんがサクサクとタロットを並べられているところを、何にもわからない状態で、見よう見まねで、冷や汗をかきつつ、必死の思いで、皆さんについていこうとしていたことを思い出します。
いろいろと本は読んでいたものの、いわゆる西洋の、しかも秘伝的な知識とか教養には、ほとんどふれたことがなかったので、自分の乏しい知識にも幻滅しました。
さらに悪いことに、公務員をするほどのマジメな固い性格が災いし、タロットを読む柔軟なセンスと感性に欠け、先生からもタロットリーディングの練習の時には、「君は頭が固いなあ・・・」と言われる始末でした。(苦笑)
ですから私は、「ああ失敗した、タロットなんて絶対向いていない、東洋占にしておくべきだった・・・」という思いが最初のうちはしていました。ほんと、今思っても、この時の落ちこぼれ感はすごかったです。(^_^;)
まあ、でも、この時の参加メンバー自体も、実は優秀な方ばかりだったというのもあります。最終的に、この時の参加者は、ほぼ全員がカモワンタロットの講師になりましたからね。
こんな落ちこぼれの私が、なぜタロットをやめなかったかと言えば、まず、この時の大沼先生の講義とその知識に、すばらしさと感動を覚えたからです。
その語られる内容は、特に神性の内在性、古代象徴をベースに示される宇宙の精緻なシンボリズムなど、私の心と魂を揺さぶりました。
それまで、うつ病などで道を彷徨い、悩みつつのあった人生でしたから、特にでした。
そして、そうした探求に応えることのできるこのマルセイユタロットのすばらしさに、何よりも魅了されました。
それは単に占いという次元では語ることのできないもので、はるかにそれを凌駕した最高度の象徴大系・システムに思えたのです。
まだこの時の理解力は低くても、直感的にそう感じるところが私にはありました。
講義が終わっても、個人的に当時は大沼先生とお話できる時間を取っていただき、いろいろと学ぶことができました。現在は、先生とは故あって、交流することができなくなりましたが、今でも先生には恩義と敬意は変わらないものがあります。
一方、マルセイユタロットのすばらしさはわかりましたが、それによるリーディング実践ができなくては、プロリーダーになるということも叶いません。
だから、センスの悪さとか、頭の固さはありましたが、先生の言われるように、地道に、少ない枚数での読みの練習の努力を積み重ねて行きました。
幸い、公務員も辞めようかと思っていた時なので、休みとか余暇は比較的あり、時間は取れました。
そうやって、自己訓練を続けていると、ある日、タロットの語る言葉がふいに理解できるようになりました。
別の表現で言うと、タロットの精霊とのコンタクトが成立したみたいな感じです。
また、論理的にいえば、自分の中のタロットデータの蓄積とトレーニングが、タロットに関する情報処理速度を増し、ある程度の制限・限界値を超えた(器が満たされた)という感じかもしれません。技の習得に近い感覚です。
有り体にいえば、タロットを読むセンスが現れてきたということで、つまりはコツがつかめてきたのです。
これは先生も常々、「タロット(リーディング)はアートだ」とおっしゃっていたので、それがわかった感じでした。
ここから急激にタロットを読むことが楽しくなり、タロットとリーディングというものが、幾層もの重層構造になっていることにも気がついてきました。
しかし、練習(ただ厳しくではなく、楽しくやる練習です)は怠らず、この過程で、いろいろな練習法も思いつきました。これが、今に役立ち、受講生への勉強会でのトレーニングや指導方法にもつながっています。
ただ、自分だけでは読みが偏りますので、同じタロットを学ぶ仲間同士で結束し、リーディングの勉強や実践練習をする会の結成を促し、月一回で親睦も兼ねて集まるようにしました。この回は、関西では、いまだに続いています。(今は私は参加はあまりしていませんが)
こんな感じで、気づけば、どんどんマルセイユタロットの学びと熱中が大きくなり、占い師というより、タロットをリーディングして、人様の役に立ちたいと思うようになりました。
公務員は兼業ができませんから、タロット活動を営業的に行うようにするには辞めるしかなく、しかし、もうほぼこの時には、そもそも公務員を続けていくこと自体が、心身ともにできなくなっていたので、自然に辞めるしかなかったというのが実状でした。
タロットをするために辞めたというより、辞めることとタロットをすることが、自然な流れになってしまったという感じです。
もっと言えば、タロットしかすることがなかったみたいな(苦笑)、状態ですね。
ということで、今に至っているわけです。
マルセイユタロットと出会い、今も続けているのは、いろいろな理由もあるのですが、何より、マルセイユタロットが好きだからというのが一番です。
だからこそ、人見知りで、あまりコミュニケーションも上手ではない私が、こうしてタロットを通した対外的な活動を行えているのです。
タロット活動を本格的にやるようになってからも、講師の道とともに、いろいろなドラマがありますが、それはまたの機会にお話いたします。
個人的なエピソードをお読みいただき、ありがとうございました。
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