うつ病時代の放浪から。
久しぶりに、うつ病(と神経症)時代について書きたいと思います。
それも、回復期についてのことです。
不思議なことに、いや、ある意味、必然だったのかもしれませんが、マルセイユタロとに出会った時が、実はもうほとんど回復していた時でしてた。
これから新しい自分に変わっていく、あるいは元の状態を取り戻していく時期に、タロットに出会ったのです。
(ここはまさしく「運命の輪」のサイクルを象徴として思います)
しかしながら、その前は、本当に暗黒というか、混沌の時代でした。
公務員だった私は、公務員の制度にも助けられ、休職と復帰を繰り返すような状態で、自分でいったい何をしているのか、いらだちとあせり、同時に休んでいる時の安心感、特には怠惰な気持ちさえもありました。
とは言え、全体的には、先行きの見えない、自分が何者で、どうしたいのかもわからず、それ(先のこと)よりも、今心身の不調があることで、どうにしかして元に戻したい、気にならなくなりたいという思いのほうが強かったことを覚えています。
ところが、通っていた医師の方には、申し訳なく思うこともありますが、やはり、当時(おそらく今も)精神(心の症状の)医療に対しては、まだまだほかの面よりも遅れていると言いますか、はっきりとした治療方法や処置が確立していないところがあったように感じます。
つまりは投薬される薬、面談だけでは治らないという思いがあったわけです。
こういう場合、あせりも手伝って、民間療法・代替医療、ひどい時には、あまりたちのよくない宗教家、占い師、霊能者、祈祷師などの、少々怪しげな者、異端的な技術者を頼ってしまうことがあります。
私も実はそういう時があり、そのような方々が紹介されている本など購入したり、ネット(当時は今ほどネットが発達していませんでしたが)の検索や、人づて・噂に聞いたりして、実際に出向いておりました。
それはもう、ほぼ全国規模で治療家や解決方法を求めて彷徨い、北は北海道から南は九州まで(沖縄も行きそうになっていましたが(^_^;))、尋ね歩いていました。
この時の数々のエピソードは、今では講義のネタ話みたいに、生徒さんにお話することもありますが、今でこそ笑い話とかネタにはなりますが、当時の私は必死であり、金銭的にもかなりの金額を消費しておりました。まさに笑い事ではなかったのです。
とはいえ、ブログでよく言っておりますように、何事も両面、いいことと悪いことはあります。
そう、決して悪いことばかりではなかったのです。
まず、当時、気持ちはとてもそんな気分ではなかったのですが、旅をしているわけですから、各地の知らない場所に行くことが多くできました。知らず知らず新しい知見も得ていたのです。
そして、今では代替医療とかセラピーとかで当たり前にメジャーとなってきている各種療法を、実際にこの身で体験することもできましたし、セッションや相談を自分の体験として(クライアントの立場として)、経験することもできました。
もちろん、このことは今にとても活きています。
悪いことと言えば、先述したように、時間とお金がかなりかかったことです。
中でも、悪徳な人物とか(法外なお金を要求されたり・・・)に出会ったり、その人自身には悪気はなくても、得たいの知れない奇妙な療法を施されて、かえって具合が悪くなったりしたこともしばしばでした。
また、病院のようなところに強制的に閉じこめられるような体験もありました。
結局、かなりの人と場所を巡りましたが、自分の心身の調子が劇的によくなるとか、一瞬で変わる奇跡のようなことはなく(そう宣伝していたところもあります)、私はこの一連の体験で、「他人に治してもらう」という意識ではなく、自分が回復するのだという(他人が救うのではなく、自分自身が自分を助ける)意識(意志)のベクトルが間違っていたことに気づき、それからのちは、やたらめったら、どこかを探し求めるのではなく、今いる場所、今やっていることに集中し、落ち着くことを第一に選択していきました。
すると、心身も少しずつ回復し、いつのまにか気にならない程度になり、ほぼ「寛解」と呼べる状態に戻りました。
私はうつ病や神経症という不調を通して、このような経験と気づきを得たわけですが、これが正しいというつもりもありません。
これはあくまで私の体験と物語による教訓・気づきです。
しかし、皆さんにおいても、病気ではなく、普通の状態であっても、自分探しのように、あるいは何かうまく行かないことに対して、自分の内に原因があって、それを突き止め、治してもらえさえすればすべてよくなると思い込んで、各セッション・セラピー、精神世界系、成功系セミナーなどに通い続けていく放浪者となっている人がいるかしもれません。
そうした方へ、ちょっと違った視点をもっていただきたいと思う場合があり、私の体験とは分野と状態は違うものであっても、何かの示唆になればと、今回書かせていただいたものです。
冷静になれば、あなたは何も困っていないこともありますし、大変なように見えて、案外、シンプルに心定めれば、落ち着いてくるものでもあります。
無理に変わろうとしなくても、また変えてくれるものと強い期待をしなくても、あなたが経験することが、すでに自分の成長につながっているものなのです。
世界は一面では牢獄でありながらも、解放のチャンスはいつもあり、あなたの内なる神性と、救いの天使は、いつもあなたに寄り添っています。
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