タロットの示す未来
私自身は、今はほとんどタロットを占いとして行うことはありませんが、タロット占いを否定しているわけではありません。
占いは占いで、エンターテイメント性もありつつ、本来は深淵なものであり、また、人々の現実的な知りたい欲求を満たすにも有効な方法です。
問題は何事もそうですが、それが絶対であるとか、占い鑑定の判断に頼りすぎる(依存する)ことに問題があります。
つまり、シンプルに言えば、「人生は自分が選択権と決定権を持つ」という自覚(と責任)があれば、占いもよい指針になるということです。
ところで、タロットを占い的に見る場合、過去(を意味する部分のカード)よりも、どうしても未来(を示すカード)に目が行きがちです。
逆に、タロットを展開して、カウンセリングや自己洞察に使う時は、過去に重きが置かれます。
とはいえ、どちらにしても、もっとも重要なのは「現在」です。
しかし、それでも気になるのは「未来」の部分(と決めた設定)のカードでしょう。
そもそも、未来とは何なのでしょうか? ここであれこれ説を提示しても、長くなるだけですので書きませんが、ともかくも、ここでは、「まだ到来していない出来事」としておきましょう。
そうなりますと、未来はひとつとは限らないのかもしれません。よくSFなどでは、未来は無数に分かれた「世界線」のようなものがあると言われます。
今を分岐点にして、様々に未来像があるというわけで、言い方を換えれば、同時に存在する様々な世界が、未来に無数に存在しているとなります。いわゆる並行世界というやつです。
この考え方を取り入れると、結局、未来の多数の並行世界の中から、実際自分が経験する、ひとつの現実を選択していることになります。ただ、「選択している」のか、運命のように「与えられている」かの議論はあるとは思います。
いずれにしても、多数ある中からひとつになってしまうわけです。
ひとつにしてしまうのには、いったい何の力が働いているのでしょうか? 因縁なのか、強い意志なのか、運命や超越的な存在が選ばせているのか・・・それは私にもわかりません。
でも、もし、自分が選んでいると仮定するのなら、「現在」の自分が選ぶと考えるのが妥当で、ここからも、実は「現在」の自分の意識が重要だと推定されます。
まさに、未来を創るのは、今の自分だということであり、もしその、今の自分が過去からの影響を強く受けているのなら、最終的には、過去が未来を創っているとさえ言うことができます。
それゆえ、今に影響を(特に悪影響を及ぼしている)過去の思考や感情、データをクリアーにしておくこと、昇華しておくことは、未来にとっても大切だということがわかります。
ところが、タロットで未来カードを展開し、検証をしていくと、ほかのこともわかってきます。
それは、今起こっていること、経験していることは、未来になって初めてわかるのだということです。
いや、これは当たり前といえば当たり前のことなのですが、もう少し違った言い方をすれば、未来に起こることのために、今の出来事が用意されているという場合もあるのではないかということです。
例えば、ある勉強をしたくて(資格を得たくて)、とある講座で学び始めた人がいたとします。
そして、その人の(実際の)未来には、パートナーと結婚している自分がいます。
勉強を始めた動機、その当時の思いは、パートナーを得るためにしたわけではありません。仕事のためが主だったとします。
ところが、そこの同じ学習チームにいた人の知り合いと親しくなり、やがてはパートナーになったということであれば、結果的には、勉強とパートナー獲得とはつながりがあったことになります。
表面意識や現実意識(利害や計算を意識する通常意識)は、確かに、その資格取得の学習が目的でした。
けれども、別の自分(未来を予想できる自分と言ってもいいです)は、パートナーとの出会いを意識・目的としていたということも考えられるわけです。
もうひとつ、事例を紹介すると、ある人が、人生で初めてと言えるくらい、とても幸福な時間を過ごす時がありました。
ただ、それは長く続かず、その後、その人の生活環境が激変し、一般的には極めて不幸と言える状態になってしまいました。
でも、この人は、その前にすばらしい幸福な時間を経験していたために、それを糧に、苦境を耐えていく決意ができました。
もし、仮に、前の幸福な時間がなければ、今の状況は耐えられず、死を選んでいたり、自暴自棄になっていたりしたかもしれません。
これを未来から逆に見れば、将来起こる困難な状況のため、用意された特別な時だったと言うこともできます。
また、自分の無意識は、将来を起こりうることを予想し、今の選択(経験)を促したと表現することも可能です。
ほかにも言えるのが、時系列的には幸不幸を別々に体験していますが、時間を超越した中では、幸不幸が同時体験であり、そのどちらの(一般的な)価値観でもない、自分の人生の「味わい」「奥深さ」ともいえるものを実感できた(統合できた)のかもしれないのです。
未来は自分の手でつかむものと言われますが、そうとも限らず、やはり縁であったり、運命であったりするような、自覚する強い意志だけで選ばれるものだけではない、何かのつながり、用意(未来から贈られる物語)があるとも考えられます。
そしてまた、単純に過去・現在・未来と時系列で3つに分けた「時間」ではなく、すべてつながっており、過去から未来へ一方向に流れている認識だけでは、説明のつかないこともある(反対に、時系列はない)と考えると、タロットの展開ですら、興味深いものへと解釈も変わってくるのです。
とにかく、未来はたとえ決まっていたとしても、選んだり、運んだりする現実の思いと行動は必要であり、役者や舞台は用意されないと「像」は「現実」にはならないと思います。
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