お金・経済をレベルと枠組で考える
タロットの相談でも、意外に少なくないのが、経済的な問題です。
たとえ表向きは心の相談であっても、結局、生活のため、生きていくために、お金に関わることが含まれるからです。
大きな(スピリチュアルな)世界では、物質も精神も、言わばエネルギーととらえ、形になるかそうでないかの違いみたいに考えられています。
ですから、本当はお金も心も区別されるものではないのかもしれません。
とはいえ、願ったからと言って、お金が空中から飛び出てくるわけではありません。
とにかく、現状、この現実世界では、お金、あるいはそれに代わる財産や価値あるものを持たないと、生きていくことができない仕組みになっています。
ここで、お金の問題を簡単に整理してみましょう。
考え方として、レベルの枠を入れてみることです。
大まかには、個人(単独)レベル、家族や身の回り人たちを含むレベル、地域社会レベル、国レベル、アジア・ヨーロッパなど世界地域レベル、さらに地球全体レベル、宇宙規模レベル・・・といった感じで、次第に拡大します。
実は、それぞれの階層にルールがあり、システム・枠組みがあるものと考えられます。
同時に、その範囲においての自由と責任のようなものもあります。
現実的・具体的という言葉においては、この枠組(レベル)が下に向かう(小さくなる)方向となります。
つまり、一番現実的なのは、自分個人(の生活)のことになります。次に、家族とか自分が直接関係する人のレベルとなるでしょう。
だいたいの人において、このふたつのレベル・枠でもってお金を考えます。それは自分の生活に直結するからで、否応なく、お金の問題が生々しく関わってくるからでもあります。
しかし、このレベルを大きな方向から見てみると、お金の問題は、まったく違ったものとして見えてきます。
ただし、あまりにも大きすぎると、身近には考えられず、そうしたレベルでの考えに行き着くことはあまりなく、捨て置かれます。
そういう大きな枠のことは、ほかの組織や大勢の人が考えることだと思ってしまうわけです。
私が思うに、お金の本当の問題は、このレベル間で隔絶が起こり、具体的で現実的な個人の枠から、少なくとも地球レベルの枠まで、すべてが繋がっているいること、関連していることがわからなくさせられていることにあると考えます。
教育の問題も大きいです。お金や経済のことを大枠から教えられず、しかも個人レベルにおいても、お金の扱い方を訓練されず、親や外から見聞きしたもので学ぶしかないからです。
従って、自分のお金の使い方、扱い方、イメージは、自分の親やお金を与えてくれた人、お金と関係した人からのものが大きく影響します。
しかも、悪いことに、親世代もまたその親をモデルにしているため、これは結局、国レベルの伝統的ともいえる同じパターンの轍を踏むことが多く、それがその時代に合っているものならばいいのですが、経済システム(「あり方」ではなく「やり方」の方)も変化していきますから、親世代のやり方がうまくいかないこともあるわけです。
そういうデータをクリアーし、時代に合ったものにバージョンアップする必要もあるかもしれません。こういうところが、いわゆる「お金のブロック」などと言われるゆえんでしょう。
ただ、「お金のブロック」の話については、またいつか書きたいと思いますが、ブロックという概念自体がおかしいこともあるのです。また、ブロックがたとえあったとしても、それを簡単にはずすことは、かえってよくないこともあります。
世の中の考えは、すべては作られた概念といえますが、何もない状態にすることが、必ずしもいいとは限らないのです。ブロックそのものが、いわば、自我の肥大(悪魔化)を自動的に防ぎ、倫理観や天使性とバランスを取っているところもあります。
さて、話を戻します。
さきほど、お金の問題は、それぞれのレベルで見ることを提示しましたが、そうは言っても、やはり現実(お金のこと)を無視できない自分がいるでしょう。
この現実世界を、ひとつのゲーム世界だと仮定しますと、私たちはこの世界のゲームプレーヤーです。
ここでは、通貨・お金なるものが、あらゆるものの交換道具になっています。ゲームを進めるうえでは必要不可欠なものです。
なるほど、こうしたルールのゲーム(世界)では、お金を稼ぐこと、たくさん持っていることが有利なのは当然です。
しかし、このゲームの目的は、道具(お金)をたくさん持つ者がゲームクリアーとなるのか? ゲームの目的なのか?ということです。
お金はプレーヤーがゲームを円滑に進める(ゲーム世界に存在させやすくする)ための道具ならば、ゲームそのものの目的が別にあるはずです。
もしかすると、人によっては、道具としてのお金をたくさん持つことが目的だと思ってしまっている人もいるかもしれません。いつのまにか、手段と目的が入れ替わっているのです。
しかし、逆に言えば、このゲーム世界では、お金がなければプレーができず、所持金ゼロが一定期間続くと、ゲームオーバーとなるおそれもあります。
ですから、目的はあっても、手段を放置することはできないのです。
しかも、目的達成のための数ある手段の中で、お金は、今のところ、このゲーム世界の設定では、とても有力で重要な力を持っています。言ってみれば、まずはこれを持つことから始まり、過程においても常に持っておくもの・・・という基礎・土台です。(タロットの「玉・コイン」のスート)
タロットの相談の話に戻りますが、生き方の問題、仕事の問題において、その葛藤の多くは、経済と自分のやりたいこととの狭間というパターンです。
しかし、今述べたように、この世界では、お金は目的のために必要です。
自分のやりたいことは、抽象的・象徴的にとらえて(具体的な仕事とか「やり方」ではなく「あり方」と見て)、一方、お金は具体であり、手段であると見ていくと、意外に解決の糸口が出てきます。
目的を果たそうと、熱意をもってはいても、あるいはアイデアや発想があったとしても、また優しい心や、人とのふれあいがあっても、土台である「お金」という道具が最低限なければ、なかなか難しいわけです。
まずは自分の経済的安定を図ること(儲けるとか、たくさん持つというのではなくても、一応の普通の暮らしができるレベル)、これが選択においても大事になる場合があるのです。
やりたいことばかりを模索して、ずっと経済的に困っている、不安だというのも、実は本末転倒になっていることもあります。
とりあえず、自分に余裕を持たせること、ゲーム世界のルールに基づくことにから始める(戻る)ことを意識してみましょう。
ただ、そうは言っても、ゲーム世界そのものから逃れるという意志を持つ人、ゲームのルールを超越した方法でゲームを乗り切りたいという人もいます。
これは考えみればわかることですが、簡単なものではありません。
ゲームシステムに介在し、プログラムを解除したり、ゲーム世界からの脱出を図る必要があるからです。それでもこちらの方法で、お金の縛り(ルール)から解放されていく人もいるでしょう。(タロット的に言えば、「愚者」になること、「運命の輪」を超えること)
それを目指すには、そのやり方を発見し(学び)、それ行っていく覚悟が求められます。
それから、おそらくこのゲームは、プレーヤーの集合智(多くの人の合意)によっても、システムの変更が可能な世界だと推測されます。
それゆえ、現状のお金のルールを受け入れ続けるか、変換させたいかの選択によって、ゲーム世界自体も新たなものへと移行する可能性を秘めていると言えます。
さきほどの話とは矛盾するかもですが、自分の暮らしと向き合い、お金の必要性を思うのは仕方ないところもあるとしても、一方で、大きな枠組にも思いを馳せることがあってもいいと思います。それが世界の変革につながるからです。
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