「愚者」の犬から
来年は戌年ですね。
というわけではありませんが、ふと、このところ「犬」の象徴に出会うことがよくありましたので、マルセイユタロットの図像にも関係する「犬」について、書いてみたくなりました。
と言っても、ここでは講座で述べるものとは少し違う内容で紹介したいと思います。
マルセイユタロット(大アルカナ)で犬の絵が現れているカードは数枚あります。
具体的には、「愚者」、「月」というのが、誰が見てもわかるものですが、「運命の輪」の中の動物にも犬がいるとされています。
また「月」の動物は「犬」のようにも見えますが、「狼」とも考えられます。月と狼(男)伝説は有名ですよね。
それとは別にしても、特にヨーロッパの北方では、「狼」は神の使いであったり、神聖な力を持つ動物とされていたところもありました。(日本でも、狼が「大神」という響きを当てられていたこともあります)
と考えますと、純粋に「犬」と言えるのは、もしかすると、「愚者」に描かれている絵の犬だけかもしれません。
最初にふれたように、ここではタロット講義において語っている「犬」の詳しい古代からの象徴性について話しません。もし書くとしても、とても一回だけでは語り尽くせるものではないでしょう。
ですから、今回は、いかにも「犬」の図像である「愚者」の犬から、今回のブログ用に出てきたことだけを記します。
「愚者」のカードを改めて見ますと、愚者と犬は連れ添って描かれていることがわかります。
この犬がどのように見えるのかによって、あなたと「犬」に象徴される人(事柄)との関係性がわかることもあります。
押しているように見えるのか、引き留めようとしているのか、じゃれているように見えるのか・・・人によって様々でしょう。そして、この犬は、そのように投影できるよう(見る者によって姿、表情が変わるよう)にわざと描かれているわけです。
実際に犬を飼っていらっしゃる方は、まさにその犬である場合もあります。(時には亡くなった犬の象徴としても、出てくることがあります)
犬は吠えるものでもありますが、愛玩されたり、人間に役立つ(助ける)生き物として存在してきました。
「愚者」が私たち一人一人であるならば、寄り添うに描かれているところからも、この犬は何らかのパートナーであることは間違いありません。
詳しくは言えませんが、マルセイユタロットの「愚者」の犬は、動物の形をしながらも、象徴的には高次のレベル(存在)を暗示させる図柄になっています。
つまり、ここには、動物(犬)と人(愚者)という、一見、人とそれに従う関係を見せながらも、実は人が何かに従ってる(追い立てられている)という関係性も隠されています。
これはよいことにも置き換えられますし、悪いことのパターンにも考えられます。
私たちは自分が従えていると思っているものに従えされられていることもあれば、無意識のうちに、ある方向に進むように促されていることもあるわけです。
犬に吠えられて逃げなければならない区域もありますし、怖い犬を克服し、手なずけ、その境界を越える(超える)力を獲得しなければならないこともありえます。
「愚者」はその名の通り、愚か者のところもありますが、我々が愚か者(智慧が隠された状態、無明)である時、犬は警告を発し、私たちを追い払ったり、守ったりするのです。
人は積極的になること、進むこと、チャレンジすることをよしと見る向きがある中で、反面、無謀な蛮勇、エゴと誘惑による衝動的行動との区別がつかず、何でも直感的にやりたいことを選択すればOKという風潮に自分を見失うことがあります。
まだ準備や資格がない状態にあれば、警告に従い、避けること、動かない(選択しない)こと、今までを継続維持し、しっかり準備することも大切です。だからこそ、タロットカードは「愚者」のほかに21枚もカードがあるのです。
犬は忠実な番犬である時と、野良犬のようになって、それこそ一匹狼となることもあります。
「愚者」は自由をもっとも象徴させるカードでありながら、そこに犬が連れ立っていることは、(犬の本当の飼い主)智者の存在、智慧ある選択と行動も示唆されます。
あなたは何に忠実であろうとし、何から自由になろうとしているのか、犬に吠えられて、あるいは、犬に寄り添われて、あなたは気づくことがあるでしょう。
面白いことに、ドッグ、英語のDOGは、逆から読めば「GOD」になります。まあ、言葉の起源的には何の関係もないという話のようですが、タロット的に見ると、かなり面白い偶然です。
なぜ面白いのかは、ほかのカードとの関連を語らないと、その面白さが伝わらないのですが、それはまた講義でお話するとして、もし愚者と犬が合体したとすればどうなるのか?という、わけわからない(笑)ヒントをここでは書いておくに留めます。
ちなみに、「愚者」のカードを今私が見ますと、犬から追い立てられているように見えます。あ、そう言えば妻は戌年でした。(苦笑)
戌年の来年、皆様がいい意味で「愚者」となり、自らの自由を求めて、新たな旅路に進まれることを期待します。
ボン・ヴォヤージュ!(bon voyage!)
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