「占い」と「リーデイング」の違い
今日はタロットリーディングと占いの違いの話をしようかと思います。
「リーディング」と「占い」の違いについては、人それぞれの考え方がありますし、そもそも大きな枠で考えれば、その違いはないと言えるかもしれません。
ですから、ここで述べるものも、あくまで私の考える「違い」であり、それもたくさん(私自身でも考えているものの)中のひとつと受け取っていただけるとよいです。
両者の相違で、一番シンプルでわかりやすいのは、カードにランクやクオリティ(の違い)をつけるかどうかです。
もちろん、ほかにも「当たる・当たらない」で見るかとか、「未来予測重視か、過去整理・浄化が重視か」「他者から指針を得るか、自らが気づきを得るか」など、いろいろな区分け(違い)の見方があります。
今言っているのは、タロットカードにいいカードと悪いカードという区別をつけるか、カードはいいも悪いもないとするかの違いの見方です。
前者が「占い」になり、後者は「リーディング」となります。
まあ、問題はその良し悪しの基準を何にしているかということなのですが、ここでは一般的な価値観と言っておきましょう。
悪いこと、アクシデントが起こること、のようなものがカードに象徴されているのが「悪いカード」で、その逆のよいこと、吉兆を示すのが「いいカード」というわけです。
または、カードのポジション(正逆、置く位置など)にいいか悪いかを決めて判断するパターンもあります。いずれにしても、出たカードにいいか悪いかの意味が明確にあるわけです。
大アルカナでも小アルカナでも、よいカード、悪いカードがあり、それに基づいて判断していくのが「占い」ととらえます。
一方、カードにいいも悪いもないとする設定が、リーデイングだと述べました。
カードの象徴自体は、それそのものを表すだけであり、いいか悪いかの解釈は人間の思いや環境(状況設定)次第ということになります。
典型的なケースでは、「神の家」(一般では「塔」)や「13」(一般では「死神」とされるカード)が、両者の解釈の違いとしてわかりやいかもしれません。
「13(番)」のカードを例にすると、絵柄からして「死神」と呼ぶ人もいるくらいですから、不吉で悪いカードと思われがちで、そういう意味づけで判断されると「占い」になってきますが、「13」の象徴そのもので見る「リーディング」形式だと、決して「13」も悪いカードとは決められないものです。
「13」の絵柄は、なるほど、西洋でいう死神(装束)に近い絵柄ですが、そもそもなぜ西洋では「死神」がこの絵柄のような存在なのかとか、その意味や経緯を知り、「象徴」として理解すれば、この奇怪に見える「13」の骨の人物、その存在が持つ大きな鎌も、恐怖や死という言葉だけのものではないことがわかってきます。
たとえ「死」というキーワードがあったとしても、その死は、実際の死とは限らず、象徴として見れば、死は再生や成長のための段階、通過儀礼とも考えることができます。
悪いカードと決めつけてしまえば、もうそれ以上の解釈の発展はなく、そもそもタロットカードが「象徴」である意味も失ってしまいます。
「象徴」は多重性と階層性を持ち、ゆえに時代や種別を超越し、元型的にすべての人に相通じるものを持ちつつ、個別的にも対応されます。「象徴」だからこそ、見えない(心・霊的)世界にも浸透することが可能なのです。
ただ、いい・悪いというような、カードにランク・色をつけることが悪いわけではありません。
特に現実的・実際的場面(一般的価値観を元に判断するもの)の選択においては、はっきりとした良し悪しの基準がないと決めにくい時があります。
「こちらの道のほうがいいですよ」「あちらは悪いですね」とわかったほうが、すっきりし安心するのが、現実に生活する人間の心理です。
従って、吉凶判断、良し悪しに基づく選択のための指針に、「占い」的技法・意味づけによって、タロットを使うのも活用術のひとつと言えます。
ここで言っておかねばならない大事なことは、カードの「設定」です。
いい・悪いのような、カードにランクや意味をつける設定にしてカードを引くのか、あくまで象徴として見るリーディングの設定でカード引くのかという取り決めをはっきりしておかないと、両者は混濁します。(ごっちゃの解釈になる)
逆に言えば、カード自体に最初から良し悪しが決まっているのではないということです。
良し悪しにするのは、そのタロットカードを引く(解釈する)人間側なので、結局、設定が大事だということです。
タロットリーデイング・占いは、一種のゲームです。
ゲームのためにはルール・設定が不可欠であり、それがゲーム中に破られると、ゲーム自体が成り立たなくなります。
トランプで考えてもわかるように、大富豪をしているのに、神経衰弱みたいなルールにされてしまうと、プレーヤーは混乱してしまいます。
タロットカードは絵柄のついた象徴ツールであるので、絵柄自体は変わらなくても、設定によって、いかようにでも姿(ゲーム内容)を変えます。
占いをするのか、リーディングをするのか、どちらにしても、最初にはっきりカードの設定を決めておくことです。
悪いカードと決めておいたのに、読んでいるうちに、いいカードになってしまうというようなことはおかしいわけです。ただし、そういう、いいから悪いに変えること、悪いからいいに変わることもある・・・というような設定がOKのものなら、それはそれでもよいのです。
さて、話を少し戻しまして、結局、カードにいい・悪いとか吉凶で見る判断をする(占い)は、生活や現実に即しているものだということができます。
言わば、人々の生(なま)の悩みというか、欲求・願望をストレートに表す望みとか知りたい情報へのアドバイス、判断みたいなことです。それは精神的ではあるのですが、現実生活にダイレクトに結びつく「物質(モノ)感覚」だとも言えます。
言い換えれば、求める充足感が、物質的なもので満たされるイメージなのです。
例えば、パートナーや家族という「人間」を得ているイメージ、よい仕事、そこから波及する給料を得る、利潤というお金が得られる、よい暮らしのためのよい家を持つ、楽しく過ごせる友人や仲間を持つ、時間であっても、たくさんある自由な時間という貯金的で物質的イメージによる「時間があること」・・こういうモノ的な何かが満ちる感じとでも言いましょうか。
私が思うに、タロットの占い的な活用は、この私たちの中にあるモノ的なイメージを満足させることに目的があるという印象です。
一方、タロットを象徴として、ただリーディングするという姿勢では、モノを満たすものとは別感覚で、モノを超えた感覚であり、モノとか精神(精神という形)の充足ではなく、むしろ破壊、霧散、無限の拡大、希薄化という感じです。
ものすごく簡単に言えば、「タロット占い」はどこかにランディングしたり、固定させたりするイメージで、「タロットリーディング」はその逆の、流動や浮動みたいな感覚ですね。
あるいは、ひとつの確固たる成功ポイントに導くのが「占い」で、ポイントが無数にあって、どれも選ぶことが可能(しかし成功という概念で言えないもの)だと悟って(気づく)ための方法がリーディングと言えましょう。
とはいえ、どちらがいいとか悪いとかでもやはりなく、その人が何を望むのかということによって、占いとして使うか、リーディングをしていくかになるでしょう。
まぁ、どっちもゲームなので、ルールを守って、選んだゲームを楽しんでください、と言っておきましょう。(笑)
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