仕事の悩み・問題について。

タロットリーディングのご相談では、仕事に関することが多くあります。

これは、「仕事」という形を借りた、「自分の生き方」の問題になっていることが本質であることも、しばしばです。

ほとんどの人は、仕事の部分では、大なり小なり、悩み事を抱えていることでしょう。

問題は、現代の「仕事」というものが、生活(経済)のためなのか生き甲斐(やりがいあり、充実した状態と考えられるもの)のためなのかという葛藤を起こしやすい構造になっていることが大きいのではないかと思います。

言ってしまえば、お金の(食べていく)ために仕事をするか否かの問題が根底にあるので、であれば、まずは仕事とお金(生活のためのベース)が切り離せるような体制(システム)があればいいということになります。

従って、私個人の意見としては、ベーシックインカムのような、国民全員に最低限の生活が送られるための公助と共助があればと考えています。

まず食えない恐怖、のたれ死ぬのではないかという不安を、皆さんの合意のもとで助け合い、国としてシステム化するということです。

もちろんその代償としての税負担の増大とか、いろいろと問題がないわけではないでしょうが、まずは、こうした基本的な生活の不安と恐怖から解放することが、実は心理的にも大事ではないかと思います。

タロットで表現すれば、ベーシックな経済や生活の部分と、それが失われる(保障されない恐怖)というのは、4の「皇帝」と「13」(逆)で表すことができます。

そして、「皇帝」も「13」も、ともに隣の数のカードとセットで相補することができます。13には14「節制」、4「皇帝」には3「女帝」ということです。

「女帝」は計画性・先行きのビジョン、理想・アイデアを意味し、「皇帝」としての意味での現実生活の安定のためには、計画性や先進的なビジョン、理想とする世界観の必要性があると言えますし、「13」の示すベースのなくなる不安や恐怖は、助け合い・融通を意味する「節制」によって補助・解消されます。

そうして、とりあえず、食べていくことはできるという保障があれば、お金のために働くという意識が薄れ、突然の解雇や無理矢理の勤務という不安と苦痛からも逃れられ、皆に心理的余裕が生まれます。

そこから、生きる(お金や生活の)ためだけに働くという意識も変わり、仕事の概念自体の改革も期待できるというものです。

そうして次第に、働くこと、仕事をするということは、生き甲斐のため、自分の人生をより充実するため、人々や社会に貢献するためというものに(お金儲け一辺倒のものから)シフトしていくように思います。

仕事の選択ももっと自由になり、仕事の種類や働き方の時間も、大幅に変わっていくことも予想されます。

とはいえ、これは社会システムから見た仕事問題のひとつのアプローチであり、社会ではなく、個人単体で考えた場合は、人それぞれ(個別)の問題がありますし、社会改革を待っていられないこともあります。

それでも、本質的には、仕事をするからにはやりがいのあるもの、自分が充実するものをしたいという思いが、いずれの人にもあるように思います。

そのうえで、現実的な問題として、経済と生活のことも関わるので、思いだけでは解決しない葛藤や悩みが仕事問題で現れます。

もうひとつは、仕事は、一人コツコツとしてやっていくようなものは少なく、たいていは他人と関わることになり、それもプライベートのような親しい人たちだけでやっていけるものではありません。序列や階級もあり、組織として動かなければならない場合がほとんどです。

従って、人間関係の問題が主(本質)の「仕事の問題」もあるわけです。

これはお金の問題(のこともありますが・・・)ではなく、いわば人の心の問題に関係し、数値化もできず、決まった答えもないため、なかなか解消しづらいところがあります。まあ、その対象人物と関わらない環境になれば、問題はあっさり解決するのですが・・・そうできないので厄介なのですね。

それらも含めて考えますと、仕事の問題というものは、マルセイユタロット的に見ますと、

●経済・お金(生活していくための手段)としての問題

●心理的・気持ち(人間関係含む)の問題

●常識を超えた次元(魂や霊的な次元)での問題

がある言えます。

そして解決策として、

●最優先のものを決めて選択する策
お金が最優先なのか、心の満足が一番なのか、働きやすさや生き甲斐に価値を置くのかなど

●バランスや間を取る策
妥協や二足のわらじ的なものも含む

●冒険したり、夢に向かって走る策
なるようになれ!と思いのままに行動する リスクを取ってでも夢にかける

●ペンド・そのままにする、状況観察、時間経過を待つ策
状況推移や時間の解決を待つ あるいは我慢したり、放置したりする

などがあります。

個人的意見としては、どの選択をするにしても、自分の責任ということを自覚し、他人や運、環境のせいにせず、行動していくと、それなりに満足したものに最終的にはなるのではないかと思います。(自分への責任の意識と実際の行動が、自分自身の力を取り戻させることになるため)

あと、私の経験で言いますと、毎日ずっと死ぬことを考えるくらいになるまでに至っているのなら、その仕事を辞めたほうがいいと思います。

自分で死を望まない限り、つまり逆に言えば、生きていこうとする思いがある限り、なんとかなるものだと感じるからです。(死を望む毎日は、自分を殺している、自分が死んでいる、自分が殺されているのと同じです)

そして、甘えの気持ちからではなく、自分で生きていくという意志をもっていれば、その上で、何でも一人でやろうとせず、困っている時は、きちんと助けてもらえる人や組織、機関などに頼ることです。

捨てる神あれば拾う神ありで、救いは探し求めれば、必ずあります。

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