自分と世界との関係を三枚のカードで見る

今日はマルセイユタロットの、「吊るし」「悪魔」「世界」に関するお話をします。

この三枚は、自分と世界(外側・他人など)との関係性を象徴するカードとして(整理するために)使えます。

まあ、「世界」はそのまんま名前が「世界」ですから、何となくわかると思いますが、ほかの二枚は意外かもしれません。

ではカード別に見ていきます。

まず、「吊るし」

このカードは、逆さまの吊された人物が描かれているカードです。私たちの解釈では、吊されているのではなく、自分が吊っている、このスタイルを取っていると能動的にとられえますが・・・。とにかく、特徴としては、囲いの中に入っているように見えること、そしてやはり逆さまであることです。

ということは、狭い世界、あるいは自分だけの世界(人とは違った観点)にいることがわかります。

問題性として見た場合、いわゆる引きこもり、まさに自分中心でありつつ、外に開かれていない、外と関係を持とうとしないところです。しかも、逆さまなので、独善的、天の邪鬼、ひねくれている、素直に受け取ろうとしない、穿った考えにとらわれているなどと指摘することもできます。

ただ、物事には両面ありますので、よい点として見れば、外の世界と隔絶させることで、自分らしさを知ったり、静寂な落ち着きの中に自分を安定させることができます。他人や企業・組織からの広告・宣伝などに翻弄される(影響される)ことも少なくなります。孤独ながらも、自分の世界(観)を保つという感じでしょう。

「吊るし」の状態に自分がある時、世界は自分が中心となり、さらに、交流は内的なものに限られ、実際の人間や外側の世界観とは離れたものになります。我関せず、ゆえに我の世界に遊ぶ(あるいは囚われる)という印象です。

「あの人、変わっているよねぇ」と人から言われても、気にならないか、そのような噂があることすら知らない世界にいるか、そもそも、他人に理解してもらおうという態度でもないと言えましょう。

次に「悪魔」です。

「悪魔」のカードの絵柄の特徴は、悪魔を中心にして、ほかの二人の小さな人物をつなげてしまっていること、二人の人物から見れば、つながれてしまっていることです。これを束縛と取るか、強い絆と取るかは、状況や考え方次第です。

そして、自分と世界との関係性で見ると、自分が悪魔となるのか、つながれている人物たちと見るかで立場が変わってきます。

自分が悪魔の場合、人を魅了するカリスマ的な強烈なパワー、世界観を持っており、言ってみれば“ワールドイズマイン”世界は私(のもの)というくらいの気持ちを持っていると言えます。

従って、人々はこの悪魔の人物を、モデルや理想、活き活きと自分を表現している人と見なし、その人の世界に魅力を感じ、引き寄せられていくのです。この引き寄せられている側がつながれている人物たちです

自分と世界の関係について戻りますと、「悪魔」のカードは、「吊るし」と同じく、自分の世界というものの中にいますが、「吊るし」と違うのは、それが他人にも開かれているということです。むしろ、自分の外の人やモノにを抱き込んで(巻き込んで)、自分の世界に引き入れてしまう状態とも言えます。自分自身が外側に拡大(問題の場合は肥大)しているわけです。

自分が悪魔になれば、多くの人からの支援や賛同も得られるでしょうし、人気者になったり、持ち上げられたりして、時代の寵児としてもてはやされることもあるでしょう。精神的・物質的にも豊かになる可能性があります。

少なくとも、自分の考え・行動そのものが世界みたいになってきますから、「世界は私のためにある」「私こそが世界」のような、強い自信にあふれ、自分と賛同する人物たちの人生は楽しくなるはずです。

最後に「世界」です。

「世界」のカードは、マルセイユタロット的にも、ほかのカードにおいても、最後の到達点・心境・完成点と言われることの多いカードです。

つまりは最高度の状態を示すと言ってもよいものです。ということは、自分と世界との関係においても、理想的なものと見ることもできます。

「世界」のカードの構造は、4つの生き物に囲まれた、リース状の中で踊っている人物が特徴的です。

よく見ますと、「世界」の人物と「吊るし」の人物が、そのスタイルにおいて、よく似ているのがわかります。(マルセイユタロットの場合)

ただ、違いもあって、「世界」の中央の人物は、手足が外に広がっており、「吊るし」は手足が縛られているように見えることです。踊っているか(動的)、逆さまに耐えているか(静的)の違いと言ってもいいでしょう。そして、ともに足が「4の字」を組んでいることが共通していますが、これは秘伝・口伝に関わりますので、ここでは述べません。

とにかく、「世界」は、中(の人物)は動的であり、リースの中にいながら、外に広がっているということは、内外との交流があるということです。

4つの生き物が見守っているかのように静的であるのも、中の動的な人物と比較して興味深いところで、「悪魔」の二人の人物たちとは違って、4つ生き物はつながれていません。自他の関係性においては、それぞれ自立性と自由性があるとも言えます。

「悪魔」は魅力とパワーがある者ではありますが、他人を自分の世界に必要としており、つなげておかなければなりません。また、つながれているほうも、つながれなければならない理由が、いい・悪いに関係なくあります。

一方、「世界」はつなげる必要はないのです。つなげるということでは、「吊るし」にも“ひも”があり、枠のような横木に足を結びつけています。つまり、「吊るし」も木に結びつける(つなげる・つながれる)必要性があるのです。

自分と世界との関係で見た場合、「世界」では、自他、内と外、理想的な状態で自助と共助と公助が調和しているものと考えられます。

いわば、自分が世界でありながら、人が(の)世界であることも認めている状態と言えます。人の世界と他人の世界の両方を統合した世界観・関係性と言ってもよいでしょう。

ただ、理想的であるがために、そのバランスが難しく、他人と自分の立ち位置、あり方、自我の優先と他者への気遣い、貢献や奉仕との兼ね合いに悩む状況も生まれます。

結局、これら三枚は、どれが悪いとかいいとかを言っているわけではありません。

自分と世界との関係をどうとらえるか、どのような状態に現在いるのか、自分にとって、どの状態が今必要とされているのか、そういうことをタロットの象徴を通して把握する、理解することが大事です。

「吊るし」である時も、「悪魔」である時も、「世界」である時も、場合によって必要なのです。

すべてのカードの中立的な象徴性の状態が、意識の偏り、囚われ、無知(この無知は知識のことではなく、自分のことに気づいてない無知です)によって、「問題」となっているのだと言えます。

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