小アルカナ、4の世界の分類と学び。
タロットの小アルカナの原理として貫かれている法則に、4つの質によってシステム化されているところがあります。
いわゆる四大元素であり、スート(組)としての4組のことです。
タロットは伝統的な構成であるものは、78枚のもとに、大アルカナ22枚と小アルカナ56枚で構成されています。4で割り切れるのは、小アルカナの世界ということになります。
4という数は、いろいろな考えはありますが、ある根拠に基づけば、精神や霊的な世界より、現実(形のある世界)を示すものになります。(特に3と対比されます)
小アルカナの宮廷カード(コートカード)16枚と、数カード(スート・数札)40枚もともに、4を基本数として構成されていますので、それぞれも、そして合わせた56枚も、4で割り切れることになります。
さきほど、4は現実を示す数であると言いましたが、そうすると、小アルカナは現実で割り切れる世界、言い換えれば現実に適応する世界だと述べることができます。
逆に22枚の大アルカナは、4では割り切れないので、文字通り、現実では割り切れない世界(現実的な観点ではとらえきれない世界)だと言えるわけです。(仮に数を持たない「愚者」をあえて除いたとしても、21枚であるので、やはり4では割り切れません)
このことからも、適応範囲や次元が、大と小では違うことがわかります。マルセイユタロットの場合、それを明確にするために、特に数カードは大アルカナの絵図のデザインとは大きく異なったものにされています。
さて、4で割り切る世界の小アルカナは、それが現実の世界(を象徴するもの)であるならば、私たちの通常の認識では、物事と人間は4つの世界・性質で分類されることになります。
スピリチュアルな世界では、統合や融合が要請されることが多いですが、現実問題、私たちは分離した世界の中で生きているわけです。
分離は、相争えば競争や差別、戦いということになりますが、適材適所という言葉もあるように、お互いの性質の違いを認め合えれば、それはまた個性の活かし合い、助け合いとして、有意義なものともなります。
分析や分類は時に大切なもので、いきなりで強引な統合化・一体化というものは、混濁や混乱を呼ぶことがあります。
例えば、私たち日本人にはあまり問題に上がりませんが、ヨーロッパなど海外では、(現在の)国というより、地域・民族に自分のアイデンティティが強固であり、「ああいうやつらと一緒にされてたまるか!」と分離・独立の運動が激しいところがあります。
もちろん歴史的な経緯とか、宗教性とか、ずっと争ってきた領地・戦争等のことでの先祖からの因縁もあって、感情的にも簡単には融合することが難しいこともあるでしょう。ともかく、統合することが「和」として正しいのだという正義は、場合によっては横暴にもなるわけです。
それでも、いつか統合を果たしていくことを目指すには、逆に、それぞれの独立性、個性を互いに認める必要があるでしょう。そのうえで、融和していく過程を迎えるのです。
これは、一人の人間の中にも言えることで、私たちは先に述べた4つの性質で分けられるとともに、さらに、一人一人にも4つの性質が内包されているのです。
四大、つまり風・水・火・地の性質全部が、自分にもあの人にもあるのです。
有名な分類(あてはめ)の仕方では、風が知性・思考、水が感情・愛情、火が情熱(直感・創造性)、地が肉体(感覚・物質)というものがあります。これらは誰にでもあるセンサーであり、欲求・欲望の源泉のもとでもあります。
例えば、恋愛にしても、それが肉体的なものが中心なのか、情的なものなのか、計算によるものなのか、運命的なものとして、情熱にかられているものなのか・・・など恋の形、傾向があります。またそれらは、刻々と中心の位置が変化していきます。
恋においても、4のポイントによって動かされていることがわかってくると、恋を通した自己の体験を、本当の成長(変容)へと変えていくことができます。つまりはそれが統合(死と再生でもある)なのです。
4つの視点で、この現実の世界とそこに住まう人間たちを観察・洞察することは、4つの分離眼を持つに等しいことです。
先述したように、小アルカナの世界は現実を表すのには適している構成となっています。むしろ、4を中心とした観察で、分離した世界を把握することが、小アルカナの課題やテーマと言ってもよいでしょう。
この4つの性質を徹底的に把握し、分類し、その個性を理解することができた時(言い換えれば、4つを葛藤させるのではなく、有機的に関連した全体の中の個性だと認められた時)、真の統合に向かって飛躍していきます。その(向かう)世界は、錬金術的には第5元素の世界と言われるものです。
つまり、統合のための前段階、分離による整理が、小アルカナを使う世界観・段階だと表現できます。
これを、私たちは通常の生活、人の現実における一生の様々な出来事として経験し、学びます。すなわち、4大に分かれた性質世界の現実体験です。
おそらく亡くなってから、第5元素の世界に少しふれることができるシステムになっており、そこで、自分の生きていた現実世界の四大の仕組みを本当に知るのです。
しかしタロットは、生きながらにして、生前にもっとその世界を知っておこうというものであり、大アルカナの割り切れない世界観に参入し、魂の解放を目指そうというものでもあるのです。
普通に生きるているだけでも、多くの四大の学びを体験をしていくわけですが、その上部概念の第5元素の世界観にふれない限り、なかなか四大分離の世界のループから逃れることも難しいわけです。
確かに、人生の中で、悟りのような境地を抱くことが、誰しも一瞬とは言え、あると思います。
困難な仕事を成し遂げた時、恋人と心から愛し合った時、家族と幸せな時間を過ごした時、大自然や偉大な建築物などを見て感動した時・・・それは本当に色々で、人それぞれですが、人生を真剣に、あるいは楽しく、またはとても頑張って生きている時に訪れるものです。
それでも、第5元素的な学びも並行していると、また今生は違った意識になることができるかもしれません。そういうもの(人)のために、マルセイユタロットは存在しているとも言えるのです。
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