「13」の吐き出し
マルセイユタロットの名前のない「13」のカード。
絵柄が強烈なだけに、最初は怖い印象を持つ方が多いのですが、意味がわかってくると、どんなカードもそうですが、カードにいいも悪いもないことがわかってきます。
そう、13には13の役割があるのです。これまたどのカードもそうですが、その根源的な象徴性はひとつでも、具体性・現実性として見ると、多様な意味を持つ事になります。13もしかりです。
その多様な意味の中のひとつに、デトックス的な吐き出すような浄化(作用・作業)というものを考えることができます。
これには、もちろん、物理的な意味での吐き出し・浄化もあるのですが、むしろ心理的な部分での意味を見るとよい場合があります。
私たちには、心理的なデータ(人生で受けた感情的・意識的な記憶のようなもの)がたくさん自分の中に眠っていると考えられます。
それは心の癖のようなものでもあり、また知らず知らず自分を動かしている信念や思い込みのようなものであったりもします。
自分でわかっているものもあれば、無自覚なものもあります。一般的にやっかいなのは、自分で気づいていないデータ群のほうでしょう。
潜在意識(とひとくくりにするには問題があるとは言えますが)にある記憶・記録のようなものです。
それらが今の自分に問題となってくる場合、昔の自分にとっては重要なものであったのに、現在では必要のないもの、むしろ自分を困らせるものになっていることがあります。
また、いわゆる抑圧された感情と言いますか、本当の素直な気持ちとは裏腹な、仕方なく偽の自分を演じて、内部的に葛藤を起こしてしまっているデータというものもあります。
この解消には、第一に、そのデータ・記録状態に気づくということがあげられます。
しかし、長い時間を経過していると、そこから来る葛藤でさえ、もはや無意識と言いますか、自動的になっていて、習慣みたいになっているので、不快感よりも逆に表面的には心地よさを感じてしまっていることがあります。
従って、独力での気づきには困難なことがあり、(専門家的な)他人のサポートが必要とされる場合があるのですが、それでも何とか一人で、自分の妙な感情や、抑圧している葛藤の気持ちに気づいてきた時、そのシステム(何の対立・葛藤なのかという分析・原因)がわからないにしても、とにかく不快さを何とかしようと行動に出ることがあります。
そしてたいていは、好きなことをしよう、嫌なことはやらない・・・みたいなことになって、旅行したり、自然とたわむれたり、親しい友人と過ごしたり、趣味を始めたりします。
全体的に他人に気遣おうとせず、自分中心で行こうという、まあ、感情に素直にとか、自分の感覚に従おうという行動を志すわけですね。
それはいいのですが、もともと葛藤している根本のデータがあるわけです。
それは奥の方で押さえている本当の気持ち(の自分)と、実際の生活においては波風立てないようにしているもう一人の自分との戦いの状態とも言えます。
波風立てないため・・・というのも、実は本当の理由ではなく、自分の恐れこそが真の理由であり、その恐れは自分が正しいということが否定されることへの恐怖や、つまるところ、自分自身の価値に関わることであって、言ってしまえば自分で自分が認められるかどうかにつながっています。
ともかく、抑圧されている純粋な自分、正直な自分(の感情)というものがあり、そのふたを開けることが恐さでもあるわけです。
長くなりましたが、ここで「13」なのです。
結局、自分の気持ちに素直になろうとしても、このふたの底に眠る本当の自分を開かない限り、今やろうとしているものは、嘘ではないものの、これまた表面的な「仮の素直な」自分の気持ちなのです。
ですから、最終的には、いや逆に、「最初には」と言ったほうがいいかもしれませんが、ふたの奧に抑圧されている自分の感情(データ)を吐き出す必要があるのです。
状況的にはもう無理なのかもしれませんが、過去の自分が受け、その時生じた本当の感情(それは今も存在し、継続しています)を吐き出す、言葉で表現するということです。
理想的には、相手があるならば、当時のその相手に向かってはき出すのがいいのですが、さすがに難しいところもあるとは思いますので、それでも相手がいなくても、吐き出すということが大事です。
それはきっと暴言じみたことになるかもしれませんし、人としてどうかと一般的には考えられる言葉や表現も出てくるかもしれません。
そんな世間の道徳観や、スピリチュアル的な高次の愛(すべて受け入れること)とかいう、聖人君子のような人の言葉に影響されず、キライなものはキライ、嫌なものは嫌、ものすごくつらかった、苦しかった、傷ついた、そんなこと言われてもできねぇーんだよ! おまえ、いっぺん死ねや!とか(笑)、自分がしまい込んだ感情は、そのまま思いきって吐き出すのです。
「13」は、そんなあなたの心の吐き出しを応援する存在でもあります。
時には15の「悪魔」のカードと協力してもいいですし、17の「星」と共同で行うと、もしかすると洪水のように言葉が出てくるかもしれません。(これらのカードは無意味に選んだわけではなく、きちんと象徴的・数的にも意味があるものです)
私たちは感情を持つ人間です。
ここでは「データ」という言い方をしていますが、それはあくまでわかりやすくするための方便で、感情は水のように揺れ動き、また淀み、さらに流すことができる固定(体)と気化の間の流動的・中間的存在です。
こういった水的なものを持つがために悩まされもしますが、逆に私たちはあらゆる体験を、機械的なものではなく、感情的に(波動のように)色濃く経験することができるのです。
つまりは皆一様なものではなく、一人一人振幅があり、同じ体験であっても、受け取り方は様々ということであり、さらには水のような影響として、一人だけのものではなく、他人との共感も可能です。
しかし、それだけに、自分や人の中で淀んでしまえば、腐り、まさに同じ発音の「鎖」として自他を縛ることにもなりかねません。
水質浄化のためには、薬品を混ぜることで可能になることもありますが、まずは沈殿している泥を吐き出す浚渫作業も重要となります。表面がいくら澄んでいても、泥がかき回されればまた濁ってしまうからです。
「13」が鎌で掘り起こそうとしているのは、この黒い泥・土だと考えられます。(ほかの意味も、もちろんあります)
泥は泥だけに、きれい事ではないのです。いくら美しい景色を見たところで、また本や人から理想的なことを学んだところで、まさにドロドロとした感情の部分、自分の泥を吐き出さないと、単なる一時しのぎでしかないことがあるわけです。
泥を抱えて生きている、もう一人の自分と向き合う時期は、必ずやってきます。その時が来たら、怖いですが、泥田の中に入り(準備はきちんとする必要があります、そうしないと、ぬかるみにはまって動けなくなることがあります)頑張って掻き出してみましょう。
そして、泥には有機物や微生物がたくさん存在しているように、最終的には、泥の中にも宝があったことを知るのです。
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