「正義」のバランス 普遍・個別・融通性

マルセイユタロットの「正義」は、天秤を持っていますので、バランスを象徴するカードだといえます。

今日はこの「正義」をヒントに、バランスについて考えたいと思います。

「正義」のカードが表す「バランス」についてはいろいろな考え方ができると思いますが、私は、“正義と”いう言葉で表されるそのもの、言葉の奧にある本質を見ればわかりやすいのではないかと想像しています。

例えばバランスには、お金のバランスもあれば、栄養のバランスもあり、人数などのバランスもあるでしょう。

つまりは、いろいろな分野でのバランスはあっても、そこに均衡が働いていたり、文字通りバランスが取れていたりするわけで、そのバランスの基準や割合はまちまちですが、「バランス」というもの(概念が)あること自体は同じなわけです。

個々のバランスのルールや基準が問題ではなく、バランスが取れていることそのもの・状態を言っているのです。

ということは、逆に考えれば、バランスと言っても千差万別、いろいろな種類(基準で)のバランス状態があるということです。これは人間で言ってしまえば、人の数だけバランスの種類があるわけです。

栄養バランスでいえば、Aさんは肉食に偏っていると思っても、Aさんにとってのバランスは取れているのかもしれませんし、Bさんは菜食主義ですが、それでバランスがいいのかもしれないのです。

さて、見た目とか数量で計れるバランスの場合はわかりやすいのですが、見えないバランス、心の中のバランスとなれば、これはなかなか客観的には難しいです。

実は、この見えないバランス部分を象徴しているのがマルセイユタロットの「」の意味のひとつではないかと私は推測しています。それは「正義」と同じ8という数を持っていることからも考えられることです。

それはさておき、私たちは、(見えないですが)心の面でもバランスも働かせようとしていると見ていくと、総合的にバランスが取れてくることがあると思います。

しかし、ここで問題があります。

さきほど、バランスという概念そのものはひとつでも、種類や個差があることは述べました。

そう、心の中にも、そのバランスに違いがあると考えられるわけです。

ひとつ、わかりやすい例で見てみましょう。

ここにAさんとBさんとCさんという人がいたとします。

そして、それぞれの心の中で、「自分と他人」に対する関心と責任のパラメーターのような割合があると過程します。

簡単に言えば、自分のせいにするか、他人のせいにかするかみたいな割合のことです。(笑) あるいは、自分のほうに向いている関心と他人のほうに向いている関心の度合いとしてもよいです。

Aさんは自分の割合が80%で他人の割合が20%、Bさんは自分が30%で他人が70%、Cさんはフィフティ・フィフティの自他が50%ずつです。

こうした場合、AさんとBさんとの人間関係においては、明らかに、Aさんは自分のほうに責任をかぶりたがったり、自分のほうに関心があり過ぎたりする傾向になるでしょう。つまり、Bさんに一方的に主張されたり、仕事を押しつけられたり、逆にBさんに依存(自分に関心の方向があるので、逆にBさんを過大評価しすぎる傾向になります)したりします。

BさんはBさんで、Aさんを軽く見たり、言うことを聞きやすい人、頼みやすい人だと思ったりするわけです。

しかし、Cさんとの関係ではどうかとなりますと、AさんもBさんも、Cさんのフィフティ・フィフティの割合があるので、自分の割合が幾分緩和され、A,B両名の関係よりも、ましなものになるのではないかと想像できます。

ただし、これは目盛りのように客観視できるものがあるとした場合です。今述べた「%」というのは、あくまでこの三人とは無関係な、一般的な概念での数の割合です。

実際は、個別のバランスになっていますから、この三人は、自分の中では、あくまでバランスが取れていると思っている、もしくは無意識のうちにそのようなバランスを取っているということです。客観的には80:20でも、自分の中では50:50のように思い込んでいる、錯覚していると言ってもよいでしょう。

これが、心や内なるバランス性のやっかいなところでもあります。

この三人のうち、Aさんは、特に気疲れする(体力的にもつらい)人生を送ってしまうことになるかもしれません。またBさんは、自分の気持ちはよいかもしれませんが、(自分としては)知らず知らず、他人とトラブルになって、それにより、腹の立つことも多くなるかもしれません。

ですから、今の自分のバランス割合が歪であることを認識する(気づく)ことが大事なわけです。

ところが、心の中のような、見えないバランスですので、自分ではわからなかったり、今はバランスが取れている、問題ないと思っていたりするので、なぜ自分の人生がおかなしことになっているのか、気づいていない場合もあるのです。

それでも、逆から考えれば、つらい・大変だ、うまくいかないと感じることが続いているのなら、それは今の自分の基準でのバランスがおかしいと疑ってみることができます。

言わば、バランスの基準やルールそのものの変更が必要なわけです。それは、一言でいえば、自身の変容であり、モノ見方の変化、さらなる上部的な(統合的)な見方の獲得(の必要性)でもあります。

バランスそのものは大事ではあっても、バランスとされる基準・割合・考え方は変わる必要があるのです。

「正義」のカードは裁判官のようにも見えます。あなたという国の法律は、現実の中で生きている間は、ずっと永遠のものではなく、法律改正をその時々によって行うことも求められます。つまり、「正義」は、本当の意味(状況に応じて)で、あなたにバランスを取れ、と言っているのです。

杓子定規に、いつもいつも同じものを適用していては、それはバランスが取れているとは言い難いものです。

例えば子どもの頃の量のバランスと、大人のそれとでは違うようにです。

「正義」のバランスの普遍性(不変性でもあります)と個別性、さらには融通性を見ておくとよいのです。

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